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私の気になった一枚のポスター400回、400回記念特集、埼玉県さいたま市・関東経済産業局

とうとうこのポスターシリーズも400回目に到達した。

今回の事務所移転に伴い、そのままにしていた関係資料が大量に出てきたので、まだまだポスター紹介は続く予定である。経済産業省の関東経済産業局(さいたま市)から招聘を受けて、基調講演をしたのが次の資料である。これらの資料は元原稿を事務局さんに渡し、すべて用意してもらったものである。

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講演時の配布資料表紙

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当時の細内のプロフィール

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参加者名簿、355名も参加したとは凄い

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コミュニティ・ビジネスの定義を共有した

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国より細内への依頼状

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この基調講演では、知人の自治体関係者から久しぶりに細内節を聴けて楽しかったです、と言われて、たいへん嬉しかったのを今でも覚えている。こうした基調講演は、私の天職であると思っている。参加者の皆さんに感謝感謝である。有意義な一日であった。

 

2019年4月19日 (金)

椋鳩十さんとの問答集2、線香の火では風呂は沸きません

椋鳩十さんは長野県喬木村の出身。私も数年前に仕事で喬木村へ伺ったことがあり、昨年鹿児島での講演ですっかり椋さんのファンとなった。

彼が鹿児島県立図書館長時代に提唱した親子読書運動は「お母さんは、炊事をしなが、子どもが本を読む声に20分間耳をかしてください」とか、県議会の予算審議時に予算が大幅に減額されたときに「線香の火では、風呂は沸きません」と回答したことなど、ユニークな問答に暇がない。

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時にはCB的な運動も展開しており、「単に教養を高める読書でなく、経済的にも儲かる、自分に役立つ読書があってよい」と言って、実益を狙った読書運動も展開したものだ。彼は長野県喬木村の出身で、昭和4年の大恐慌時に法政大学文学部を卒業した。就職活動がうまくいかず、女医であった姉を頼りに鹿児島県種子島の代用教員に就くことから鹿児島に落ち着く。

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喬木村における細内講演の会場風景

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*椋鳩十こと久保田彦穂は、この駅近くの喬木村の出身

 

 

2019年4月18日 (木)

地方創生とは何ぞや、椋鳩十さんとの問答集、さもありなん

地域でお金が回るとは何ぞや

椋鳩十先生が、むかし鹿児島県立図書館長のとき、「図書館の本は、地元鹿児島から買いなさい。しかも本は定価で買いなさい」と部下に指示したそうだ。以前の図書館は県外の東京や大阪の大きな書店から、しかも割引で購入していたそうだ。これでは地域でお金が回らない。

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地元の書店から定価で購入することによって、「地元鹿児島の書店が繁盛し、地元の書店が大きくなれば鹿児島の文化も経済も大きくなる」といったそうだ。

さもありなん!

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余録

ある市の市立図書館が新刊の漫画版「君たちはどう生きるか」を6冊購入したそうだ。そこに市の広報を見た150人の市民から予約が殺到した。150番目の人にその漫画本が回ってきたのは10か月後であったとさ。これでは地元の本屋さんも本が売れないわけだ。そして地域内でもお金が回らない。困ったもんだ。

写真的備忘録、ツインフォト

私の写真的備忘録です。2枚ずつアップしました。

総務省地域情報化アドバイザー20190307 全体会議 東京

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総務省地域情報化アドバイザー20180309 全体会議 東京

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講演会後、津鉄の方からいただいた津鉄の車内で販売している駅弁と日本酒 青森県五所川原市

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講演会後、地元の方から頂いた石炭弁当?、福岡県大牟田市

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「珈琲が冷めないうちに」の著者自らによる公演? 東京稲城市iプラザ

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推理小説家友井羊さんの初めての講演会 稲城市iプラザ

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仕事で訪れた手塚プロダクション本社 東京高田馬場

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手塚治虫生誕70周年記念パーティで頂いた記念時計 東京高田馬場

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私の片腕、同志、仲間のS氏。時には会合の受付も行う CBN定例会にて

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また司会もする CBN定例会 東京渋谷にて

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2012年4月インドのガンジー廟にて

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インドのタージマハルにて

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2009年中国北京の紫禁城天安門にて

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中国北京の天壇にて

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2019年4月13日 (土)

私の気になった一枚のポスター403回、地域再生実践塾、佐賀県伊万里市

最近は関わりあいがないが、10数年前はここの実践塾の主任講師として参画し、全国各地の参加者と交流があったものだ。たしか、ここの主催により神奈川県逗子市でも開催し、会場を一部鎌倉市に移して開催した。またCBのビデオも一緒に作ったり、ここの機関誌にも寄稿したものだ。なんとなく懐かしいものだ。

