2026年1月14日 (水)

再録:2017年2月17日細内所長ブログから、表現者の先達、久米宏さんを悼む

2026年1月1日天国へ旅立った表現者の先達・久米宏さんを悼み、当時TBSラジオの「久米宏ラジオなんですけど」を愛聴していた細内所長のワクワク日記、「第699回細内所長ブログ」(2017.2.17)を、先達の鬼籍入りを悼み、ここに再録します。

Img_20251010_101144

2017年2月19日 (日) 第699回細内ブログ「久米宏ラジオなんですけど」から学ぶ、サラリーマン副業のすすめ 

昨日、土曜日の午後に毎週愛聴しているTBSの「久米宏ラジオなんですけど」をコーヒーを飲みながら、何気なしに流して聴いていたら、今週のスポットライトに白衣メーカーの社長さんが出演した。創業が2008年12月だから、まだ10年未満の株式会社だそうだ(社員13人の少数精鋭)。

その会社の社長さんの何が面白いかというと、その社長さんはIT企業に勤務していた普通のサラリーマンだったが、平日の夜や土日などの余暇時間を活用して、カッコいい白衣づくりのための行動を興す。つまり白衣起業をサラリーマン時代の副業として取り組んだということである。しかも起業のきっかけが、高校の同窓会に参加した時、同級生医師の白衣に対するボヤキからである。

*

そして、もう一つ面白いことは、六次の隔たり(ICT&SNS)を活用して、自分に不足している能力・技術を持つ人をパッチワーク的に当てはめ、結びつけ、苦心の末、とうとうカッコいい白衣づくりのビジネス・モデルを構築したところにある。だから現在社員が13人でも可能なビジネスとなり、海外にも生産体制を作りユニクロ・モデルに近いビジネス・モデルとなる。
*
現在、そのカッコいい白衣は3万人のドクターに愛用されているらしい。日本の医師数が約31万人だから約10%の医師が彼の特別白衣を着用しているとのこと。彼の会社の白衣は特別な生地を使う1着2万円のもので、普通の白衣が3千円だから約7倍の高さという超高級品の白衣だが、カッコ良さもあって飛ぶように売れている。
*
所得やプライド水準の高いドクターの制服がたったの3千円という盲点を突いたアイディア・ビジネスだが、その社長さんの感度の良さ(安価な白衣に多くの不満があることに気付いた)にあらためて敬服した次第である。いまや、あわせて看護師さんの制服や使いやすい聴診器まで販売している。医療向け新製品の開発にも余念がない。
*
ラジオを聴きながらコーヒーを飲み終えた私の結論は、サラリーマンの副業は全面解禁の時機であり、ICTやSNSを活用して自分にない能力を手繰り寄せ・結び付け、売れるビジネスモデルを試行錯誤のなかで組み立てる。そうした能力向上を可能にするトレーニングセンターの設置が日本各地に必要であり、こうしたことの積み重ねが、地域コミュニティの元気と日本社会の発展を生み出すのである。そして最も日本の社会に欠けている”自分の意見が言える(宮使えのサラリーマンではない)中間所得層を増やす”ことにつなげるのが私の当面の目標だ。

 

☆最後に久米さん曰く(意訳)、新製品も次々に出し、現代の本田宗一郎を見ているようですね!

軽妙洒脱の久米宏節に、私もガッテンだ。

今回は特に元気の出るワクワクするラジオ放送であった。

久米さんがラジオの中で言った言葉として印象に残っているのは、「父の姓は本来大橋で、養子に入って久米になった」と記憶している。栃木県の日光・今市地方にはこの大橋姓が多く、久米さんの反骨精神は、そうした土地の文化・風土(一身以て公共に尽くす田中正造の反骨精神や権力に対する反骨精神等)が影響しているのではないか、と私は勝手にそう分析している。

久米宏さんを悼み 合掌 2026.1月

Img_20221025_080710_20260115080901

田中正造画賛(筆者蔵)

☆彡

2025年12月27日 (土)

私の中の2つの幼稚園

私は父の転勤で2つの幼稚園を卒園した。

正確に言うと一つが修了、そしてもう一つは卒業した。

一つ目は、その名も”みさお幼稚園”

 Photo_20251227155501Img_20251227_095541

校章は当校英語講師の川上澄生によるもの、UJKが百合の中にある

Img_20251227_095607

一年保育の昭和37年度すなわち第15回(昭和23年~だから、昭和38年3月は15回目にあたる)修了だから1962年のこと。

栃木県立宇都宮女子高校付設幼稚園だからお姉さん達と一緒に正門から入り、ランドマークの操橋を渡って通園した。

大好きな川上澄生は、戦後ここの英語講師だった(戦前は宇都宮中学の英語教師)。

Img_20251108_145445

祖母の母校(大正8年卒業)、100周年記念の操橋の文鎮

一般のバスで5歳児がひとりで通ったが、我ながら大したものだ。

☆彡

もう一つは、佐野市田沼の曹洞宗の幼稚園で明星幼稚園という

Img_20251227_152106

Img_20251227_152400

園の卒業は、東京オリンピックの年だ。本堂でのお泊りが印象に残る幼稚園だった。

園長の滝口和尚と鈴木格禅先生は駒沢の同期で家族ぐるみの付き合いだったことを60数年ぶりに準子先生から聞いてびっくりした。

大人になってから成城山耕雲寺の座禅会で格禅先生のご提唱をよく聞きに行ったからだ。ご縁はつながるものだ。

 Img_20251227_152249

明星幼稚園ゆり組のみんなと

☆彡

2025年12月23日 (火)

