先日ある自治体の職員さんから、細内さんのおすすめ講演、研修、講座は何ですか、と聞かれました。そこで次の研修、講座をご紹介しました。
みなさんも、よろしかったら次の研修、講座のプログラム内容をご確認ください。

先日ある自治体の職員さんから、細内さんのおすすめ講演、研修、講座は何ですか、と聞かれました。そこで次の研修、講座をご紹介しました。
みなさんも、よろしかったら次の研修、講座のプログラム内容をご確認ください。
私の中で最近とみに考古学への関心が高まっている。
以前当ブログでも公表したが、
「楯築弥生墳丘墓遺跡の謎に迫る」や「気ままに縄文土偶に触れる旅」などを掲載しているが、
岡山楯築遺跡の亀石と弥生墳丘墓紹介のパネル(円墳の左右に取っ手が2つ付いているような形をしている)
北海道函館付近の土偶たち、最初の顔の土偶は笑顔が素敵だ、下の土偶は中空土偶で北海道初の国宝となっている。
群馬での講演帰りに上毛の観音山古墳にて、古代への思いを強くした。
いずれも講演後に立ち寄らさせていただいたものだ。
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小学生のとき読んだ「植物学者・牧野富太郎物語」が、今の研究者としてのベースにある。
この4月からNHK連続テレビ小説「らんまん」は牧野富太郎がその主人公として描かれているが、私は小学生のときから牧野富太郎のような科学者を目指していたが、研究という道は歩んだもののコミュニティの研究という社会科学の分野に進んでしまったようだ。
中学1年の時、小生がまとめた「ミツバチの研究」(実家の母が養蜂店を経営)が宇都宮市教育委員会が主催するコンクールで理科の部の銀賞を受賞した。
また近著の「新版コミュニティ・ビジネス(細内信孝さんからのメッセージ (gakugei-pub.jp) 」学芸出版社のコラム(95ページ参照)で牧野富太郎と龍馬のことを紹介した。
そのベースとなったのが次の当ブログである。
坂本龍馬はほとんどの国民が知っているだろうが、牧野富太郎は理科系の人間でもすぐに分かる人は少ないだろう
両者を比較すると、龍馬のような国家に大革命をもたらす人材は100万人に一人でればよいが、牧野のような植物学者、すなわち科学者は多ければ多いほどよいというのが小生の考えだ(科学の進歩が経済発展を促し、人々の暮らしを豊かにするから)
40年前の小学生の頃、学者・牧野富太郎の伝記を読んで科学者をめざしたホソウチ所長ではあるが、結果は地域経済、コミュニティ振興の研究者となった(シンクタンクなどの研究所勤務は24年間)。牧野博士同様、小生も大学では非常勤(万年)講師としてすでに12年が経過した(牧野富太郎博士は東京大学講師を約50年近く務めたが、さまざまな事情でとうとう教授にはなれなかった)
今思うに子供の頃読んだ伝記の刷り込みが、現在の小生の姿に投影しているものなのか、それとも自分はこの程度の実力だったのかと思い、牧野富太郎記念館を後にした次第である
「先人を敬うこと、先人になれることは、子供の頃から始めたほうがよい」が小生の体験談だ
坂本龍馬記念館は個人の寄付金などで完成したと聞いたとき、高知人の懐の深さに感じ入った次第である
ちなみに坂本龍馬像も高知の青年たちの先人を敬う気持ちで寄付金が集められ、桂浜に建ったそうだ
今、坂本龍馬像と坂本龍馬記念館は高知の桂浜にある。
一度訪ねられることをお薦めする
http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-840f.html
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好奇心旺盛な私は、後日東京八王子南大沢の都立大に保管されている牧野の植物標本50万点(牧野標本館)と練馬区の牧野記念庭園記念館(牧野の自宅跡地)を訪ねたのはいうまでもない。
一つの結論として子供のころから好奇心旺盛で探求好きな青少年を育成することが大切だ。
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当ブログで、とうとう1500回のブログを達成しました。
