先日ある自治体の職員さんから、細内さんのおすすめ講演、研修、講座は何ですか、と聞かれました。そこで次の研修、講座をご紹介しました。
みなさんも、よろしかったら次の研修、講座のプログラム内容をご確認ください。

先日ある自治体の職員さんから、細内さんのおすすめ講演、研修、講座は何ですか、と聞かれました。そこで次の研修、講座をご紹介しました。
みなさんも、よろしかったら次の研修、講座のプログラム内容をご確認ください。
今年1月にマンション(845戸)の理事に就任した。任期は1年である。
東京代々木のマンションの理事に就任して以来、15年ぶりの理事就任だ。
今年は、管理組合主催の防犯パトロールも積極的に参加し、すでに3回になる。
1月からの月1度の管理組合の理事会も皆勤賞だ。そのうちZOOMによる参加(携帯電話のテザリングで利用がOK)は1回である。まさにインターネット活用の時代である。
マンション内のニュースペーパーも編集責任者として、すでに2回発行した。そして地区自治会主催の大運動会にも初めて参加した。
来週には、地区内の他マンション群との交流会も控えている。
地域コミュニティへの接点は、こんなご縁から始まる。
東京都(人口1400万人)の多摩地区(26市3町1村で人口430万人)は、自然豊かなところである。
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2022年の調査によると全国一の長寿県(女性1位、男性2位)は長野県である。
その主因を私なりに、学生時代の4年間の長野生活と毎年仕事等で訪問した実績からも、その解題を試みた。
40年前に比べ、まずは塩分の摂取量が大幅に下がったことで食事改善指導が成功した。鯉こくの味噌汁は塩分量も多く、他地方の2倍はあったように舌が覚えている。
第二は60歳を過ぎても、地縁関係の中に緩やかな働く場がある(有償のコミニティ・ビジネスが周りにたくさんある)。
第3は多種類の野菜を自ら沢山作り、食べるようになったことである。
最後に、この3つを支える農協の支援や県の医療福祉や健康指導が大きく影響していることは言うまでもない。この4つの輪が相互に作用し、長野県を20年近く日本の長寿県の一つとして支えている。
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ピン、ピン、コロリが本当に良いか?私には分からない。
長野県南佐久郡の生まれで、丸子(現上田市)、佐久市で長年生活し、84歳を過ぎてから我が家にやってきた義母、94歳まで長寿を全うした。
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伊那地方出身の山口進の版画『木曽駒ケ岳の遠望と麦踏』(筆者蔵)
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細内の公式FBと同時配信
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四国愛媛県のある市でコミュニティ・ビジネスの講演をしたとき、市役所のロビーに100本近い大漁旗が掲げられていました。
「大漁旗が1本欲しいな」と軽く言ったところ、担当の職員さんが『先生欲しい旗を1本どうぞ』ということで、いただいたのがこの大漁旗です。
昔トロール船は100隻近くあったそうですが、講演当時には2隻に激減していたそうです。これは市に寄付されたあるトロール船の大漁旗の一つです。
ここは魚介類でなく、豚肉をメインにしたちゃんぽんが正当な町だそうです。魚介より豚肉の方が当時値段が高く、ごちそうだったそうです。わかる気がしますが、よそ者には港町で食するちゃんぽんには魚介類が一番だと思います。
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コミュニティ・ビジネス研究者である細内信孝の本の中で代表的なものは、「コミュニティ・ビジネス」(1999)、「地域を元気にするコミュニティ・ビジネス」(2001)、「みんなが主役のコミュニティ・ビジネス」(2006)、「団塊世代の地域デビュー心得帳」(2007)、「がんばる地域のコミュニティ・ビジネス」(2008)、「コミュニティ・ビジネスのすべて」(2009)、「人にやさしい仕事」、「10代からの起業講座」(2022)、「新版地域を元気にするコミュニティ・ビジネス」(2023)である。
詳しくはこちら→コミュニティビジネス総合研究所 (hosouchi.com)
CB総研から上梓している近著は→CB総研のベストセラー (hosouchi.com)
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今朝からコンビニ店、回転寿司店、牛丼店、百均店を回って気づかされたことがある。
アフターコロナとなって、注文の多い小売店(宮澤賢治の「注文の多い料理店」は食べられてしまう夢から、運よく目が覚める怖い話しだが、それと同じことが今起こっているような気がする)が増えて、私のように対応に困っている人が多いのではないか?と思うのである。
皆さんも同感だろうか?