思い出の川上澄生コレクション

ここ10年間で収集した私の川上澄生コレクション

Img_20251223_142457

彼の宇都宮鶴田在住時代、初期の作品

Img_20251223_142506

彼の宇都宮鶴田在住時代、初期の作品

Img_20251223_142445

戦後宇都宮女子高校英語講師時代の版画同人誌「鈍刀」での自画像作品

Img_20251223_094109

彼の代表作の一つ、昭和14年の日本版画協会展出品作 「南蛮船図A」

Img_20251223_094257

戦後川上は、波作品を多数発表し、波を版画で表現するとこうなる、とのべている

Img_20251223_094447

川上澄生作品独特の南蛮人たち

Img_20230218_172454_20251223154701

昭和36年栃木県立図書館の学習会からスタートした版画同人誌「版芸」は、館長が戦前宇都宮中学で川上と机を並べたかつての同僚・親友村山力で、そして版芸の事務局は宇中時代の教え子で、当時栃木県立図書館職員の赤間一雄であり、彼は自宅に事務局を移しながら40年近く版芸を発行し続けた。版画は「小諸の懐古園」で赤間一雄の作品である(筆者蔵)。

☆彡

2025年12月15日 (月)

1925年アールデコ・パリ万博のポスターに共感を覚える川上澄生作品

の実家は、戦前の旧制中学教師(英語)、版画家の川上澄生の家と同じ町内会にある。

私は、子供のころから彼が描いた宇都宮市内の菓子屋の包装紙など、彼の絵が好きで、今でも彼の版画を30点ほど収集している

先日日本経済新聞(朝刊)のアールデコ・パリ万博ポスター(1925年)の紹介紙面を見ていて、びびん~ときた。

Img_20251126_092947

この絵の飛び跳ねる鹿を背景にした女性の躍動感が、川上澄生の次の作品”初夏の風”(1926年)の”つむじ風?”と姉妹作品でないかと思ったほど、その類似性は高いように思う。

Img_20220917_144145

☆栃木県立宇都宮高校にある川上澄生作品のレリーフ

川上澄生も戦前英語教師をしながら、アールデコを勉強していたのだろうか。

カナダ、アラスカから帰国後、宇都宮中学の英語教師になる前に、一時川上は東京で看板屋の仕事に就いていたので、この分野は、もともと彼の関心が高かったものと思われる。

このことは、彼の作品に対する私の初めての”発見”である。

こうしたインスピレーションは共感を呼ぶもので

知り合いの美術館学芸員さん何名かに確認してみたが、私の直観、発見に共感してくれた人もおり、その日はたいへん嬉しい気分になったものだ。

Img_20220917_144153

☆へっぽこ先生こと川上澄生のレリーフがある元勤務先の栃木県立宇都宮高校

たばこ好きの彼は、横浜産ながら宇都宮をこよなく愛した。

☆彡

2025年11月 7日 (金)

探究心は若いうち(小学生)から鍛えろ!

わたしの探究心の始まりがこの表彰状である。自宅のミツバチブンブン(父が、当時20箱、40万匹を養蜂する)を研究して提出した成果だ。高校は理系クラスながら、部活は社会部で社会科(日本史、世界史、倫理社会)と化学が得意だった。両科目とも学年で1番だが、英語が苦手で、大学は理系ながら地方の国立大学で、理系ながら文学思考で同人誌を発行していた。そして今や研究者として情報学者と社会学者を自称している。海外からも講演依頼が舞い込み、著作数は32冊で、そのうち海外での出版は、翻訳本2冊を数える。

Img_0032

S20130415_005Img_0031

現場主義(東京両国でのコミュニティ・ビジネス研究で支援スキームを開発⇒詳細はこちらの本の5章にあり)は、大人になった今でも私の研究スタイルの一つだ。

小学生3年から、自由研究で自ら課題を設定し、アリの研究、太陽軌跡の研究、百葉箱の研究を始める。

⭐️

2025年10月 1日 (水)

私の著作58冊で、稲城市立図書館への寄贈本は100冊を達成しました

地元東京都稲城市における公立図書館(全6館)への寄贈(今回の寄贈は「コミュニティ・ビジネス20年史」1冊と「CB絵本復刻版・まちにやさしい仕事」3冊を寄贈)が認められ、昨日2025年9月30日の稲城市立図書館から御礼のハガキをもって、その寄贈本の数は100冊になりました。

Img_20250523_112513_20251001141901

これで、私の小さな地域貢献活動の目標を一つクリアしたことになります。

Img_20250109_153206

そして
地元東京都稲城市における公立図書館(6館)への寄贈が認められ、稲城市における寄贈本100冊達成を記念して稲城市立図書館から2025年10月1日付で感謝状をいただきました。

Img_20251002_112138

著作58冊、寄贈本100冊が認定されました。

皆様のご支援、ご協力に感謝します。

 

追記

講演先の岡山県笠岡市において、笠岡市立図書館へ自著8冊を寄贈し、その時感謝状をいただきました。

Img_20251121_082306

ありがとうございます。

☆彡

 

2025年9月24日 (水)

