細内さんお勧めの講演、研修講座

先日ある自治体の職員さんから、細内さんのおすすめ講演、研修、講座は何ですか、と聞かれました。そこで次の研修、講座をご紹介しました。

みなさんも、よろしかったら次の研修、講座のプログラム内容をご確認ください。

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仕事の三種の神器、愛用のメガネと受賞記念の時計、そして愛用の万年筆

コミュニティの現場で地域の社会起業家を生み出すには時間がかかりますが、着実に一歩一歩研修、講座をすすめることが、地域コミュニティに数多くのコミュニティ・ビジネス(CB)を生み出します。
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グループに分かれて問題解決のワークショップ(北海道・旭川の中小企業大学校にて)
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日本生涯スポーツ学会における基調講演(大阪・あべのハルカスにて)
☆彡

2023年4月21日 (金)

縄文、弥生、古代への誘い

私の中で最近とみに考古学への関心が高まっている。

以前当ブログでも公表したが、

楯築弥生墳丘墓遺跡の謎に迫る」や「気ままに縄文土偶に触れる旅」などを掲載しているが、

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岡山楯築遺跡の亀石と弥生墳丘墓紹介のパネル(円墳の左右に取っ手が2つ付いているような形をしている)


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北海道函館付近の土偶たち、最初の顔の土偶は笑顔が素敵だ、下の土偶は中空土偶で北海道初の国宝となっている。

 

細内所長の旅日記: 2013年6月

群馬での講演帰りに上毛の観音山古墳にて、古代への思いを強くした。

いずれも講演後に立ち寄らさせていただいたものだ。

☆彡

2023年4月15日 (土)

朝ドラ「らんまん」と牧野富太郎博士

小学生のとき読んだ「植物学者・牧野富太郎物語」が、今の研究者としてのベースにある。

この4月からNHK連続テレビ小説「らんまん」は牧野富太郎がその主人公として描かれているが、私は小学生のときから牧野富太郎のような科学者を目指していたが、研究という道は歩んだもののコミュニティの研究という社会科学の分野に進んでしまったようだ。

中学1年の時、小生がまとめた「ミツバチの研究」(実家の母が養蜂店を経営)が宇都宮市教育委員会が主催するコンクールで理科の部の銀賞を受賞した。

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また近著の「新版コミュニティ・ビジネス細内信孝さんからのメッセージ (gakugei-pub.jp) 」学芸出版社のコラム(95ページ参照)で牧野富太郎と龍馬のことを紹介した。

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そのベースとなったのが次の当ブログである。

2010年2月11日 (木)の細内ブログ「坂本龍馬と牧野富太郎」より

先週の高知講演では、講演の合間をみて坂本龍馬記念館と牧野富太郎記念館を訪ねてきた

坂本龍馬はほとんどの国民が知っているだろうが、牧野富太郎は理科系の人間でもすぐに分かる人は少ないだろう

両者を比較すると、龍馬のような国家に大革命をもたらす人材は100万人に一人でればよいが、牧野のような植物学者、すなわち科学者は多ければ多いほどよいというのが小生の考えだ(科学の進歩が経済発展を促し、人々の暮らしを豊かにするから)

40年前の小学生の頃、学者・牧野富太郎の伝記を読んで科学者をめざしたホソウチ所長ではあるが、結果は地域経済、コミュニティ振興の研究者となった(シンクタンクなどの研究所勤務は24年間)。牧野博士同様、小生も大学では非常勤(万年)講師としてすでに12年が経過した(牧野富太郎博士は東京大学講師を約50年近く務めたが、さまざまな事情でとうとう教授にはなれなかった)

今思うに子供の頃読んだ伝記の刷り込みが、現在の小生の姿に投影しているものなのか、それとも自分はこの程度の実力だったのかと思い、牧野富太郎記念館を後にした次第である

先人を敬うこと、先人になれることは、子供の頃から始めたほうがよい」が小生の体験談だ

坂本龍馬記念館は個人の寄付金などで完成したと聞いたとき、高知人の懐の深さに感じ入った次第である

ちなみに坂本龍馬像も高知の青年たちの先人を敬う気持ちで寄付金が集められ、桂浜に建ったそうだ

今、坂本龍馬像と坂本龍馬記念館は高知の桂浜にある

一度訪ねられることをお薦めする

http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-840f.html

好奇心旺盛な私は、後日東京八王子南大沢の都立大に保管されている牧野の植物標本50万点(牧野標本館)と練馬区の牧野記念庭園記念館(牧野の自宅跡地)を訪ねたのはいうまでもない。

