2009年7月 2日 (木)

ユビキタス社会への序章、ICTの利活用

ホソウチ所長に、先月総務省より地域情報化アドバイザーに委嘱するという鳩山邦夫大臣名入りの委嘱状が届いた。

所長は、仕事柄、地域社会とのインターフェースが少なくないが、一体どのくらい情報発信メディアを持っているか、以下に挙げて、これからのユビキタス社会への序章を考えてみたい。

まず、法政大学大学院で講師をしている関係で、昨年市ヶ谷のキャンパスから遠隔地3か所を同時に結ぶ、双方向のテレビ会議システムを使用して講義をした。2コマ連続(3時間)という講義時間はやや長く、ライブの講義より少し疲れるが、今年も東北、北陸、中部地方の中山間地域との間で講義が予定されており、今からたいへん楽しみだ。

また現在所長の出演・監修によるコミュニティ・ビジネスのEーラーニングシステムが、(株)ぎょうせいから発売されているが、これも受講生にあわせていつでもどこでも自由に学習ができるユビキタスの世界である。関心のある方は(株)ぎょうせいへ問い合わせてみるとよい。

コミュニティFMラジオの湘南ビーチFM(逗子・葉山地区)にも、月一だが、最終水曜日の午前10:40~20分間、「ハッピーコミュニティ・ビジネス」という生番組に出演し、CBの楽しさを聴き手に伝えている。インターネットラジオでもあるので世界中から聞くことが可能だ。インターネットを使えば、コミュニティFMラジオは古くて新しいメディアに変身する。

本業のコミュニティビジネス総合研究所と、コミュニティ・ビジネス・ネットワークという市民団体の理事長も務めており、両ホームページ上での情報発信とメーリングリストによる会員間の情報交換を推進している。メルマガも併せ持っており、現在210名を超える登録者がいる。

そしてスカイプ付きのPCは5台、モバイルPCは1台、携帯電話は2台所持し、多面的に扱うことで内外のコミュニケーション能力を高めている。スカイプはテレビ電話機能付でしかも無料なのがよい。

マスメディアのテレビの露出は少なく、年3回程出ている( 参照 http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-aa65.html )。CB起業、地域活性化、商店街振興、まちづくりの専門家として出演している。そしてライブの地方講演・ワークショップは年間75回程度、そして大学院の講義は年15回ほどある。

こうして見てくると情報通信技術(ICT)の恩恵は十分すぎるほどだ。以外に発信メディアが多いのに驚かされる。

所長は、「情報財マーケティングに関する研究」という小論文を1994年に著しているが、いまや”情報財マーケティングの盛隆時代”を迎えている。

それは”どこでもドアーのドラえもんの世界と同じ、いのままに情報を受発信でき、共感・共鳴の輪を広げることが可能なユビキタス社会の到来”といってもよいだろう。

2009年6月29日 (月)

”物もって語れ”コミュニティ・ビジネス

コミュニティ・ビジネスは”物もって語れ”が所長の身上だ

特にコミュニティ・ビジネス起業の入門者には分かりやすい言葉であろう

一昨日の土曜日はダブルヘッターで2箇所で講演をしてきた

それは千葉県の習志野市と山武(さんむ)市だ

習志野市では、市民カレッジおいて”コミュニティ・ビジネスの基本の考え方”を

山武市では、コミュニティ・ビジネス起業講座において”まちづくりとしてのコミュニティ・ビジネス”をそれぞれ2時間講演をした

両市の参加者ともたいへん熱心に聞いてくれた

さて本題に戻ろう

”物もって語れ”のコミュニティ・ビジネスだが、山武市では”山武の水”をペットボトルに詰め、”美味しい水”として売り出す計画が進んでいるという

これも広い意味でのコミュニティ・ビジネスだ

だが、ここからが本当の意味のコミュニティ・ビジネスの真骨頂が始まる

まず水から連想ゲームがスタートだ!