キャシュレス化で、ポイント付与があたりまえになり、小売店での支払いに、携帯スマホやカードによる決済が流行っているが、ソフトがばらばらで、おまけにセルフでバーコードを読み込ませるような面倒くささもあり、注文の多い小売店で買い物ができない人が増えている。
最近、注文の多い小売店がなんと多いことか、私のようにその都度店員さんにアドバイスをもらい、決済している。
また社会の窓(世間、社会の許容度の窓)も狭くなり
シニアにとって生活困難な現象が、また一つ増えた昨今のようだ。
人手不足もあり、この進化は止まらない。
(細内の公式 Facebook と同時発信中)
礼節を重んじる日本人?。おごそかに鳥居をくぐって参拝しましょう
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小学5年生の教科書に掲載されている椋鳩十の作品『大造じいさんとガン』『クロ物語』をご覧(お読み)になったことがあるだろうか?
もともと椋さん(久保田彦穂が本名)は長野県喬木村の出身、法政大学を出て、昭和4年の世界大恐慌時、姉が女医をしていた鹿児島県の代用教員から高等女学校の教員となり、戦後鹿児島県立図書館長として鹿児島方式の「母と子の20分間読書」や「図書館ネットワーク化」を推し進めた。二刀流として児童文学者椋鳩十としても活躍した。
私は、10年前に長野県喬木村から「まちづくりの講演」を頼まれ、その後1年ほど仕事で同村へ通った。その時、詳しく椋さんを知った。「法政大学、喬木村、鹿児島市」の3か所で講演したのは、椋さんと私しかいないだろうというのが「私の自慢話」の一つである。
地元東京都稲城市の図書館で司書さんと椋さんの本の話しをしていたら、一般の人(鹿児島生まれの人)から声を掛けられ、いただいたのが、この椋さんの掛軸だ。こんな素敵なご縁があるものだ、と感嘆した次第である。(細内の公式 Facebook と同時発信)
今朝8/3のNHK朝ドラの「らんまん」を見ていて、母方の祖母のことを思い出した。
明治30年代生まれの祖母の実家もドラマに出てくるような酒造業を営んでいたが、大正3~4年ころ全国的な腐造流行(廃業したところは、全国の造り酒屋の三割近くにのぼるという)により、酒が酸味をおび、売り物にならなくなり、とうとう廃業したという。
当時地方の銀行は発達しておらず、資金調達は地元の大地主から金を借り入れ、それで酒造りに取り組んだという。しかし仕込んだ酒が全部廃棄となり、祖母の実家は郡内一の石高(生産高)を誇る酒造業の”のれん”を降ろさざる負えかったらしい。ドラマに出てくる峰屋と全く同じプロセスであり、全国的な流行であったことが確認できたのである。この話は、子どもの頃、祖母から直接聞いた話である。
以後日本の清酒には防腐剤を使うようになり、昭和40年ころまであまり美味しくない清酒(アルコールが鼻に衝く二級酒など)が幅を利かせていたという。
今は防腐剤を使用していない。健康的で美味しい日本酒が外国人にも受けている。
しかし事業にはリスクがつきものであることをけして忘れてはいけない。思えば、干瓢問屋(干瓢の相場はいまの株式相場と同じくらい難しいといわれる)であった母の実家で、商業、商いの基礎を、私はこどものころから門前の小僧として身をもって経験し、我が家(養蜂場)では家訓として残っている。
写真は本文と直接関係はありませんが、このお酒はフルーティでたいへん飲みやすい発泡清酒です。
女性や外国の発泡清酒愛好者が増え、マーケットは広がっているという。
(細内の公式 Facebook と同時発信)
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「社会の窓」がだんだん狭くなってきている。生きずらい世の中だ。
そして国家や地域社会、各種コミュニティ、個人の各種許容度が限界値を超え、摩擦を生じているようだ。
「社会の窓」が狭くなると、世の中は安定感を欠き、社会が騒然とするような出来事が増えてくる。
ましてや地球上で連動しているから質が悪い。
ほんと由々しき事態だ。
知人の画廊宅の壁画?