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私の気になった一枚のポスター402回、福井県武生市(越前市)

武生とは良い名前である。日本の歴史文化が好きな私にとって、越前の国の国府であった武生という地名は、私の好きな地名の一つである。

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そんな武生市の武生青年会議所から招聘され、基調講演を頼まれたのがこのポスターである。現在、平成の大合併により武生は越前市となっている。少し残念なことである。

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よくあることだが、講演会には地元の市役所や商工会議所、そして新聞社やテレビ局などが加わり、講演会情報を幅広く発信している。

私の気になった一枚のポスター401回、ヘルシーコミュニティ、山梨県甲府市

山梨県におけるCBシンポジウムです。

山梨県からのご依頼は、基調講演とパネルディスカッションがセットになった、いつものセットであるが、このころになると当たり前になっていた。基調講演のタイトルに「ヘルシーコミュニティ」を使用したのは、前前年に英国を訪問し、現地のコミュニティでヘルシーコミュニティという言葉を学んできたからだ。

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私の気になった一枚のポスター399回、CBは市民活動、千葉県我孫子市

千葉県我孫子市から招かれるのは、これで2回目である。我孫子市のCB起業講座の第1回目で講義を行ったのが下記のものである。以前隣接の松戸市常盤平に住んでいたこともあり、我孫子市には親近感を持っている。陶芸家濱田庄司の友人である柳宗悦やバーナード・リーチなどの文化人が我孫子に住んでいたこともあり、何度か私的に訪ねたことがある。そこでのCB起業講座だったので、どんな事例が出てくるか、楽しみにしていたのを覚えている。

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千葉県内市町村のCB担当部署は、市民活動支援課などが担っているところが多い。

私の気になった一枚のポスター398回、CBプラン発表会、神奈川県逗子市

2005年2月のCBプラン発表会で発表する人を募集したのが、この逗子市の広報紙だ。

逗子市は毎月のように広報紙でCBの解説をしていたので、市役所がCBに関するアンケートを取った時、市民の半数以上が、CBを知っている、と回答したことを市の担当者から聞いて、主任講師として5年ほど逗子市に通ったものとして、われながら誇りに思ったのを今でも忘れないで覚えている。

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上記の『CBとは住民主体の地域密着のビジネスのことです』が、一番的確にCBを表現している。

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私の気になった一枚のポスター397回、CBセミナー、山形県米沢市

山形県米沢市での講演でした。今でも印象に残っているのは、帰りに東関親方(高見山関)が新幹線で隣席でした。

夏の相撲部屋の稽古合宿で山形を訪れていたとのこと。あの大きな体の親方と隣席にて東京までの3時間近くをお話をしながら楽しい新幹線の旅でした。

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1泊2日の講座でしたので、講座終了後、米沢城を見に行きました。以外にコンパクトな縄張りであったのを覚えています。

2019年4月10日 (水)

私の気になった一枚のポスター396回、市町村シンポジウム・お金の意味を考える、神奈川県川崎市婦人会館

2002年「地方新時代」と銘打って市町村シンポジウムにパネラーとして招かれたものである。

しかも、お金から考えるコミュニティとして地域通貨の意義や意味が取り上げられた。暖かい心の交換としての地域通貨よりも、わが国では商店街の活性化策として、地域通貨が幅を利かせたのは、昨今のふるさと納税と同じではないかと思っている。とても残念である。

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事例報告に現場のリーダーたちが登壇して身近に感じたし、何よりその後ろに住民の顔が透けて見えたのが良かった。

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2019年4月 9日 (火)

私の気になった一枚のポスター395回、湘南ビーチFMに「ハッピーCB」の解説者として3年間出演、東京都港区

これも今回の事務所移転に伴い出てきたものである。(財)広域関東圏産業活性化センター主催の研究会で座長をしながら講演も行った時のものである。この時、神奈川県逗子市役所の職員さんも参加されていたのがご縁で、逗子市主催のCB講座の主任講師として5年間も逗子市に通うことになる。

その後、地元のコミュニティFM、湘南ビーチFMに「ハッピーCB」の解説者として3年間出演することに繋がるのである。ご縁は大切である。

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私の気になった一枚のポスター394回、イベント学会、東京多摩市

多摩大学の望月教授より推薦を受け、イベント学会のシンポジウムに参加したものが次のポスターである。

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当時私も多摩大学の兼任講師としてコミュニティ論を教えていた。