経営者が貴族文化に着目する発想はとてもユニークだ

NHKの朝ドラ『あんぱん』もいよいよ最終週だが、1990年代初頭、当時在籍していたシンクタンクの親会社S信託銀行の意向でサンリオの貴族文化研究会に出席したことを思い出した。
*
Img_20250923_151439
*
そこで辻会長にお会いしたが、大きな黒縁眼鏡と人なっこい笑顔が今でも印象に残っている。温和な語り口も人をひきつける要素だが、貴族文化に着目する発想はたいへんユニークであった。
*
Img_20250924_095507
*
サンリオのテーマパーク、ピューロランド開園後間もないころで、今でもいただいたテーマパークのマグカップが私の事務所の机の上に置かれている。何千杯のコーヒーをこれでいただいたであろうか。感慨深いものである。
☆彡

2025年9月 3日 (水)

私の研究本論、コミュニティ・ビジネス

研究本論としてコミュニティ・ビジネス研究の軌跡は次の通り

コミュニティ・ビジネスの研究史

1007korea-1

講演実績は3,000回  書籍は30万部発行

細内所長の研究成果を概観

各論として

・地域探究手法123 

持続可能な地域コミュニティとは 

地域コミュニティにおける決定権の回復

身丈の地域活性化 

岡山県における10年間のコミュニティ・ビジネス講演 

Photo_20250903064501

⭐️

2025年9月 2日 (火)

私の研究序説

1.学生に知ってもらいたい研究者と学者の違い 

私は、40年間にわたり研究者であって単なる学者ではない。いわば真理究明に真正面から取り組む猿田彦の存在なのである。

☆彡


1997cbn
☆彡
1999年に細内信孝著『コミュニティ・ビジネス』中央大学出版部を上梓したが、この本はコミュニティの現場などで、NPO法や介護保険法の施行前後のこともあって、多くの影響をもたらした。そして20年が経過した2020年から見た批評を加える学者がいまだに少なくない。
しかし、1990年代の研究成果に20年も経過した現時点での視座をもって批判するのはお門違いのことである。
研究者とは、よく調べて考え、真理を極める人のことであるから、新しいことを発見することに力点を置いている。
それに対して大学などで教鞭をとる教員(一般的な学者)は、その学問分野に対して正しい受け答えが必要になり、間違えは許されない。よってその内容を充分吟味する必要がある。だからといって学者が真で研究者が偽であるとは限らない。
研究者と学者は立ち位置や真理の究明方法が違うのある。研究者はアート的に現場でフレームワークを組み立てデザインする、一方学者は現場のデータを収集分析しサイエンスを行う。
だからこそ、学者は先行する研究者へのリスペクトと批評には充分注意を払って望んでもらいたい。世の中には両者が必要なのだ。
このことを若い学生、研究者、学者を目指す人に正しく伝えてほしい。
20120616saito_2

東京墨田区のさいとう工房に法政大学大学院政策創造研究科の学生を引率する

 

2.私のライフワーク、研究活動を振り返る

細内が研究者として活動した29歳から68歳までの40年間溜まりにたまった研究資料を整理し、近隣の公立図書館で細内の研究成果のヒット件数を調べてみた。すると次のような結果が出た。


・読売新聞のヨミダスのヒット数は、15件

・朝日新聞のクロスサーチのヒット数は、15件

・日経テレコンのヒット数は、27件

・雑誌記事・論文のヒット数は、55件

・日本工業新聞「シンクタンクの目」への連載(寄稿)記事(紙面は、A3サイズの大きさ)は、4件あり

・専門紙への連載は、ダイヤニュース4回、信用金庫新聞8回、生産性新聞6回である

・Google scholarでの引用件数は、2,530件

そして

・39年間での講演回数は、3,000回(日本国内の47都道府県全部をまわり、海外の招聘講演は5回(韓国4回、台湾1回))を超えた

・著作は27冊で

・そのうち海外における出版(韓国語版)も2冊あり

・論文数はなんと64件となっている

・テレビ・ラジオ(月一回の3年間出演の湘南ビーチFMラジオは、1回のカウントとする)の出演回数は、56回を超えた

・海外視察や招聘講演は、20か国に及ぶ

みんなが無料で検索できる公共財のデータベースヒット件数は、

40年間の研究者として、テーマの新規性を含め、まずまずの成果ではないだろうか

『研究の専門性は、自分で拓くもの、そして深めるもの』が、私の持論である。

☆付則情報として

東京都稲城市中央図書館(ほぼ全著作の56件所蔵)ならびに稲城市あいプラザ図書館(こちらは代表的な著作20件のみ所蔵)には、細内信孝の全著作95件(稲城市内の他館を含む総著作数)を寄贈しましたので、住民主体の地域経営や社会的起業、社会的企業等を研究するコミュニティ・ビジネスの研究者や学生には福音でしょうか。

 

3.「情報と情報財」研究の軌跡

私は、1980年4月から6年8か月勤めたドイツ系外資系企業ヘキストから、1987年2月に私立大学の経営コンサルティングセンターの研究員になった。本業の経営コンサルティング以外の自主研究として、前職の時から関心があった”情報”について勤務先の姉妹校短大の田中功助教授(後日、田中氏は、日本女子大学の教授となる)の先導のもとに共同研究を始めた。その成果が次の一連の論文(1989年~)であった。




専門図書館123号(1989年4月発行)の拙著の中にはじめて”情報財”という言葉が出てくる。

Photo_20250611194601

<以下の写真は、クリックすると拡大します>

Photo_20250611194801

 