(細内の公式 Facebook と同時発信)
元宇東高社会部長
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私は、43年前大学を卒業し、ドイツ系の外資系企業に入社した。
私の研究者生活40年間にわたる研究成果である細内書籍コーナー(東京都稲城市立中央図書館に寄贈)
そして37年前の29歳で転職し、プロの研究員となった。その大学系の研究所には自分のデスクはなく、どこに座ってもよい完全なフリーアドレスだった。また月3~4日ほど自宅調査という、今でいうところの在宅勤務が取れた。しかし年棒制で給与分の売り上げを確保しないと、ボーナスで減額された同期も何人かいた。研究員のランクが上がると年棒の1.5倍、2倍の売り上げを確保するようにノルマが設定された。だから自宅で調査をしても自己責任だから、だれも文句を言わなかった。
また33年前の銀行の研究所(シンクタンク)勤務では遠隔地にあるサテライトオフィスも経験したが、サテライト共同研究PJで、他社の事例だが、本社の動きが見える遠眼鏡(とうめがね)という機器がサテライトオフィス内に存在した(村社会そのものだ:本社の様子が心配な人向けの極めて日本人向けの仕掛けだ)。
さらにメーカー系の研究所では、完全年棒制になり、研究業績と部下指導が直接給与に反映した。その後、自分の研究領域を活かすため独立起業した。
日本の転職はいまだに年金制度(私は、勤務先でそれぞれ厚生年金、私学共済、国民年金、企業年金を経験した)が邪魔をしているように感じるし、また世界的見地から見ると、退職金も一か所に長く勤めると支給額が増加するという制度も、企業の新陳代謝を妨げ、硬直化を招いているように思う。これが66歳になる現在、日本の転職と年金制度に関連する私の思いだ。
(細内の公式 Facebook と同時発信)
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現在、私は集合住宅・マンションの管理組合法人の理事を務めているが、10数年前に都心の管理組合の理事を務めた時と区分所有者、住民たちのマインドや周辺の環境が大きく変化しているようだ。
*記事の内容と掲載の写真は関係がありません
居住者の高齢化と建物の劣化、空き室問題、区分所有者間の所得格差、そしてまわりの地域コミュニティとの交流・つきあい方、集合住宅の法規制問題、税制課税問題など、大きく変化し始めているようだ。
大都市圏の集合住宅では建て替えや大規模修繕に備えて、これから管理組合法人は、管理維持に伴う経費等のコスト圧縮ばかりか、持てる資産を活かして収益事業(敷地内にファミレスやコンビニ、花屋、福祉の工房等を導入)にも積極的に取り組む必要性が出てくる。
また本格的な高齢社会の中で国の方針・政策を待つのではなく、理事・役員、住民たちの法規制問題や課税問題等への積極的意見表明と持てる資産を通した収益事業への転換等、その経営・運営手腕が問われることになるからだ。
それは、ニッポンの集合住宅・マンションの諸問題が待ったなしの状況にあることを意味している。
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SDGsの世は環境負荷の少ない一個流しの時代。
オンデマンド出版が可能となり、電子書籍とペーパーバックの一個一個がオーダー可能となり、余分な本は極力出さない。在庫を出さない生産・流通システムである。
当社CB総研出版部の本発行事例をご覧ください!