本日4月12日は22年前に住んでいた神奈川県川崎市菅北浦の薬師堂に大願成就のお礼のため参拝してきました。この薬師堂は1187年に頼朝の御家人稲毛三郎が建立し、義経の母・常盤御前の霊をお守りしているそうです。
眼が良くなる薬師如来様と菅の獅子舞が特に有名です。また菅北浦は黒澤監督の「7人の侍」(東宝1954年公開)のロケ地でもあったそうです。現在の西菅の日本女子大通りだそうです。
菅薬師奉賛会の広田会長さんと一緒に写真を撮らさせていただきました。
このお面は私が京都・奈良の修学旅行時に購入したもので、その後ご近所に住んでいるときに寄進したものです。
薬師堂近くのコミュニティ・ガーデン
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先日東京都立大近くで「WINNY」という映画を見てきた。著作権という現代の知的課題をどうとらえ、どう処理していくのか。米国のガーファ(Google、Amazon、Facebook、Apple)が新産業(生活のプラットホームを提供)として成立する前にも日本にその萌芽があった。インターネット・ソフトウェア「WINNY」はその一つである。そして著作権法違反ほう助で告訴された天才プログラマー金子氏の闘争物語である。
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日本ではなかなかイノベーションが起きないが、その萌芽が育たない原因を考える上できっかけとなる映画である。
最近日本の野球やサッカー、バスケなどのプロスポーツが隆盛を見せる中、日本製のロケットが不発を起こしたり、国産ジェット機がマーケットに離陸できなかったり、試運転中のLRTが脱線したりと、日本の技術力の低下が大きく心配される訳である。
次の一手をどう打つか、GDPがまもなくドイツ(人口約8千万人で日本の人口の2/3で、いかにその生産性が高いかが分かる)にも抜かれ、世界第四位に繰り下がろうとしている我が国にとって考えさせられる昨今である。
細内のFBと同時配信
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コミュニティ・ビジネスと地域のお土産・特産品(秋田編)
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秋田県におけるコミュニティ・ビジネスの取組み
http://media.wix.com/ugd/7ed173_122e06cedb3b48568662e9cec46c03ab.pdf
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コミュニティ・ビジネスと地域のお土産・特産品(栃木編)
この足尾焼は、日光足尾講演の帰り、地域の方からいただいたもの。
2023年2月12日の日経新聞によると、2022年の動画広告市場は5600億円に達し、対前年で33%の増加を記録したらしい。そしてこの2月に入り、15年間営業していた近所のCD・DVDのレンタルショップが閉店した。
この二つの事象を鑑みると、動画メディアの進化が猛スピードで浸透しいることが身近に感じた。もの(DVD)を借りて映像を見ることから携帯電話やテレビのインターネットを活用し、動画を見ることへの進化。実業の経済は、こうした変化の潮目を読み取ることが大切になってくる。
今後東京23区に新設・増設する大学のデータサイエンス科はこうした潮目の研究を更に究めて欲しいものだ。
情報財マーケティングの創設者(1994)より
情報財マーケティングに関する研究 | CiNii Research
そもそもの始まりは、
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格言:綺麗なバラには棘がある
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この縄文土器、東京狛江市の泉龍寺(小田急線狛江駅前)から出土したもの。5000年前の縄文中期の時代物。泉龍寺仏教文庫にて館長の許可を得て撮影した。素晴らしい先人たちの造形物だ。