その美味しい水を使って地元産のお茶や珈琲(焙煎でもよし)を淹れる

そのお茶や珈琲には器が必要だ

地元産の山武杉の間伐材をコースターにし、付近の土を活用して茶器や珈琲カップを作ってもよいだろう

もし町中に空き店舗があれば、そこに喫茶室を設けてもよい

また環境ファンドとして上記一連の商品の売価10%程度をプールして”環境基金”を設けるのも良いだろう

環境基金は、まちの緑化や花いっぱい運動の強い味方になることだろう

そして、それは人々に”やる気”と”物を創る喜び”を与えることだろう

こうしてコミュニティ・ビジネスは、目に見える形の商品を創り出し、まち中に雇用の場を生み出し、まちの新たな自慢が誕生し、まちの活性化、まちの元気づくりに寄与するのである

2009年6月24日 (水)

ホソウチ所長、みのさんの朝ズバにコメント出演

 ホソウチ所長は6月22日の月曜日の朝、みのもんたさんの朝ズバ(TBS系列)にコメント出演しました

テレビ放送は8時17分ごろでしたが、最近団塊世代のアルコール依存症が増えているというテーマでした

所長のコメントは、そうならないためにはどうしたらよいかというもの

定年退職後、家に引きこもるのではなく、地域デビューをしましょうというもの

地域デビューが困難な方は、まわりの奥さん、娘さん、息子さんがお父さんの背中を押してあげましょうというもの

市役所では、「お父さんのための地域デビュー講座」や「団塊世代の地域デビュー講座」、「コミュニティ・ビジネス起業講座」など、さまざまな「市民カレッジ」を実施しています

恥ずかしがらず、そうした講座にまずは参加してみましょう

やがて顔の見える関係が地域で生まれてくることでしょう

2009年6月15日 (月)

小田急カサブランカと由利高原カサブランカ

新百合ヶ丘と聞いて小田急線の中核駅とくればかなりの通かジモティー(地元民)であろう

所長も20年前にかつて住んでいたところだ

30数年前に多摩丘陵を造成したところにできた新駅だ

お隣には本家・百合ヶ丘駅があるが、もともとは多摩丘陵のユリの群生から地名と駅名がきているらしい。ウルトラマンの団地群の空撮でモデルとされたところとしても有名だ

そばには神奈川県立百合丘高校がある

そのカサブランカ、ユリだがすでに満開になっているところもラジオやテレビから聞こえてくる

これから開花が始まるのが秋田県の由利本荘市にある”ゆり高原鉄道”沿線らしい

秋田県由利本荘市矢島町の太田さんからこれから7月までが見ごろと旅の便りが今朝届いた

今年所長が3月に彼の地を訪問して、CB起業の講演をした関係で何やらCB起業が誕生するらしい

そうした起業は子供のようでたいへん嬉しい限りだ

見かけた方はご一報ください

2009年6月11日 (木)

冷房を使わない日を設けてはどうだろうか

 今日も電車通勤で代々木の研究所まで東京の郊外部から新宿まで、60分ほど各駅停車の電車に揺られてきたが、昨日の麻生さんの環境会見が虚しく聞こえてきた。それは車内の冷房が効き過ぎで寒いくらいだ。

 盛夏は別にして、6月から寒すぎる冷房は御免である。東京圏のすべての電車の冷房とオフィスの冷房をやめたら、どれくらいCO2の削減できるのか、一度やって欲しいところだ。ちなみに1日中冷房を使わない日を設けてはどうだろうか(病院、老人ホームなどは別)。汗かくことを忘れた夏はやっぱり体に良くないのだ。

 今年も寒さの中の電車通勤が続くとなると、ぞーっとする。そして集客施設はどこも冷房が効き過ぎである。こんな足元のことができずに、環境技術のレベルの高さを自慢しても、空虚に聞こえるのは所長だけだろうか!

どこか間の抜けた世の中だ。

2009年6月 8日 (月)

コミュニティ・ビジネスと社会起業家

6月5日(金曜日)『生産性新聞』の「一言」に掲載された所長の寄稿を転載します

     

        コミュニティ・ビジネスと社会起業家

コミュニティビジネス総合研究所所長 細内 信孝

コミュニティ・ビジネスといえば、地域住民が地域の問題にビジネスの組織をもって取り組み、地域資源を活用しながら自ら問題を解決しようとすることであるが、その本質は、コミュニティの共同体論、地域の活性化論、社会起業論、NPO論、ボランティア論、社会参加論等の総合的な視座から成立している。