なお下記の本はアマゾンから配給されています。
*画像をクリックするとその詳細情報が出てきます
そして最近は次の本もアマゾンから上梓しました
この記事は、細内のFBと同時配信しています。
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私の中で最近とみに考古学への関心が高まっている。
以前当ブログでも公表したが、
「楯築弥生墳丘墓遺跡の謎に迫る」や「気ままに縄文土偶に触れる旅」などを掲載しているが、
岡山楯築遺跡の亀石と弥生墳丘墓紹介のパネル(円墳の左右に取っ手が2つ付いているような形をしている)
北海道函館付近の土偶たち、最初の顔の土偶は笑顔が素敵だ、下の土偶は中空土偶で北海道初の国宝となっている。
群馬での講演帰りに上毛の観音山古墳にて、古代への思いを強くした。
いずれも講演後に立ち寄らさせていただいたものだ。
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小学生のとき読んだ「植物学者・牧野富太郎物語」が、今の私の研究者としてのベースがそこにある。
この4月からNHK連続テレビ小説「らんまん」は牧野富太郎がその主人公として描かれているが、私は小学生のときから牧野富太郎のような科学者を目指していたが、研究という道は歩んだものの地域コミュニティの研究という社会科学の分野に進んでしまったようだ。
中学1年の時、小生がまとめた「ミツバチの研究」(実家の母が養蜂店を経営)が宇都宮市教育委員会が主催するコンクールで理科の部の銀賞を受賞した。家で副業として養蜂をやっていたから身近にみつばちが存在した。
また近著の「新版コミュニティ・ビジネス(細内信孝さんからのメッセージ (gakugei-pub.jp) 」学芸出版社のコラム(95ページ参照)で牧野富太郎と龍馬のことを紹介した。
そのベースとなったのが次の当ブログである。
坂本龍馬はほとんどの国民が知っているだろうが、牧野富太郎は理科系の人間でもすぐに分かる人は少ないだろう
両者を比較すると、龍馬のような国家に大革命をもたらす人材は100万人に一人でればよいが、牧野のような植物学者、すなわち科学者は多ければ多いほどよいというのが小生の考えだ(科学の進歩が経済発展を促し、人々の暮らしを豊かにするから)
40年前の小学生の頃、学者・牧野富太郎の伝記を読んで科学者をめざしたホソウチ所長ではあるが、結果は地域経済、コミュニティ振興の研究者となった(シンクタンクなどの研究所勤務は24年間)。牧野博士同様、小生も大学では非常勤(万年)講師としてすでに12年が経過した(牧野富太郎博士は東京大学講師を約50年近く務めたが、さまざまな事情でとうとう教授にはなれなかった)
今思うに子供の頃読んだ伝記の刷り込みが、現在の小生の姿に投影しているものなのか、それとも自分はこの程度の実力だったのかと思い、牧野富太郎記念館を後にした次第である
「先人を敬うこと、先人になれることは、子供の頃から始めたほうがよい」が小生の体験談だ
坂本龍馬記念館は個人の寄付金などで完成したと聞いたとき、高知人の懐の深さに感じ入った次第である
ちなみに坂本龍馬像も高知の青年たちの先人を敬う気持ちで寄付金が集められ、桂浜に建ったそうだ
今、坂本龍馬像と坂本龍馬記念館は高知の桂浜にある。
一度訪ねられることをお薦めする
http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-840f.html
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好奇心旺盛な私は、後日東京八王子南大沢の都立大に保管されている牧野の植物標本50万点(牧野標本館)と練馬区の牧野記念庭園記念館(牧野の自宅跡地)を訪ねたのはいうまでもない。
一つの結論として子供のころから好奇心旺盛で探求好きな青少年を育成することが大切だ。
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当ブログで、とうとう1500回のブログを達成しました。
本日4月12日は22年前に住んでいた神奈川県川崎市菅北浦の薬師堂に大願成就のお礼のため参拝してきました。この薬師堂は1187年に頼朝の御家人稲毛三郎が建立し、義経の母・常盤御前の霊をお守りしているそうです。
眼が良くなる薬師如来様と菅の獅子舞が特に有名です。また菅北浦は黒澤監督の「7人の侍」(東宝1954年公開)のロケ地でもあったそうです。現在の西菅の日本女子大通りだそうです。
菅薬師奉賛会の広田会長さんと一緒に写真を撮らさせていただきました。
このお面は私が京都・奈良の修学旅行時に購入したもので、その後ご近所に住んでいるときに寄進したものです。
薬師堂近くのコミュニティ・ガーデン
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