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隈さん設計の角川武蔵野ミュージアムの外観と館内、そしてアニメのフィギュア展示など、現代の日本社会を象徴している。しかし肝は併設の現代風の武蔵野にいます神社だ。
本の殿堂、角川武蔵野ミュージアムに行ってきました。そこで創業期(角川源義)の苦しい書店経営の話しが掲載されていました(源義は「三太郎の日記」のヒットで経営を立て直す)。私も経験しましたが、実業の経営者は長い実業経営の中で必ず苦しい局面を迎えるということは言うまでもありません。
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拙著『我が家の女系史伝』に関する土山公仁さん(元岐阜市歴史博物館学芸員)のコメントを以下に記します。
著者の細内信孝さんは本にも書いてあるように50を過ぎてから ご先祖様さがしに熱中した方である。フルタイムで働く男性の場合、現役の時はなかなか歴史系博物館にも足をはこばなかったが、退職後、歴史に興味をもちご先祖さがしをされる方は一定の割合でいる。その場合、博物館の熱心なリピーターにもなってくれる。細内さんの場合、現役時代に興味をもちはじめたこと、仕事がら全国をとびまわり、その合間に各地の博物館、図書館、史跡、寺院等に足しげくお通いになったことが著書からもうかがうことができる。つちやまも博物館時代におたずねいただき、つちやまの退職後はどうやってと思うがお友達も少ない時期のFBを発見されてしまった。
テレビの影響もあるのだろうファミリーヒストリーはひそかなブームではある。豊田市で現在計画中の博物館もHP情報を見るとそれを正面からとりあげるらしい。いいアイデアだと思うが、それをやるにはかなりのマンパワーが必要なのと個人情報の問題をどうクリアーするのだろうと注視しているところだ。
さて、同書は年末に送っていただいたもので。コメントも求められていたが、年末年始は酒浸りの巣ごもり生活で調子がつかめず、大学の準備もぎりぎりで、その後、シラバス作成、成績付けのため学生からのレポートに格闘していて、手が回らず、今にいたった。
コメントするといっても、著者がわたしのもとをたずねたのは、長井隼人道利がらみだったし、江戸時代に続く井上家については格段知見もないので、関心のある部分に限ったコメである。
長井道利は長井隼人として『信長公記』にも度々登場する人物である。斎藤道三の弟もしくは子供とされているが、土山は道利と面識のあった日重の『見聞愚案記』に記されたように道三の弟でいいと思っている。父親は『六角承禎条書』にある長井新左衛門尉ということになる。細内さんも引いている一部の系図で父親を長井豊後守利隆とするものもあるが、少なくとも利隆は斎藤姓で持是院家をついだ人物だ。斎藤家での系図上の位置は確定できないが、土山は妙椿の子説、これは美濃の刀剣をあつかった図録で書いたことがある。
長井豊後守という記述は美濃の情勢に関しては良好な情報をもとに記された『江濃記』に道三の父親として登場する。道三の養子とも伝えられる正義が斎藤姓を名乗り、金山城主になっているが、これは斎藤利隆(妙全)の養子になったという体裁をとったものだろう。正義は天文8年の寿像が残っている。道三じしんの改姓については天文10年11月の『石山本願寺日記』に斎藤左近太夫(道三)を長井新九郎(道三)の事と注記があるので、正義の改姓より遅れるだろう。先に養子を斎藤家に送り込み、その後で自らも斎藤姓に改めたというのがつちやまの考えである。よって、道三が斎藤利隆の養子という説には賛同していない。なお正義が城主だった金山城は後に道利も城主になったという説がある。御嵩町顔戸の八幡社の永禄8年の棟札がその証拠としてあげられることが多いが道利の子孫『井上家伝書』に同様な記載があることは、この著作から知った。だとすると、持是院家を引き継いだ正義の権益は道利にひきつがれたことになるだろう。
先にあげた長井豊後守は現在の本巣市の用水に権益をもっていたことが、安藤家文書からもうかがえる。安藤家文書の別な史料に登場する長井直弘なる人物も道三と近い関係にあり、永禄4年の段階で長井隼人の所領もその近辺にあった可能性を『信長徹底解説』の中の美濃攻略に関する原稿で指摘してみたことがある。