一つの結論として子供のころから好奇心旺盛で探求好きな青少年を育成することが大切だ。

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2023年4月12日 (水)

細内所長の旅日記ブログが1500回を達成しました

当ブログで、とうとう1500回のブログを達成しました。

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本日4月12日は22年前に住んでいた神奈川県川崎市菅北浦の薬師堂に大願成就のお礼のため参拝してきました。この薬師堂は1187年に頼朝の御家人稲毛三郎が建立し、義経の母・常盤御前の霊をお守りしているそうです。

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眼が良くなる薬師如来様と菅の獅子舞が特に有名です。また菅北浦は黒澤監督の「7人の侍」(東宝1954年公開)のロケ地でもあったそうです。現在の西菅の日本女子大通りだそうです。

菅薬師奉賛会の広田会長さんと一緒に写真を撮らさせていただきました。

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このお面は私が京都・奈良の修学旅行時に購入したもので、その後ご近所に住んでいるときに寄進したものです。

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薬師堂近くのコミュニティ・ガーデン

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2023年4月 7日 (金)

満月は慢心を生む。だから私は14番目の月が好き

清代の鄭板橋の書画を10数年前に大学時代の恩師からいただいた。恩師が中国講演時に博物館でその拓本を購入されたものらしい。板橋の文字はユニークでまるで跳ねているようだ。

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意訳すると「満月に満たないところに努力する心が起きる」らしい。

ユーミンの歌曲に「14番目の月が好き」という歌もある。

日光東照宮の陽明門の4柱のうち1本は逆さ柱で今だ完成されていないという。

満月は慢心を生む。心に隙が生じる。

腹八分目、過ぎたるは及ばざるがごとしが人生の成功かつ長生きの秘訣らしい。

松平家康が良い見本である。

(細内のFBと同時配信)

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2023年4月 3日 (月)

私の公用パスポート

1993年1月の30年前に使用した公用パスポート(外務省発行)が出てきた。
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思い出すと、当時勤務していた住友信託銀行の研究所から国際開発センターに出向し、出向先からJICA派遣となり、東南アジアのマレーシア、タイ調査団の一員として、約1か月間にわたり使用したものだ。
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パスポートには官職名と渡航先が記載されている。
それ以降、公用パスポートの再発行はない。
ただし、中央官庁等の各種委員は以下の通り多数こなしている。
  • 通商産業省(中心市街地活性化室コミュニティ・ビジネス検討委員 2000年度 )
  • 経済産業省(市民ベンチャー事業推進委員 2002年度 、環境コミュニティ・ビジネス事業推進委員 2003年度 )
  • 国土交通省(地域づくり戦略研究会委員 2004年度 )
  • 総務省(住民サービスワーキンググループ構成員 2004年度 、地域情報化アドバイザー 2007年度~2019年度(13年間) 、地域情報化評価会(ユビキタスタウン)委員 2009年度 、ICT地域マネージャー 2015年度 )
  • 厚生労働省(雇用創出企画会議委員 2004年度 )
  • 内閣府(男女共同参画局地域活性化事例研究事業アドバイザー(女性起業アドバイザー) 2006年度 )
  • 参議院(議会事務局 地域コミュニティ再生研究会委員 2008年度 )
  • 墨田区(産業振興会議委員 1999年度~2000年度)
  • 三鷹市(商工振興対策審議会委員 2001年度~2013年度)
  • 横浜市(市民経済雇用活性化戦略会議委員 2002年度)
  • 名古屋市(名古屋の将来を語る懇談会委員 2005年度) 
  • 青森県(「あおもり人財ネットワーク」コーディネーター 2009年度)
  • 青森県(青森県農山漁村「地域経営」人財ネット・コーディネーター 2019年度~2022年度)
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2023年4月 1日 (土)

映画WINNYに見る、自滅する技術大国・日本の驕り?