コミュニティ・ビジネスにおいて現場で主役となる人々は、団塊世代の退職者や子育てを終えた母さん達、そして障がい者や失業者、子育て中の母さん達であり、みんな働きたいと願ってきた人々である。そうした彼らを牽引するリーダーは“社会起業家”とも呼ばれている。

社会起業家とは、自己実現をしながら社会を変革していこうとするベンチャー精神を持つ起業家をいうが、最近若い起業家をそうした呼び方にすることが一般的に少なくない。しかし、それはけっして若い起業家の専売特許ではない。サミエル・ウルマンの言葉を借りれば、青春という“熱い心”と成し遂げようとする“実行力”を持ち合わせれば、それは年齢や性別を問わないものだ。

コミュニティ・ビジネスは、地域の諸問題に地域の仲間と一緒に取り組み、ビジネス組織を持って中長期に取り組んでいくものである。1~3年という短期間で地域の困った問題が解決するものではない。息の長い取組みであり、郷土愛をもって新しく創っていくものである。その先人を挙げれば、長野の小川の庄の権田氏、栃木のココ・ファーム・ワイナーの川田氏、滋賀の黒壁の笹原氏などである。私は、そうした郷土愛を持って地域を元気にする事業(コミュニティ・ビジネス)に取り組んでいる彼らを、本当の意味での“社会起業家”と呼んでいる。

2009年6月 6日 (土)

健康な暮らしとは人間が集住することで成立するもの

 最近限界集落や限界団地に続いて”買い物難民”の相談事が所長のところに来る。

一人暮らしの高齢者にとって食料品などの買い物は難儀なものの一つである。つれあいがいればまだ料理を作る義務感がでるが一人暮らしとなると別らしい。

大都市圏での暮らしはまだSCや商店街が買い物を届けてくれるが、人口5万人程度の地方都市になると買い物を届けてくれるところはそう多くないらしい。

当然高齢者になると食も細くなるので仕方がないのかもしれない

バイパス沿いに新しくSCが出来、近所の食料品スーパーはそうした大型SCに負けて閉店に追い込まれるところが少なくないという。

週2回程度の地域バスは本数も少なく、当然高齢者は”買い物難民”となる。

ましてや足腰に痛みを抱える高齢者は買い物にも行けやしない。

だから過疎地や地方都市では、都市部が言う”お一人さま”などと優雅なことを言ってられない状況となる。

”お一人さま”なんて何でも揃う大都市住民に好まれる言葉で、地方、過疎地ではけっして良い言葉ではない。

所長はお一人さまより大家族主義の方がむしろ好きである。

人間は所詮感情の動物であり、集住して暮らすものである。

健康な暮らしは、そうした集住のなかで成立するものだ。

わが国にはそうした健康な暮らしを維持できる集住の地域コミュニティが一体どのくらい残っているのだろうか。

すっかり少なくなってしまった

2009年6月 2日 (火)

北京の健康生活に見る

北京市内の天壇公園から見る北京の空は思ったより青かった

入場料を支払い、天壇公園内に入ると、驚いたことに高齢者たちによる小楽隊あり、カラオケあり、歌唱ショーあり、そして一方、気功をする高齢者、太極拳やバトミントンも、いずれもグループをつくり、リーダーのもとに一糸乱れぬパフォーマンスを繰り返していた

それはそれは賑やかであった

まさに10人~50人ほどの連(れん)から成る”テーマコミュニティ”である

定年退職を迎えた男女の高齢者が混じりあい、楽しそうに週末の余暇をこうして楽しんでいる

傍らのボトルに中国茶を入れて各自持参している

聞くところによると、彼の地の高齢者には年間の公園入場料が格安の60元(900円)程度らしい

比較的生活にゆとりのある年金生活者がこうしてテーマ別に集合し、レクレーションを楽しんでいる

日本と少し違う点は、月2万円程度の年金生活者でも、こうして仲間と楽しく人生を謳歌できることである

お金がなくても”健康的な生活が可能”なのだ

わが国の都市型高齢者も、こうした暮らしや群れる場を再発見しょうじゃありませんか

かって、民芸運動の濱田庄司が唱えていた”健康な暮らしの中で健康な器(うつわ)を作り続けてきました”とは、こうした北京市民のように、お金をかけなくても、健康的な暮らしが十分可能になるのだ、と気がつきました

2009年5月31日 (日)