 

美濃国の黄母衣衆、井上3兄弟

美濃の国の戦国武将に長井(のちに井上に改姓)3兄弟と呼ばれる屈強の若者たちがいた。

彼らの父親は、長井隼人正道利といい、国盗り物語の主人公斎藤道三の弟とも、または斎藤家の家老長井長弘の子、そして道三の庶子ともいわれ、後・斎藤家三代(秀龍道三、義龍、龍興)に仕える家老だった。しかし斎藤一門の中で内訌が起き、国主を引退した斎藤道三とその長男・義龍に分かれ、とうとう道三は義龍に打ち取られてしまった。

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隣国の尾張の国もそれに呼応するように、尾張上四郡の守護代織田伊勢守家・織田信安と尾張下四郡の織田大和守家は国内で対立していた。大和守家を支える三奉行の一人に織田信秀でおり、その息子に織田信長がいた。この美濃と尾張のたすき掛けした同盟関係の結果、斎藤道三プラス織田信秀(道三の娘婿信長)の同盟軍と斎藤義龍(家老・長井道利)プラス織田伊勢守家織田信安の同盟軍が濃尾両国内で睨み合っていた。やがて織田信秀は病を得て死去し、斎藤道三は息子の義龍に長良川の戦いで討たれることになる。

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そうして時代は、斎藤義龍(家老長井道利)と織田信長の対立の時代を迎える。やがて信長は義龍の病死に助けられる格好だが、濃尾両国の覇権を得る。それでも信長は、義龍の子・斎藤龍興とその家老長井道利(信長と反目した足利義昭の家臣となり、摂津で討死)を美濃国から追放するまで、7年も費やしている。それほど美濃の国は、信長にとって強国で手ごわい相手だったのである。

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長井道利の子3人は、主家の斎藤氏が滅ぶと長井姓を変えて、長井の井の字を上にあげて井上と称した、と現代の井上本家(利長流)のご当主から直接伺ったのは、今から6年前のことである。その井上さんは、私の母と従兄弟関係にある。道利の子・3人は井上3兄弟となり、織田信長の軍門に下るのである。長男の井上道勝と次男の井上頼次は、織田信長の配下を経て、その後豊臣秀吉、秀頼の親衛隊・侍大将格の黄母衣衆に加わるのである。井上道勝は、初め織田信長に仕え、その後豊臣の黄母衣衆、そして最後は池田輝政の客分として仕えた。道勝の長子・長井新太郎は、織田信忠に仕えたが本能寺の変に会い、二条御所で討死した(本能寺の変、二条御所では信忠方の親衛隊として、長井新太郎、道三末子の斎藤新五郎、赤座永兼が揃って討死した)。よって道勝家は、娘婿の子・纐纈三十郎が長井の名跡を次いで池田藩士となって仕えたが、諸所の問題により微禄となったためか、その後。数代を経て池田藩を脱藩し行方不明になったと記されている(2017年7月仕事で訪問した岡山県で、帰りに立ち寄った岡山大学付属図書館の池田家文庫の「池田家除け帳」にそう記してあった)。

次男井上頼次も、豊臣家の黄母衣衆、その後は大坂の陣で豊臣方の鉄砲隊長として兵2千人を率いるが、徳川方の猛攻に会い、冬の陣で討死する。頼次の子孫の存在は不明。

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三男の井上小左衛門こと井上定利(母は稲葉宗張の娘、臨済宗の菩提寺の過去帳にもそう記載あり、稲葉一鉄の一族)は、織田信忠、秀信(信長の孫・三法師)の傘下に納まるが、その後豊臣政権下では摂津の国の代官、関ヶ原の戦いでは織田秀信方についたため、戦後徳川から領地を召し上げられ、浪人となる。大坂の陣では秀頼方の侍大将格で大阪城に入城。その際、定利の子、利中は人質として父とともに大坂城に入る。父は夏の陣の道明寺の戦いで討死。子の利中は落ち延びて石清水八幡宮(岩本坊)に潜伏中に見つかり、その後板倉勝重や織田有楽、秀忠妻らの哀願により二条城で徳川家康に面会し、その罪を許され、2代将軍徳川秀忠の直参旗本として復活し、幕臣井上家は江戸幕末まで続き、大目付、道中奉行、作事奉行、目付、駿府武具奉行、西の丸留守居、二の丸留守居、お納戸役などを輩出し、その子孫たちは現代まで続くのである。