先日東京都立大近くで「WINNY」という映画を見てきた。著作権という現代の知的課題をどうとらえ、どう処理していくのか。米国のガーファ(Google、Amazon、Facebook、Apple)が新産業(生活のプラットホームを提供)として成立する前にも日本にその萌芽があった。インターネット・ソフトウェア「WINNY」はその一つである。そして著作権法違反ほう助で告訴された天才プログラマー金子氏の闘争物語である。

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日本ではなかなかイノベーションが起きないが、その萌芽が育たない原因を考える上できっかけとなる映画である。

最近日本の野球やサッカー、バスケなどのプロスポーツが隆盛を見せる中、日本製のロケットが不発を起こしたり、国産ジェット機がマーケットに離陸できなかったり、試運転中のLRTが脱線したりと、日本の技術力の低下が大きく心配される訳である。

次の一手をどう打つか、GDPがまもなくドイツ(人口約8千万人で日本の人口の2/3で、いかにその生産性が高いかが分かる)にも抜かれ、世界第四位に繰り下がろうとしている我が国にとって考えさせられる昨今である。

細内のFBと同時配信

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2023年3月28日 (火)

小口一郎版画から読み取る、明治の環境活動家・田中正造の雄叫び!

最終日の雨の中、熱血版画家の小口一郎展を郷土の栃木県立美術館で見てきた。そのポスターは明治の環境活動家・田中正造の雄叫び、足尾鉱毒事件を描く、小口一郎の版画「野の叫び」は、多くの人々の魂を打つものがある。
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足尾鉱毒の窮状を明治天皇に訴えた田中正造(元衆議院議員/下野の農民)のこうした一連の環境運動を他人事と思うことからの脱却が、今の日本社会には必要だ。知識としてのSDGsでは次の世代に伝わらない。
扇面(筆者所有)の決意表明が次の写真だが、彼は真に芯がある日本が誇る環境活動家である。
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(細内のFBと同時配信)
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2023年3月 1日 (水)

コミュニティ・ビジネスと地域のお土産・特産品(宇都宮市編)

人物から地域コミュニティに入るのも地域活性化策の一つ。
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ふるさと宇都宮市の事例から紐解くと、まずは英語教師、木版画家の川上澄生を紹介しよう。南蛮・明治懐古調の作風が今でも多くの人々を楽しませている。横浜生まれのあだ名は宇都宮宮司。東京の版画仲間からそう呼ばれていたらしい。
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次に足尾鉱毒の窮状を明治天皇に訴えた田中正造(元県会議員、元衆議院議員/下野の農民、田中正造翁に見るSDGsの他人事からの脱却: 細内所長の旅日記 hosouchi188@gmail.com (cocolog-nifty.com) )、その扇面の決意表明がこれ。芯のある明治の環境活動家である。
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そして昭和9年に宇都宮で行われた日米野球の最終戦の記念碑がこれだ。ベーブルースがやってきて地元の球場を超満員にしたことが記されている。地元産の大谷石を取り入れた球場だ。
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地域にはこうした”人物の資源”がたくさん眠っている。
これら無関係なことに新たな道筋をつけ、結びつけていくことから、新たな地域づくりが始まる。
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2023年2月25日 (土)

昆虫の多いマレーシアで動く虫のおもちゃ

1990年代前半、住信の基礎研究所から財団法人国際開発センターに出向し、JICA派遣のフォローアップ調査でタイ、マレーシアに約1か月間滞在しました。

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その際購入したお土産が、この動く虫のおもちゃでした。

実際マレーシアは昆虫が多く、その多様性に驚かされました。

☆彡

細内のFBと同時配信

2023年2月23日 (木)

逗子から出た毎日巻きのゼンマイ式置時計

2000年代神奈川県逗子市のCB講座で5年間通ったが、逗子の街中の骨董屋で思わず購入したのがこの毎日巻きゼンマイ式石枠置時計(精工舎製)。
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保証書の日付は昭和21年10月13日で1946年のこと、戦後1年しかたっていない代物。毎日巻きは鳩時計にもあるが、当時のライフスタイルはのんびりしたものだろう。
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逗子は鎌倉と葉山に挟まれた湘南の別荘地帯で、そこから出たものでおまけに保証書まで付いているのは珍しい。「はっとり和光」は、いまの「銀座和光」のこと。今でも動くお気に入りの一点である。

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2023年2月22日 (水)

あなたは他社でも通用するか?人材のフローを高め、そして自己責任のもともっと自由を!