羽田からソウル、北京、上海が日帰り圏

 先ほど4日間の北京旅行から帰国しました

彼の地は晴れの日が続き、快適な旅でした

故宮博物院、紫禁城、万里の長城、天壇公園、天安門広場、王府井と駆け足の北京でしたがビジネス街の視察と世界遺産を巡ってきました

北京のレストランである日本人から聞いた話ですが、円高の影響もあり、北京3泊4日でエアー往復と高級ホテルの宿泊、そして食事代のすべて込み込みで何と2万9800円だそうです

彼曰く、「私みたいな年金暮らしの貧乏人は安い海外旅行、金持ちは国内旅行だ」

同様な国内旅行をいくつか調べましたが、同レベルの旅行はどんなにがんばっても、料金3万9800円ほどでした

これでは国内のほとんどの観光地は太刀打ちできません

さらに2010年以降、羽田空港が拡張されれば、ソウル、北京、上海が日帰り圏になります

昨秋CB講演で招聘され、訪れたソウルは、羽田空港から金浦空港まで2時間でした

そして北京も上海も羽田空港から飛行時間は約3時間です

来年12月に青森新幹線が全線開通しますが、東京から青森まで約3時間で結ばれます

新幹線の新たな旅情(ニュータイプの食堂車の復活やジャパン・クール・コンシェルジェの配置など国際色)を創造しないと、国内の多くの観光地はこうした国際価格競争に勝ち目がありません

グローバルな競争はますます激化することでしょう

ですから中央(東京)ばかり見るのではなく、東アジアに視野を置きながら、東京を経由しないで諸外国の大都市と直接繋がるような観光・ビジネス戦略(法律も新たに創ること)が必要となることでしょう

それを別な表現でいえば”複眼思考が地域を元気にする時代の幕開け”なのです

そして本当の意味の”地域主権の時代の幕開け”です

2009年5月26日 (火)

東関親方、お疲れ様でした

 ホソウチ所長は、1994年~2001年まで、東京墨田区の両国駅前に共同事務所を構え、そこを拠点に活動をしていた関係で、よく東関親方を街中で見かけたものだ。東京で両国場所があるとき、よく親方が入り口でキップもぎりをされていた。そんな親方の真摯な態度が、みんなから好感をもたれたものだった。そして昨日の親方の相撲界定年引退は、誠に惜しまれるものだ。親方は人物的にもみんなから愛される存在だった。

 今から4年前だろうか。所長は山形での講演を終えて、新幹線に飛び乗り、グリーン車に自分の席を探したとき、わが目を疑った。何と東関親方の隣の席、つまり親方と東京までお話をさせていただいたのだ。3時間ほどであったろうか。日本人より日本人らしい情のある方だった。山形県内における東関部屋の夏合宿を終えて、山形新幹線にて帰京中での1コマであった。

 所長の年代からすると、ジェシー高見山、お疲れ様でした、と叫びたい。

 東関親方、ホントにお疲れ様でした。

2009年5月23日 (土)

ホソウチ所長の怪しい経済学(神楽坂編)

 昨日青森から帰京したばかりだが、本日土曜日は法政大学の大学院(市ヶ谷)で1コマ講義し、颯爽と神楽坂に繰り出した。五十番で中華饅頭とシュウマイを食し、その後、街歩き中にボランティアガイドさんに誘われ、ガイド料なんと千円を支払い、その群れに従った。はじめてガイドをするというボランティアさんだが、なかなか話しが上手い。暇なので練馬からガイドに来たというが正直でよい。いまどきのお母さんは暇なのか?どこの芸子さんも、舞妓さんも地元出身者が少ないという。仕方がないかと諦め、そのガイドに従う。

 神楽坂は街並みとして、また商店街としてもかなり流行っている。経済学的に見れば地方の10数万都市の経済力にも匹敵するであろう。この人込みを地方の商店街にも少しお裾分けをしたいほどである。そして神楽坂には秘密基地がたくさんあって面白い。台本書きのための旅館があったり、芸子さんの為の見番があったり、はたまた密会のホテルや旅館があったりと、その怪しい雰囲気が所長にはたまらないのだ。しかし料亭はいま6軒に減り、芸子さんも30人ほどしかいないという。所長はこの街が大好きである。路地の曲がりくねったところ、探偵ごっこのようでさらに良しである。近くにアグネスホテルもある。できれば一度宿泊したいものだ。