3

そして情報財という言葉が、まだグーグルやほかの検索エンジンにも出てこない時期(1987年から1990年代初頭)にいち早く興味を持ち、その概念形成に果敢に取り組んだ(これを研究という)。そして、その論文が、勤務先の大学法人の姉妹校である産能短大の1990年2月発行第23号の紀要に掲載された。それが、次の拙著・論文(情報財の基礎理論に関する研究:査読あり、1989年10月の受理)だ。

Img_20220223_2049461_20250611200801

 

92 93  

紙面の関係で写真はここまでとし、小論を詳しく知りたい方は当時筆者が在籍していた産能短大(現・自由ケ丘産能短大)の図書館(短大紀要第23号、1990)へ、ご確認ください。オリジナルが所蔵されている。

さらに、当時新しく設立された情報文化学会の全国大会での発表とその成果をまとめたものが次のものである。すでに大学の研究員から大手信託銀行のシンクタンクに移籍(1991年)していたため、細内の肩書は、住信基礎研究所副主任研究員となっている。

Img_20220223_205526 Img_20220223_205612

当時1990年代の論文は、まだまだ手書きの図表が幅を利かしていた。次の図表も自ら描いたものだがたいへん懐かしい。

Img_20220223_205637Img_20220223_210920

この時(1993年11月発表)の論文は、国立国会図書館のデジタルコレクション(学会誌は1994年7月発行)に収められているので、そちらをご笑覧ください。

この学会発表がご縁となり、大分県の豊の国シンポジウム(大分医科大学主催)から招待され、”情報と情報財”についての講演話しが舞い込んだ。しかもノーベル化学賞受賞者福井博士の前座で”情報と情報財”の講演を行うのである。嬉しさ100倍である。

Img_20220223_210017

 

Img_20220223_210100

福井先生の写真の下にある会場の写真に私と後に東大教授になる川口さんも隣同士で写っている。統一テーマは「発想の原点を探る」である。私は、とうとう念願の「情報創造と情報財」について招待講演を行った(1994年5月)。

これらの「情報と情報財」に関する一連の研究が1987年から始まり、2007年から2020年3月まで連続13年間務めることになる総務省の”地域情報化アドバイザー”に繋がるのである。

 

4.研究テーマが面白ければ、それは芋ずる式に広がっていく


私は銀行系シンクタンクの仕事で、全国各地のテーマパークを取材しました。特にTDLには70回(現場主義)以上通いつめました。今は、インターネットの時代ですから、当時私が書いた論文や寄稿を見たマスコミから今でも問い合わせが来ます。このことは研究者冥利につきます。
*
そして研究テーマが面白ければ、それは芋ずる式に広がっていくことを実感しました。日本のテーマパークを中心にあえてそのストリーを公開しましょう。特に10代の若者には、「研究者はおススメの職業である」と言いたいです。もし中学・高校などから講演の依頼があれば、いつでも出かける用意があります。
*
1990年代前半に銀行のシンクタンク勤務で感じたことを述べてみよう。1991年に私が調査した日本全国のテーマパーク事業は、当時クライアントから求められた調査研究テーマの一つであった。1983年4月15日に東京ディズニーランドが開園してから8年が経過し、わが国のテーマパークの事業要因を考察してほしいという要望に基づいて行われたものである。わが国のエンターテイメントビジネスはまだ黎明期であった。

1992年のテーマパーク研究の報告書は、3月版、9月版と2冊あり、2年度に渡って実施され、クライアントに納品された後、早速研究所の機関誌にその概要記事を書くようにと業務命令が来たが、その結果が機関誌(1993年1月号、住信基礎研究所発行)に掲載された小論である。

しばらくして研究所の機関誌を見た外部の出版社から原稿依頼がきた。当時は外部への講演や寄稿は、研究所にその謝礼金や印税の半分を納めれば自由にやってよいことになっていた。続いて週刊ダイヤモンドへの寄稿は、1993年9月4日号である。

そして日本経済新聞社からの取材や銀座にあるレジャー&レクパーク関係の出版社からも寄稿の依頼がきた。それが、「レジャーランド&レクパーク総覧1994」の第一章「日本のレジャーランド考」(1993年11月発行)への寄稿である。

同時期に日本経営診断学会からも全国大会(東京・玉川大学にて開催)での発表依頼と学会誌への論文執筆となった。

私にとって研究者冥利に尽きないことは、この芋づる式の仕事発生や次の移籍先(1994年より)の研究所(オムロンの社会文化研究所)で、”コミュニティ・ビジネスが、地域コミュニティを元気にする”という新たな研究テーマとなって、世間に求められ、全国各地を巡回する3000回を超える講演会となって、大きな花を咲かすのである。


29歳で普通のビジネスマンから研究所の研究員となり、かつ成果報酬による年棒制となり、時間を気にすることもなく、眠気と格闘しながら、自由に自分の研究テーマを考える時間が出来たことが、時には徹夜もいとわず、1週間同じ研究命題を考え続ける研究グセが付いたことである。このような研究グセも研究者としての矜持の一つである。

その想いの源は、当時日本のテーマパーク業界は、アメリカのようなショービジネスやエンターテイメントビジネスに関する知見やノウハウの蓄積に乏しく、特に、地方で苦戦している中規模の新規テーマパークを視察する度に、地方には地方にふさわしい地域資源を活用した、住民主体の小規模事業(地域おこし)があるはずだ、という想いを強くしたのである。

この想いが、1994年より移籍する新たな研究所(社会文化研究所)の地方創生の研究で、”コミュニティ・ビジネス(住民主体のスモール・ビジネス)が地域コミュニティを元気にする”という研究テーマとなって、大きく花を咲かすのである。