この日本地図は、細内が地域づくりの講演やセミナー、調査で歩いてきたところをプロットしたものである。その回数は30数年間で3000回を超えた。カメラの関係で収まり切れない北海道は、旭川、芦別、美瑛、十勝、登別、小樽、札幌、椴法華村、函館、厚真町など、市町村名でご容赦いただきたい。中小企業大学校旭川校の講師もしていたので、北海道中の商工会指導員の方とも接することができた。たしか平成の大合併で合併しない独立系の町村が一番多い都道府県は北海道である。少子高齢化の影響により人口減少の影響を大きく受けている。行政の町村経営は財政的にも深刻な状況を迎えているのは言うまでもない。この人口減少、財政難は全国的な現象であるからだ。

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北は北海道の旭川から南は沖縄の那覇まで。首都圏は真っ赤になってしまうのでたとえセミナーやワークショップで数十回訪問しても一重〇しかつけていない。2001年に独立して壁に貼っていたのでもれている町村もある。どれも旅費付きの仕事で呼んでいただいたものだ。
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最初はヒラの研究員、次に副主任研究員、そして研究課長、主任研究員と階段を上るようにプロの世界に飛び込んだ。その気があれば、進路は自分で決められるメリットもあったが、開拓者としての苦難も少なくなかった。
世間の波を泳いでいけるか、他社でも通用するか?退職金はほとんどなく、よっていまだに現役である。でも自己責任のもと自由である。
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副業と生業の合間に民芸論が新たな視点を訴える

信州は木の国である。

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大町市の講演時に購入したのがシャクナゲの絵が彫られた木箱。

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そして農民美術の人形は、上田市の商店街活性化講演時の帰りに山本鼎(農民美術の提唱者)記念館で購入した男女の人形。

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商店街の工芸店では上田獅子の木のプレートを購入。いずれも農民美術のおみやげ品。農民の副業から生業に進化していった代物。風土産業論から見ても地域資源を活用した地域の生業ビジネスだ。

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しかし柳宗悦は民芸論の立場からこうした農民美術品に嚙みついている

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2023年2月19日 (日)

コミュニティ・ビジネスと地域のお土産・特産品

コミュニティ・ビジネスと地域のお土産・特産品(秋田編)

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この金運なまはげは、秋田講演の帰り、秋田駅で購入したもの。

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秋田県におけるコミュニティ・ビジネスの取組み
http://media.wix.com/ugd/7ed173_122e06cedb3b48568662e9cec46c03ab.pdf

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コミュニティ・ビジネスと地域のお土産・特産品(栃木編)

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この足尾焼は、日光足尾講演の帰り、地域の方からいただいたもの。


栃木県日光市におけるコミュニティ・ビジネスの取組み

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コミュニティ・ビジネスと地域のお土産・特産品(岡山編)
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この備前焼の犬は、津山講演の帰り、岡山市内で購入したもの。
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2023年2月17日 (金)

世の中の潮目を感じ取る眼を養う

2023年2月12日の日経新聞によると、2022年の動画広告市場は5600億円に達し、対前年で33%の増加を記録したらしい。そしてこの2月に入り、15年間営業していた近所のCD・DVDのレンタルショップが閉店した。

この二つの事象を鑑みると、動画メディアの進化が猛スピードで浸透しいることが身近に感じた。もの(DVD)を借りて映像を見ることから携帯電話やテレビのインターネットを活用し、動画を見ることへの進化。実業の経済は、こうした変化の潮目を読み取ることが大切になってくる。

今後東京23区に新設・増設する大学のデータサイエンス科はこうした潮目の研究を更に究めて欲しいものだ。

情報財マーケティングの創設者(1994)より 

情報財マーケティングに関する研究 | CiNii Research

そもそもの始まりは、

  • 細内信孝「情報財の基礎理論に関する研究」『産能短期大学紀要 第23号』1990年2月 p.91-101

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格言:綺麗なバラには棘がある

この縄文土器、東京狛江市の泉龍寺(小田急線狛江駅前)から出土したもの。5000年前の縄文中期の時代物。泉龍寺仏教文庫にて館長の許可を得て撮影した。素晴らしい先人たちの造形物だ

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隈さん設計の角川武蔵野ミュージアムの外観と館内、そしてアニメのフィギュア展示など、現代の日本社会を象徴している。しかし肝は併設の現代風の武蔵野にいます神社だ。