 そして、すぐ近くには東京物理学校、いまの理科大学がある。そこの近代科学資料館に入館したが、当ブログで以前書いた逗子市の主婦が運営・経営・解説する”理科ハウス”の方がソフト力があって面白い。あれは理科のテーマパーク。一方、その博物館はただモノが置いてあるところで、いまいちなのだ。設置目的が違うから仕方がないのか。

 かくして所長の土曜の楽しみは、市ヶ谷の大学院で「コミュニティ・ビジネス論」を講義し、こうして神楽坂界隈を徘徊することなのだ。最近よく自己を忘れるので”徘徊”でよいのである。

道元禅師に従えば、これは自己を忘れることなり、または自己を習うことなり!!、

”喝” という 天国の鈴木格禅先生のお声が聞こえてくる。

一言、「よい師を持とう」

変化の激しい時代だからこそ、大局を見失ってはいけない

 昨日は青森から帰京した

今回は谷間の朝靄が神秘的であった

この時期、浅虫温泉や下北半島でよくでるらしい

 青森新幹線も七戸駅が姿を現し、2010年12月に東京まで全線開通になるらしい

この時期の青森は薫風新緑で清々しい季節である

平日にもかかわらず1両51席の新幹線グリーン席は行きも帰りも満席であった

特に高齢者のグループ旅行が目に付いた

 浅虫温泉の石木医院のスタッフの方に横浜町に連れて行ってもらった

一面菜の花畑の黄色い高原は圧巻であった

風車の下には、黄色い絨毯が地平線まで続いていた

所長の実家はかつて兼業の養蜂家であったので、菜の花畑の蜜のにおいに鼻が動いた

 十和田市の現代美術館にも足を運んだが、ロンのスタンディング・ウーマンは一見の価値がある

駒の里らしくチェのフラワーホースもよい

同じ市内に”農園カフェひびき”という素敵なお食事処もある

障害者の就労支援の場も兼ねているがそんなことは少しも気づかない

むしろ健常者も障害者も混ざって就労の場が出来ているところが素晴らしい

 

最近の世相で少し心配なことは、大局を見失って部分最適を求める人が多いということだ

部分最適の集積は必ずしも全体の最適にはならない

変化の激しい時代、不安の時代だからこそ、大局を見失ってはいけないのだ

2009年5月 8日 (金)

上野発のアキバ系 ビックスリー家電

 山田さん、小島さん、加藤さんといって何を思われるだろうか?

 この苗字は日本中にどこにでもいらしゃる方のものだが、れっきとしたアキバ系ビックスリーの名前である。いや所長が単にそう呼んでいるだけなのかもしれない。

 その答えは、ヤマダ電機、コジマ、ケーズデンキの創業者の名前が山田さん、小島さん、加藤さんなのだ。

いずれも、アキバから北に100キロ圏に本社を置く、家電量販店の雄である。

どこに共通項があるか、解説してみよう。

 各本社は、ヤマダが高崎市、コジマが宇都宮市、ケーズが水戸市とあり、北関東の各県庁所在地にあり、鉄道でいえば高崎線、宇都宮線、常磐線の中核駅である。これらの始発駅はいずれも上野駅が拠点である。しかし上野駅のもう一つの顔は、北関東から行商人たちの現金買いの拠点であったのである。

 戦後、北関東の商売人は、現金を腹巻に詰め込み、商品買い付けに上野駅へ向ったそうだ。その現金で安く仕入れ、買い付けた商品を担いで電車(当時は汽車)に乗り込み、個人商店で安く販売したそうだ。そうした慣習から現金仕入れで、大量に安く商品を買い付ける家電量販店の仕組みが出来上ったそうだ。

 またクルマ社会の進展が、現在のロードサイド店舗を発達させた。北関東3県は1世帯あたりのクルマ保有台数が2~3台と全国トップクラスにあり、クルマがないと生活ができないライフスタイルになっている。おまけに東京と違い、郊外には広大な土地が続いており、ロードサイド店舗の大型化に拍車をかけ、ますますロードサイド店舗を進展させた。その結果、中心市街地の空洞化が加速し、商店街のシャッター通りを増やした。