そして、その後、着工中の日本映画のテーマパークや”峠と鉄道”のテーマパークの事業性評価の仕事が入り、公私ともに忙しくなる。またアトムで有名なプロダクションから自社のテーマパーク構想に関する事業計画書を見て欲しいという連絡が入り、その協力に応じたが、そのテーマパークの着手、完成を見なかったことがしごく残念なことであった。当時景気がわるかったことも一因であるが、テーマパーク事業に着手しないことも選択肢の一つであり、当時としては、社長の熟慮の末の大英断だったかもしれない。


こうした成功率の低い中・大規模なテーマパーク事業が、次に研究着手していった”住民主導のスモールビジネス”である”コミュニティ・ビジネス研究の反面教師”となって、世の中を少しずつ変えていったのである。この30数年前から始めたコミュニティ・ビジネスの研究は、私のライフワークとなり、国内はもとより東アジアの国々からも講演の依頼や出版の話しが舞い込み、古希を迎えようとする今でもその準備に余念がない。
(つづく)

☆彡

2025年8月21日 (木)

ムーミンパパの老後エッセイ

1970年代の多摩ニュータウン南東端に連なる柿生の里の住宅開発の様子が、山室静のエッセイから読み取れて懐かしい。

Img_20250811_142209Img_20250824_140123

Img_20250824_140743

かつて私も住んでいた柿生の里の環境激変だ。山室さんは1949年から柿生の里に住み、日本にムーミンを紹介した児童文学者で、信州佐久岩村田の出身だ。私も信州大学で4年間勉学に励んだ。

Img_20250816_094633

地元の図書館から取り寄せた山室文学。老後の読書に最適な山室静さんの三大エッセイ集だ。柿生の里には狐狸庵先生こと遠藤周作先生も1963年から柿生(玉川学園)の里に住んでいた。同じ里のムジナたちだ。

Img_20250822_072103

☆彡

2025年7月29日 (火)

若者には、研究者はおススメの職業である


むかしむかし、私は銀行系シンクタンクの仕事で、全国各地のテーマパークを取材しました。特にTDLには70回(現場主義)以上通いつめました。インターネットの時代ですから、今でも当時の論文や寄稿を見たマスコミから問い合わせが来ます。このことは研究者冥利につきます。
*
そして研究テーマが面白ければ、それは芋ずる式に広がっていくことを実感しました。日本のテーマパークを中心にあえてそのストリーを公開しましょう。特に10代の若者には、「研究者はおススメの職業である」と言いたいです。もし中学・高校などから講演の依頼があれば、いつでも出かける用意があります。
*
Img_20250728_121559Img_20250728_121843
最近の流行は、恐竜アトラクションだ
###########################

1990年代前半に銀行のシンクタンク勤務で感じたことを述べてみよう。1991年に私が調査した日本全国のテーマパーク事業は、当時クライアントから求められた調査研究テーマの一つであった。1983年4月15日に東京ディズニーランドが開園してから8年が経過し、わが国のテーマパークの事業要因を考察してほしいという要望に基づいて行われたものである。わが国のエンターテイメントビジネスはまだ黎明期であった。

1992年のテーマパーク研究の報告書は、3月版、9月版と2冊あり、2年度に渡って実施され、クライアントに納品された後、早速研究所の機関誌にその概要記事を書くようにと業務命令が来たが、その結果が機関誌(1993年1月号、住信基礎研究所発行)に掲載された小論である。

しばらくして研究所の機関誌を見た外部の出版社から原稿依頼がきた。当時は外部への講演や寄稿は、研究所にその謝礼金や印税の半分を納めれば自由にやってよいことになっていた。続いて週刊ダイヤモンドへの寄稿は、1993年9月4日号である。

そして日本経済新聞社からの取材や銀座にあるレジャー&レクパーク関係の出版社からも寄稿の依頼がきた。それが、「レジャーランド&レクパーク総覧1994」の第一章「日本のレジャーランド考」(1993年11月発行)への寄稿である。

同時期に日本経営診断学会からも全国大会(東京・玉川大学にて開催)での発表依頼と学会誌への論文執筆となった。

一番の研究者冥利に尽きないことは、この芋づる式の仕事発生や次の移籍先(1994年より)の研究所(オムロンの社会文化研究所)で、”コミュニティ・ビジネスが、地域コミュニティを元気にする”という新たな研究テーマとなって世間に求められ、全国3000回を超える講演となって、大きな花を咲かすのである。

29歳で普通のビジネスマンから研究所の研究員となり、かつ成果報酬による年棒制となり、時間を気にすることもなく、眠気と格闘しながら、自由に自分の研究テーマを考える時間が出来たことが、時には徹夜もいとわず、1週間同じ研究命題を考え続ける研究グセが付いたことである。このような研究グセも研究者としての矜持の一つである。

その想いの源は、当時日本のテーマパーク業界は、アメリカのようなショービジネスやエンターテイメントビジネスに関する知見やノウハウの蓄積に乏しく、特に、地方で苦戦している中規模の新規テーマパークを視察する度に、地方には地方にふさわしい地域資源を活用した、住民主体の小規模事業(地域おこし)があるはずだ、という想いを強くしたのである。

この想いが、1994年より移籍する新たな研究所(社会文化研究所)の地方創生の研究で、”コミュニティ・ビジネス(住民主体のスモール・ビジネス)が地域コミュニティを元気にする”という研究テーマとなって、大きく花を咲かすのである。