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本の殿堂、角川武蔵野ミュージアムに行ってきました。そこで創業期(角川源義)の苦しい書店経営の話しが掲載されていました(源義は「三太郎の日記」のヒットで経営を立て直す)。私も経験しましたが、実業の経営者は長い実業経営の中で必ず苦しい局面を迎えるということは言うまでもありません。

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2023年2月11日 (土)

拙著「我が家の女系史伝」コミュニティビジネス総合研究所出版部のその後の展開

拙著『我が家の女系史伝』に関する土山公仁さん(元岐阜市歴史博物館学芸員)のコメントを以下に記します。

著者の細内信孝さんは本にも書いてあるように50を過ぎてから ご先祖様さがしに熱中した方である。フルタイムで働く男性の場合、現役の時はなかなか歴史系博物館にも足をはこばなかったが、退職後、歴史に興味をもちご先祖さがしをされる方は一定の割合でいる。その場合、博物館の熱心なリピーターにもなってくれる。細内さんの場合、現役時代に興味をもちはじめたこと、仕事がら全国をとびまわり、その合間に各地の博物館、図書館、史跡、寺院等に足しげくお通いになったことが著書からもうかがうことができる。つちやまも博物館時代におたずねいただき、つちやまの退職後はどうやってと思うがお友達も少ない時期のFBを発見されてしまった。

テレビの影響もあるのだろうファミリーヒストリーはひそかなブームではある。豊田市で現在計画中の博物館もHP情報を見るとそれを正面からとりあげるらしい。いいアイデアだと思うが、それをやるにはかなりのマンパワーが必要なのと個人情報の問題をどうクリアーするのだろうと注視しているところだ。

さて、同書は年末に送っていただいたもので。コメントも求められていたが、年末年始は酒浸りの巣ごもり生活で調子がつかめず、大学の準備もぎりぎりで、その後、シラバス作成、成績付けのため学生からのレポートに格闘していて、手が回らず、今にいたった。

コメントするといっても、著者がわたしのもとをたずねたのは、長井隼人道利がらみだったし、江戸時代に続く井上家については格段知見もないので、関心のある部分に限ったコメである。

長井道利は長井隼人として『信長公記』にも度々登場する人物である。斎藤道三の弟もしくは子供とされているが、土山は道利と面識のあった日重の『見聞愚案記』に記されたように道三の弟でいいと思っている。父親は『六角承禎条書』にある長井新左衛門尉ということになる。細内さんも引いている一部の系図で父親を長井豊後守利隆とするものもあるが、少なくとも利隆は斎藤姓で持是院家をついだ人物だ。斎藤家での系図上の位置は確定できないが、土山は妙椿の子説、これは美濃の刀剣をあつかった図録で書いたことがある。

長井豊後守という記述は美濃の情勢に関しては良好な情報をもとに記された『江濃記』に道三の父親として登場する。道三の養子とも伝えられる正義が斎藤姓を名乗り、金山城主になっているが、これは斎藤利隆(妙全)の養子になったという体裁をとったものだろう。正義は天文8年の寿像が残っている。道三じしんの改姓については天文10年11月の『石山本願寺日記』に斎藤左近太夫(道三)を長井新九郎(道三)の事と注記があるので、正義の改姓より遅れるだろう。先に養子を斎藤家に送り込み、その後で自らも斎藤姓に改めたというのがつちやまの考えである。よって、道三が斎藤利隆の養子という説には賛同していない。なお正義が城主だった金山城は後に道利も城主になったという説がある。御嵩町顔戸の八幡社の永禄8年の棟札がその証拠としてあげられることが多いが道利の子孫『井上家伝書』に同様な記載があることは、この著作から知った。だとすると、持是院家を引き継いだ正義の権益は道利にひきつがれたことになるだろう。

先にあげた長井豊後守は現在の本巣市の用水に権益をもっていたことが、安藤家文書からもうかがえる。安藤家文書の別な史料に登場する長井直弘なる人物も道三と近い関係にあり、永禄4年の段階で長井隼人の所領もその近辺にあった可能性を『信長徹底解説』の中の美濃攻略に関する原稿で指摘してみたことがある。

長井隼人室の父、稲葉宗張については、博物館時代にお話はきいていたが、今回の著作で稲葉一鉄の兄とお考えであることがわかった。一鉄の父や兄たちが戦死した牧田合戦は大永5年のことと考えられており、宗張の画像賛からは大永6年宗張が生きていた時代に描かれた寿像であることもわかるので、もう少し他の可能性もさぐった方がよいのではと思う。