 そしてバーイング・パワーの台頭である。作れば売れる時代から、消費者の安さ追求が、スケールメリットを発揮する大型専門量販店のニーズと相俟って、彼らがイニシアチブを握っている。まさにメーカー受難の時代でもある。

 こうして前述した各種要因が複雑に影響し合い、北関東という立地や風土に起因するアキバ系の家電 ビックスリーが誕生したのである。

2009年5月 7日 (木)

ムーンライト・セレナーデを聴きながら ”ありがとう”

 大好きなグレンミラーのムーンライト・セレナーデを聴きながら代々木の研究所でこのブログを書いています。

本日嬉しいことがありました。

このブログの読者から小さな可愛いプレゼントが届きました。

最近当ブログで蜜蜂のことを書きましたが、そのプレゼントには偶然にも3匹の蜜蜂が描かれていました。

以前CB総研(CBI)のHPに3匹の蜜蜂マークを用いていたことがありますが、これをご覧になって贈ってくれたのでしょうか。

 この場を借りまして御礼申し上げます

2009年5月 5日 (火)

最近の乗り物はなぜかエンジン音が”カラカラカラ”と軽いのだ

 ホソウチ所長は乗り物が大好きだ。だからこのブログのタイトルも”旅日記”となっている。

 今日も新宿から私鉄の電車に乗車したが、最近気になるのが乗り物のエンジン音だ。

 車体が軽くなったのか、最近の乗り物は、すべからくそのエンジン音が”カラカラカラ”と軽いのだ。

これは電車だけでなく、最新の飛行機や新型の自動車もそうだ。エンジン全開で頼りないその音を聞くと少し心配なのだ。

 かって所長は”シルキーシックス”と呼ばれるドイツ車に乗っていたことがある。アクセルを踏むと丹田まで響くエンジン音には正直惚れ惚れとしたものだ。

 飛行機も、電車も、自動車も、エンジンの燃費効率が向上し、車体も軽くなったのであろうが、本来乗り物と人間の一体感が醍醐味なのに、少しパワー不足の感が否めないと思うのは所長だけだろうか?

 専門家の意見を聞きたいものだ。

2009年5月 3日 (日)

旅立ちの季節、蜜蜂の分封に思う

 ホソウチ所長の旅日記も今回でちょうど100回目になる。

 この季節になるといつも思い出すのは、”蜜蜂の分封”である。

女王蜂が新しく生まれ巣箱の中で女王蜂が2匹になると、片方の女王蜂が働き蜂の一部を引き連れて巣箱から旅立っていく。これを分封といい、新たな巣分かれである。

このことは”人の世”にもあり、人にも新たな旅立ちがあり、ビジネスの世界では分離独立、暖簾わけのようなものだ。そこに新たな生命体(コミュニティ)が誕生したといってもよいだろう。

かって、わが家は兼業の養蜂家であった。所長も小学生のときから高校生のときまで、採蜜作業として日曜日になると父の手伝いをしたものだ。採蜜作業は、レンゲ蜜が取れるちょうど今頃がスタート時期である。このころから前述の”分封”が始まるのだ。

しかし蜜蜂の分封は、新たな生命体を生み出し、飛躍する大きなチャンスでもある。蜜蜂にとって分封は、子孫繁栄を約束する”生命創造のメカニズム”である。

こうしたメカニズムを内包する自然は、何と偉大なのだろうか

人が集合して作られる地域社会、コミュニティも、本来こうしたメカニズムを内包しているものだが、蜜蜂も人も、いまこうしたメカニズムが少しずつ狂い始めているという。

 

2009年5月 1日 (金)

恩師の戒め、鄭板橋に我が師を想う

中国清代の著名な芸術家、”鄭板橋”をご存知だろうか。

彼は、官試験に合格し、県知事を務めた。そして書家であり、画家であり、篆刻家でもある。

先日大学時代の恩師宅にお邪魔し、拝領してきた”鄭板橋の拓本”が表具屋で裏打ちされ、当方のコミュニティビジネス総合研究所のオフィスに掲げられた。

そこには漢詩の横書きで、”喫●是福”(●は、かけているの常用外の漢字;月が欠けると同じ意味のものらしい)と表記されている。

この拓本に書かれた意味を探しに、好奇心旺盛なホソウチ所長の図書館めぐり、古書店めぐりが始まった。

その結果、おおよその意味は、”満ち足りてしまったということは、それ以上のものがないから欠けてくる。それは損の機である。しかし自分が損すれば相手が儲かる。考えようによってはそんなことで悩むことはない。そう考えて過ごせば心安らかでいられる。心安らかでいられることこそ、そこに幸せがくるものだ。”