そして、その後、着工中の日本映画のテーマパークや”峠と鉄道”のテーマパークの事業性評価の仕事が入り、公私ともに忙しくなる。またアトムで有名なプロダクションから自社のテーマパーク構想に関する事業計画書を見て欲しいという連絡が入り、その協力に応じたが、そのテーマパークの着手、完成を見なかったことがしごく残念なことであった。当時景気がわるかったことも一因であるが、テーマパーク事業に着手しないことも選択肢の一つであり、当時としては、社長の熟慮の末の大英断だったかもしれない。


こうした成功率の低い中・大規模なテーマパーク事業が、次に研究着手していった”住民主導のスモールビジネス”である”コミュニティ・ビジネス研究の反面教師”となって、世の中を少しずつ変えていったのである。この30数年前から始めたコミュニティ・ビジネスの研究は、私のライフワークとなり、国内はもとより東アジアの国々からも講演の依頼や出版の話しが舞い込み、古希を迎えようとする今でもその準備に余念がない。

☆彡

2025年7月11日 (金)

みずほの国のコミュニティ・ビジネス

日本の社会は、政府が先導的に未来を誘導しすぎるきらいがあり、協働作業、多世代参加を旨とした米づくりを地域コミュニティの社会的な生活基盤として、発展、成長してきたわが国や東アジアの亜熱帯モンスーンの国々では、欧米諸国とは違って、地域コミュニティそのものが社会的な問題解決の基盤となるのである。だからこそ、住民主導の地域資源を活かしたコミュニティ・ビジネスが必要不可欠なものとなるのである。
*
Img_20230131_134208_20250711102801
土器は、縄文中期の共同作業知の一つ(東京狛江市から出土)
*
一方、キリスト教を天に仰ぐソーシャル、社会的資本からのアプローチは、欧米先進国を中心に、近代大都市型の問題解決手法である。日本の頭(政府)は、明治維新以来、欧米先進国、近代大都市型の問題解決を良しとしてきたが、東アジアのモンスーン的風土は、地域コミュニティをベースしたアプローチ、すなわち住民主導の協働作業、多世代交流型のコミュニティ・ビジネスの存在(三世代交流の知恵や相互扶助、共同作業知などの生活文化)が欠かせない。そこに大きな文化差が生じているのである。
*
Img_20230218_173725
各自が自立して有機的に機能するオーケストラを表現する欧州のお土産品
*
このことは、講演や調査の仕事で国内47都道府県すべてと、そして海外での招聘講演で韓国、台湾を何度か訪問し、研究調査でも長期間滞在でタイ、マレーシア、ベトナム、中国、インド、米国、英国、ドイツ、フランス、イタリー、バチカン、スイス、オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリーなどに滞在し、各地の地域コミュニティを訪問して「日本とは違う」と気づかされました。特にキリスト教を国づくり、地域づくりの基本、すなわち生活の行動指針をキリスト教に置いている国や地域とは、その方法論で一線を画すようであり、日本には日本にあった主権在民の民主主義が必要である。
*
Imgp0395
韓国ソウルでの国際シンポジウムにて招聘講演を行う
*
20231219-00324_20241214084201
台湾客家委員会からの招聘を受け、台北市での国際経済フォーラムにて基調講演を行う
*
Img_20230407_105925_20250715091301
自戒を込めて、ミツルものは衰退する、14番目の月が程よいという鄭の漢詩
☆彡

2025年7月10日 (木)

CBNコミュニティ・ビジネス・ネットワークから「コミュニティ・ビジネス20年史」が発行されたました

コミュニティ・ビジネス・ネットワーク(CBN)は、コミュニティ・ビジネス(CB)のあゆみとして、その20年史を発行しました。

Img_20250710_080925 Img_20250710_081043

Img_20250710_081110

この冊子「コミュニティ・ビジネス20年史」には、コミュニティ・ビジネス普及のグローバル化が含まれています。

細内所長は、CB総研所長、かつCBN会長として、

2003年9月英国視察(英国外務省の招聘)、2008年9月韓国ソウル招聘講演(希望製作所の招聘)、2010年7月韓国招聘講演(京畿道福祉財団の招聘)、2017年11月韓国全州招聘講演(韓国政府系財団の招聘)、2017年12月韓国完州招聘講演(完州郡庁の招聘)、コロナ収束明けの2023年12月には、台湾客家委員会から招聘を受け、コミュニティ・ビジネスの招聘講演を台北市で行っています。

そして2007年、2008年には、細内信孝著の翻訳本2冊が韓国で発行されました。またそのころ中国の通信社からもコミュニティ・ビジネスについて取材を受けています。

いまやコミュニティ・ビジネスは、東アジア一帯にその広がりを見せています。

☆彡

2025年6月20日 (金)