長井隼人室の父、稲葉宗張については、博物館時代にお話はきいていたが、今回の著作で稲葉一鉄の兄とお考えであることがわかった。一鉄の父や兄たちが戦死した牧田合戦は大永5年のことと考えられており、宗張の画像賛からは大永6年宗張が生きていた時代に描かれた寿像であることもわかるので、もう少し他の可能性もさぐった方がよいのではと思う。
道三と義龍の最終決戦で、道三に最初にくみついた『信長公記』にも登場する長井忠左衛門を道利の子とする伝承が池田家に伝えられていたことは初めて知った。次にこの辺りを触れる際は使わせてもらおうと思う。
道利の最期については、『寛政重修譜』等で記された義昭の命で和田惟政救援に向かい白井川原で戦死したことが簡単に触れ、義昭が信長と反目していたことが記されていたがもう少し追及してほしかった。元亀2年8月の畿内の状況は複雑怪奇で義昭と信長の関係もすでに破綻していたとは思うが、公然と対立していたわけではない。また、宛先は不明であるが天正弐年正月晦日に信長が長井隼人の旧領を宛がった文書もある。永禄10年9月、信長の稲葉山城奪取時に、長井道利は龍興とともに美濃を後にした。しばらく二人はともに反信長運動に参加するが、どこかの時点で道利は信長に仕えることになったのではないだろうか。永禄10年から天正2年まで長井隼人の旧領ということが意識され続けたとは思えないのである。
最後に細内さんの著作は『我が家の女系史伝』となっているが、女系をたどったのは1度だけで、あとは男系の先祖をたどっている。次はすべて女系しばりでやってみてはいかがだろう。
(2021.1.26に当方へいただいたSNS(FB)の原文のまま掲載)
当方事務所から面白いものが出てきた。
それは、日英社会的起業家交流プログラム(英国外務省招聘、2003年9月)の達成証明書である。日英の社会的起業家同士の交友をこうした達成証明書として発行するのは彼ら英国人らしいユーモアである。英国内を移動するときも特急列車は1時間も遅れたが、彼ら一流のウィットに富んだジョークで吹き飛ばしてくれた。宿泊施設の度重なるトラブルもトラブルインとして笑い飛ばしてくれた。フレンドリーな米国人よりも日本人の気質に合うのは英国人の方であると思ったのは、私だけではなかったようだ。一緒に行った日本の社会起業家達からも終始笑い声が絶えなかった。
*写真上でGoogl レンズの翻訳(英語→日本語)を使うと、すぐに日本語の文章に変換されるようだ
この証明書は、英国における日英の社会的起業家たち(私は社会的起業家から20年も経過したので、いまは社会的企業家を名乗っている:有限会社コミュニティビジネス研究所は創立20周年を迎えた)の交流の経緯や内容を記したものである。
その交流プログラムの内容をユーモアとウィットに富んだ表現で上述の証明書にしたためた英国の社会的起業家たち(CAN)に私は敬意を表すものである。
まず日本人ではこうした表現はできないだろう。さすが女王陛下の国(2003年9月当時)である。
#「細内の世界の社会企業家と交流」 http://www.hosouchi.com/socialentrepreneur.html から
#アンサー編として:英国チームの訪日同行記(2004年7月 筆者しるす)
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12月4日の日曜日に稲城市の若葉台公園を散策していたら、偶然にも、さいとう工房(東京都墨田区本所、斎藤省社長)の6輪電動車いす・レルのユーザーさんに会いました。
開発の経緯を知っていたので6輪が欲しかったというユーザーさんの言葉にたいへん感動しました。許可を得て写真を撮らせていただきました。
*6輪車いすの特徴として、回転半径が4輪の車いすより短くなります。よってマンションなどのエレベーター内で向きを変えることが可能となります。まさに高齢社会の日本にとって、今後ますます必要なアイテムになります。
社会を良い方向へ変えるとは、こういうことですね。
6輪電動車いすの特許を取った斎藤省さんの仕事は、まさに人にやさしい仕事です。
*人にやさしい仕事は、思いやりの心と技術の進歩により、私たちの社会を間違いなく良い方向へ変化させます。
よかったらご高覧ください。
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