CB総研として独立して10年、恩師の戒めは、20歳代の研究者を志すとき、そして今回と得がたいものを頂いたようだ。

2009年4月29日 (水)

幸せを呼ぶドクターズ・コレクション

 ホソウチ所長は、一昨日水戸の茨城NPOセンターで社会起業家、社会的企業についてお話をしてきた(1997年、1998年、2003年と英国、米国の社会起業家たちと交流してきた)。

 行きのスーパーひたちの車窓からは、ハス田での作業風景、トラクターでの田植え風景が次々と過ぎ去っていった。そして紫峰筑波山は何度見てもいい。M字型の山容は牛の爪をついイメージしてしまう。

 昨日は、帰りの電車まで少し時間があったので茨城県近代美術館へ行ってきた。

 一人のコレクターが集めた300点近い版画の展示であった。特に圧巻は木版画家清宮質文の作品を30年をかけてコツコツと蒐集してきたコレクションであった。

 清宮質文の木版画は、神田神保町の版画屋で何点か拝見してきたが、初期の作品も含め、これだけのコレクションは見たことがない。たいへん見ごたえのある展覧会だ。予定の時間より特急電車を1本遅らせて鑑賞してしまった。

 さてこれだけのコレクションだが茨城県内に在住する一人のドクターが寄贈してこの展覧会が生まれたそうだ。わが国の生活文化は豊かになった。一個人がこれだけの質と量の木版画を収集できるのだから。

 昨年末講演で訪れた愛知県岡崎市にもドクターズ・コレクションがあった。ジャズレコードのコレクション(内田コレクションという)が新しくできた公共施設内に常設展示(音源が聞ける)されていた。わが国のジャズの歴史と度々ご当地を訪れていたジャズメンたち、ドクターや市民との交流の場面場面を展示していた。

 一市民が蒐集してきたこうした作品を公共施設に寄贈することは、たいへんよいことだ。小生も先人を見習いたいものだ。

 豊かだからこそ、こうして寄贈もできる。しかし、それを地域社会に還元することでさらに周りの人々をも幸せにすることができる。

2009年4月28日 (火)

夏が来れば思い出す、アロハ姿のサーファー課長

 夏が来れば思い出す、はるかな富士、遠い空。

関東で一番早く”海開きをするまち”をみなさんご存知だろうか。

ホソウチ所長が仕事でお付き合いしていたその町の観光課長は知る人ぞ知る”サーファー課長”である。

”役得”なのか、それとも”波乗り”と言う”一芸に秀でている”のか。とにかく彼はかっこよく”モテル”のだ。

海開きの時季になると彼は”アロハシャツ”を着て庁舎内を闊歩する。

一年中、彼の顔は”真っ黒”で知らない人が見れば明らかに”プロサーファー”である。

サーファー課長は、今年もアロハ姿で”岡サーファー”に徹し、自分のまちをPRするのだろうか?

今年も遥かに”富士”を望みながら湘南に夏が来る。

2009年4月27日 (月)

親の介護を考える

 私事だが母を亡くして3年になる

 最後はホスピスで静かに息をひきとった。亡くなる日の当日、所長には基調講演とシンポジウム・コーディネーターの仕事があり、危篤の中で仕事場に出かけて行った。”親の死に目には会えない”とはこのことか、と思って仕事場に向った。

 大学病院から”ホスピス”への転院ため救急車に同乗し、”がん難民”とはこのことか、と実感した。

 北関東にある大学病院には”原則3ヶ月”しかいられなく、どこでもそうだが治癒の見込みのない病人には”容赦なく転院”を迫った。病院探しは家族にとって大変な負担である。

 東京から北関東の大学病院まで、発病後の8ヶ月間で67回も通った。仕事をしながらの見舞い・介護はまわりの家族に大きな負担がかかる。

 ちょうどいま、芸能人の親の介護疲れの話しが隣りのテレビから流れている。

親の介護はけして他人事ではない。

 私も、もしあのままの状態が続いていたら、1年ももたなかっただろう。

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