私のライフワーク、研究活動を振り返る

研究者として活動した29歳から68歳までの40年間溜まりにたまった研究資料を整理(断捨離)し、近隣の公立図書館で細内所長の研究成果のヒット件数を調べてみた。

Img_20230510_152334

      ふるさとの博物館にて

細内信孝で各検索をしてみたら

次のような結果が出た。

・読売新聞のヨミダスでのヒット数は、15件

・朝日新聞のクロスサーチでのヒット数は、15件

・日経テレコンでのヒット数は、27件

・雑誌記事・論文のヒット数は、55件

・日本工業新聞「シンクタンクの目」への連載(寄稿)記事(紙面は、A3サイズの大きさ)は、4件あり

・専門紙への連載は、ダイヤニュース4回、信用金庫新聞8回、生産性新聞6回である

・Google scholarでの引用件数は、2,530件

そして

・39年間の講演回数は、3,000回(国内47都道府県全部をまわり、海外の招聘講演は5回(韓国4回、台湾1回)を超えた

・著作は27冊で

・そのうち海外における出版(韓国語版)は、2冊あり

・論文数は、64件

・テレビ・ラジオ(月一の3年間出演の湘南ビーチFMラジオは1回分のカウントとする)の出演回数は、56回を超えた

・海外視察や海外の招聘講演は、20か国に及ぶ

みんなが無料で検索できる公共財データベースのヒット件数は、

39年間の研究者として、テーマの新規性を含め、まずまずの成果ではないか。

研究の専門性は、自分で拓くもの、そして深めるもの」が、私の持論である。

当ブログ1556回目の作成にあたり、これまで共感(サポート)してくれた多くのみなさんに感謝である。

わたしの研究活動への共感に対し、感謝の言葉「どうもありがとう」

そして私の研究生活は、まだまだ続きます。

 

☆付録

東京都稲城市中央図書館(ほぼ全著作の58件)ならびに稲城市あいプラザ図書館(こちらは代表的な著作20件のみ)には、細内信孝の全著作100件(稲城市内の他館を含む)を寄贈しましたので、住民主体の地域経営や社会的起業、社会的企業等を研究するコミュニティ・ビジネスの研究者や学生には福音でしょうか。

☆彡

2025年6月 7日 (土)

わが従弟会・山羊の会(細内ブログの通算1555回記念号)

母方のわが従弟会・山羊の会は仲が良い。明治以降商家の大家族(下記写真)のもとで育ったせいか、みんな和気あいあいとしている。

先日も従弟会9回目(コロナで中断していたが再会した)の総会が新宿の南国酒家で開催されたが、特別編として今年の晩秋に名古屋開催を予定している。

そこで名古屋(愛知県)、岐阜など、今まで私が両県で仕事をしてきたその足跡を改めて紹介しよう。

岡崎市の中央図書館オープンに伴う地域デビューの講座

名古屋の将来を語る懇談会:市長主催 2005: 公式ブログ  細内所長の旅日記 

2004年開催の愛知県地域ビジネス・フェア

細内所長の岐阜県における講演会活動(2001年~今まで)はこちら: 公式ブログ  細内所長の旅日記 

今回ブログにしたためなかった講演地は他にも沢山あり、蒲郡市で開催された愛知県商工会議所連合会の講演会や北名古屋市、豊橋市、豊田市、名古屋市(教育委員会主催)、半田市、弥富市、豊川市、尾張旭市、犬山市(名鉄ホテルにて)などがある。

以外にも中京方面には足蹴く通っていたことになる。

S01

わが家のファミリーヒストリー女系編:私の原点は、母方の栃木県壬生町にある干瓢問屋小島屋の記念写真(私から4代前の当主(中央のひげ爺さんこと山羊じじぃ)とその家族、従業員たちにある。大正の中期ころか)
山羊じじぃは、今風に言えば、起業家・ベンチャーでもあった。一代で県下有数の乾物商会を作り上げた。

私の研究に関する新規性の原点は、この母方の血脈にある。

☆彡

2025年6月 4日 (水)

長嶋選手、60数年間どうもありがとう

60年前の小学校の作文に将来の夢は野球選手になると書いた。

北関東で育ち、地元に来るジャイアンツのオープ戦を毎年見に行ったが、試合前の長嶋はいつも外野までトレーニングをしにわざわざ出向いてくれた。彼一流のファンサービスだ。

Img_20250604_143541

Img_20250604_143515

大人になり、よみうりランドの近くに住むようになり三十数年が過ぎた。長嶋が時々イベントでよみうりランドに来ると分かれば、天安の前で待った。そしてその時々の彼の姿を確認した。

Img_20250604_142914

今日地元稲城市の東京ジャイアンツタウンにお別れの記帳台が設けられた。お別れの記帳をしてきた。長嶋選手、60数年間どうもありがとう。 合掌

☆彡

2025年5月23日 (金)

私の小さな社会貢献活動、細内は、著作数57冊-所蔵数96冊を寄贈、東京都稲城市立図書館6館で達成

現在、40年間にわたり自分の研究テーマの体系化を進めていますが、コロナ以降進めてきた公立図書館への寄贈、そして未寄贈の新しい報告書を書棚から見つけ出し、本日地元の東京都稲城市立中央図書館へ追加寄贈してきました。

Img_20250523_112513

200112

 

で地元稲城市における私の小さな社会貢献活動は、著作数57冊、市内の図書館における6館すべての所蔵数は合計96冊(追記:2025年9月1日現在)になりました。

細内の故郷の栃木県立図書館で著作21冊の寄贈(生まれたところの宇都宮市立中央図書館で著作16冊の寄贈)ですから、ダントツに所蔵数が多いわけです。

黎明期のコミュニティ・ビジネス研究をする方は、ぜひ東京都稲城市立中央図書館を訪ねてみてください。市民著作・細内信孝のコーナーがあり、大学生・大学院生には特におススメです。

 

Img_20250523_112522

 