 井上定利の妻は織田信長・信忠配下の赤座永兼(京都二条御所で織田信忠とともに討死)の娘、赤座永兼の妻は尾張上4郡守護代・織田伊勢守家の織田信安の娘で、かつ信安の妻は信長の祖父の娘(つまり叔母)で斎藤家と織田家は複雑に婚姻関係を重ね、同盟関係と内訌を繰り返していたことになる。そうして井上定利系譜の旗本井上家(本家、分家あり)には、斎藤・長井家ばかりでなく、女系を通じて織田本流、赤座家の血筋が入っていることになる。井上定利の妻(旗本初代利義の母)は赤座永兼の娘だが、京都伏見で太閤に仕えていた時、伏見大地震が起き、その時の立ち居振る舞いを太閤から称賛され、長く子孫にわたり菊桐の家紋(十六葉菊と五七桐)を授けられた。

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なお井上3兄弟の末弟として、徳川家光の時代に起きた紫衣事件で有名な沢庵和尚と一緒に流された京都大徳寺(臨済宗大徳寺派)の住持玉室宗伯(芳春院開祖)がいるが、歴史はつながるもので、のちに徳川家斉時代の旗本井上本家の井上美濃守利恭が京都町奉行を務めているとき、彼の幼子が夭折し、その亡骸を大徳寺芳春院に埋葬している(井上家の過去帳にて発見)。芳春院の開祖は、(長井道利)井上一族の玉室宗伯であり、深いつながりを感じるものである。

☆彡

細内所長の歴史スペクタル

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2019年4月 8日 (月)

私の気になった一枚のポスター393回、商店街活性化フォーラム、埼玉県浦和市(さいたま市)

埼玉県庁主催のフォーラムに招かれて講演会に向かった時のものです。

埼玉県庁近くの自治会館ホールでお話をしましたが、私の記憶の中では古い会議場のような大きなホールで講演をしたことを覚えています。たしか旧県議会ホールを再利用した立派な施設であったのを覚えています。

帰りに浦和名物の鰻飯を食べて事務所に戻りました。埼玉県は海なし県なので川魚料理店が町中にたくさんあり、その中でも鰻飯は浦和市でも川越市でも、有名鰻料理店はお客さんでいつも満席でした。

(当時の市町名で表記しています)

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私の気になった一枚のポスター392回、CBは生活を支援する仕事、調布市・電気通信大学

東京都調布市からの依頼で地元にある国立大学の電気通信大学で講演したものです。

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当時記録に残すということで録画されたビデオが今でも当社の研究保存用の棚に残っています。

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2019年4月 7日 (日)

私の気になった一枚のポスター391回、地域を元気にするコミュニティ・ビジネス、千葉県我孫子市

これも事務所引越しで出てきた2002年開催の千葉県我孫子市で行われらCBシンポジウムである。

「地域を元気にするCB」について基調講演を行ったが、目の前で当時の市長・福嶋さんが聴いてくれた。首長さんが一番前の席にいるのは、後にも先にも、そして人生3000回の講演・講座の中で初めてであった。

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シンポジウム会場は、我孫子市にある中央学院大学の一番大きな教室であった。

私の気になった一枚のポスター390回、島根県菱川町

このポスターは、島根県菱川町で行われたCB創出フォーラムである。

基調講演とパネルディスカッションのコーディネーターを頼まれた。

帰りに出雲大社に参拝してきたが、お社の壮大さが今でも印象に残っている。その後島根県を訪ねる度に出雲大社には欠かさず参拝することにしている。

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私の気になった一枚のポスター389回、山形県山形市

山形県のNPOからの招請で伺ったのが次のものである。

細内氏来形このポスターのトップにあるがこの来形が全国各地まちまちで郷土色が表現されていて面白い。温泉王国山形県らしく、ポスターに温泉における入浴シーンが画かれているのが印象的である。

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当時は、どこの会場でも90分から120分のCB講演と質疑応答30分~50分がセットになっており、そのあとは懇親会が設けられていた。

 

 

2019年4月 6日 (土)

私の気になった一枚のポスター388回、YEGの若人が集う、愛知県蒲郡市

この愛知県商工会議所青年部連合会(YEG)の講演会は、たいへん思い出深い講演会の一つであった。

若手経営者が主体のYEGは、日本経済を支える若人たちが参集した商工の団体であり、日本青年会議所と双璧をなすものである。大いに緊張して講演会に臨んだことを覚えている。

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地元蒲郡市長も参加され、会場は400名近い参加者の熱気であふれていた。

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