細内の40年間にわたる研究として、”情報と情報財の研究”から”テーマパーク事業の研究”、そして"コミュニティ・ビジネスの研究"まで、研究者としての面白さが読み取れる著作です。"情報財"も"コミュニティ・ビジネス"も細内所長が苦心の末、生み出した言葉、概念、コンセプトであり、世の中に定着しつつある言葉です。そうした探求創作活動が研究者としての矜持です。

☆彡

2025年4月12日 (土)

2025年コミュニティ・ビジネスを想う

1552回 細内所長の旅日記・公式ブログ

あれから25年、東京都墨田区の社会実装の現場を離れて四半世紀が過ぎた

Img_20250412_164912

細内所長が行く、墨田区両国駅前横綱通り

☆彡

2025年3月22日 (土)

社会起業家とは、そしてそのネットワークとは

今回の投稿で当ブログは、1551回目の投稿になります。それを記念し、細内の旧HPのTopicsから以下転載です

当時英国の社会起業家の役割と組織の在り様が記されています。わが国おいては、今でも参考になるかと思います。

200391

ユーモアあふれる英国での修了書

2003.9.11~9.22
今回、日英の社会起業家交換プログラムの一環で、細内がブリティッシュ・カンシルから招聘され、英国の社会起業家たちと交流してきました。約2週間にわたり彼らと一緒に英国のCBの現場を視察しました。
詳細は「C.B.N.」ホームページ内のコミュニティ・ビジネス通信vol.17にも掲載されてます。

以下はCBN定例会にて報告された概要です

コミュニティ・ビジネス・ネットワーク 2003年度 

第3回定例会 CBN事務局作成
【題目】イギリスにおけるコミュニティ・ビジネスの動向
    -CANの概要とプロジェクト事例-
【講師】細内信孝、CBN理事長、埼玉女子短大客員教授

CBN細内理事長より、英国におけるコミュニティ・ビジネス活動状況をお話しいただきました。これは、昨年9月に行われた、日英社会的起業家交流プログラムで英国を訪問された際のレポートで、今回は、英国における社会的起業家創発の全英的ネットワークであるCAN(Community Action Network)を中心にお話しいただきました。

以下配布されたレジュメの要約と質疑応答です。

CAN(Community Action Network)の創設者の1人である牧師のAndrew Mawsonは、ロンドン東部のブロムリー・バイ・ボウという町のコミュニティ再生(教会を有効活用した健康生活センターの創設)に大きな役割を果たした「社会起業家」。このAndrew Mawsonと、社会起業家Adele Blakebrough、そして、Helen TaylorThompsonの3名が、1998年にCANを創設しました。
「社会起業家」とは、「政策的にアプローチできない地域社会の諸問題に対し、地域住民の積極的な参画を促しながら、行政や起業などのさまざまな団体と連携して、創造的な解決を図ることを支援する人のこと」(『英国の市民社会』The BritishCouncil)を意味します。
CANのビジョンは、「より効果的・効率的に社会問題を解決する新たな起業家の取り組みを支援すること」にあります。コミュニティの人々をつなぎ、ボランティア・非営利組織-行政-企業間の連携をはかることで、このビジョンの具現化を実践しています。

このビジョンの実現に向けて、CANは、(1)社会起業家の数を増やし、彼らの事業の質をあげること、(2)プロジェクトで彼らと協働すること、(3)社会起業家がお互い支援し合うためにネットワークを利用することができることを中心に実践しています。こうして、CANは、英国において、社会起業家の育成とネットワークを構築してきました。CANの組織体制は、本部(ロンドン)の下に8名のRegional Directorがいおり、各地域での活動をサポートする体制となっています。

事業概要
CANの具体的事業には、CAN-Onlineによる情報提供、ロンドン及び各地域のCenterでの直接的な起業支援があります。
CAN-Onlineは、Eメール、電子会議、掲示板、「補助金」情報などのデータベースで構成され、700名を超える会員が、このネットワークを共有しています。中でも、資金調達(地域再生プロジェクト、助成金など)に関する情報は2,000を超え充実しています。
CAN Centerは、オンラインを補足する役割を担い、人々が直接に情報交換・意見交換することが可能となっています。なお、会員は、「プレミア会員」「スタンダード会員」「ベーシック会員」と3種類あり、会員別に、受けられるサービスが異なります。
このような活動を展開するCANの特徴を細内理事長は、(1)全英最大・行動重視のアプローチであること、(2)積極的な連携・基金づくり、(3)国際的なネットワーク(現在、オーストラリアにCANと連携した社会起業家ネットワークを有しています。また、アメリカ、南アフリカ、南アメリカ、東西ヨーロッパの政府や組織との契約を通じて、英国以外にも、国際的なネットワーク構築に意欲的です)としています。

【事例紹介】
CANが携わっているCommunity Action Furness Projectsの事例がいくつか紹介されました。                      

以上

☆彡

       

2025年2月22日 (土)

再び、地域デビュー応援講座のご案内

研究資料の断捨離の最中に2011年に地元稲城市で実施した地域デビュー応援講座のパンフレットが出てきました。

地域デビューの応援講座は人気の講座で、最初にぎょうせい社から細内信孝編著「団塊世代の地域デビュー心得帳」(2007年)という書籍を上梓し、すぐに愛知県岡崎市から講座開設の依頼がきました。その後、山武市、連合栃木、塩尻市、東大和市など、多くの自治体から講座開設の依頼が来たものです。

Img_20250223_063850

参加されたみなさんは、地域コミュニティで素敵にご活躍されているでしょうか?

☆彡

«わが国のソフトの劣化がとても心配だ!