道三と義龍の最終決戦で、道三に最初にくみついた『信長公記』にも登場する長井忠左衛門を道利の子とする伝承が池田家に伝えられていたことは初めて知った。次にこの辺りを触れる際は使わせてもらおうと思う。

道利の最期については、『寛政重修譜』等で記された義昭の命で和田惟政救援に向かい白井川原で戦死したことが簡単に触れ、義昭が信長と反目していたことが記されていたがもう少し追及してほしかった。元亀2年8月の畿内の状況は複雑怪奇で義昭と信長の関係もすでに破綻していたとは思うが、公然と対立していたわけではない。また、宛先は不明であるが天正弐年正月晦日に信長が長井隼人の旧領を宛がった文書もある。永禄10年9月、信長の稲葉山城奪取時に、長井道利は龍興とともに美濃を後にした。しばらく二人はともに反信長運動に参加するが、どこかの時点で道利は信長に仕えることになったのではないだろうか。永禄10年から天正2年まで長井隼人の旧領ということが意識され続けたとは思えないのである。

最後に細内さんの著作は『我が家の女系史伝』となっているが、女系をたどったのは1度だけで、あとは男系の先祖をたどっている。次はすべて女系しばりでやってみてはいかがだろう。

(2021.1.26に当方へいただいたSNS(FB)の原文のまま掲載)

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☆彡
土山公仁さん、貴重なアドバイスありがとうございます。
このブックレットは、版違いで編集替えを行い、いくつかのタイトル・バージョンがあります→http://www.hosouchi.com/machischool.html 
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当方の本職はコミュニティの研究者、とりわけコミュニティ・ビジネスの研究者で、日本の地域づくりが専門です。
詳しくは細内信孝のコミュニティ・ビジネスワールドなどをご笑覧ください→ https://g.co/kgs/MvJRy2 
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当方の「岐阜県内での地域づくり」のお手伝いはこちら⇒http://cbhakase.cocolog-nifty.com/.../02/post-2470d8.html

母からの血筋に織田信定(信長の祖父)や織田信安(尾張上四郡の守護代)も入っている長井隼人の孫である井上利義(父は井上三兄弟の三男)に、お江や織田有楽斉らが大坂夏の陣後に徳川家康に彼の助命嘆願するのは当然ですね。織田本家の血筋を引く親戚の子供ですから。また織田信長に仕えるためにあえて長井姓から井の字を上げて井上姓に姓を変えた井上3兄弟(父は長井隼人)も名前を変えるのは当然だろうと思います。父親の長井隼人(斎藤義龍の家老)が反信長ですから。でも土山さんが指摘するような信長との和睦も途中であったのかもしれませんね。そうでないと長井隼人の息子3人も織田信長に仕えづらいでしょうから。
*
長井隼人道利室の父は、稲葉一鉄一族とは違う稲葉家の可能性も否定はできませんね。稲葉一族は多岐にわたるでしょうから。でも井上利義の弟は江戸期に大分の稲葉大名家の家臣になっていますし、江戸幕末まで大名稲葉家と旗本井上本家・分家は親戚関係が続いています。そして斎藤道三の娘が稲葉藩主に嫁いでいます。そして斎藤道三の血筋は、稲葉家、公家、天皇家に引き継がれていくことになります。不思議なご縁です。
☆彡

2023年1月18日 (水)

達成証明書から読み解くユーモアとウィットに富んだ英国人たち

当方事務所から面白いものが出てきた。

それは、日英社会的起業家交流プログラム(英国外務省招聘、2003年9月)の達成証明書である。日英の社会的起業家同士の交友をこうした達成証明書として発行するのは彼ら英国人らしいユーモアである。英国内を移動するときも特急列車は1時間も遅れたが、彼ら一流のウィットに富んだジョークで吹き飛ばしてくれた。宿泊施設の度重なるトラブルもトラブルインとして笑い飛ばしてくれた。フレンドリーな米国人よりも日本人の気質に合うのは英国人の方であると思ったのは、私だけではなかったようだ。一緒に行った日本の社会起業家達からも終始笑い声が絶えなかった。


写真上でGoogl レンズの翻訳(英語→日本語)を使うと、すぐに日本語の文章に変換されるようだ

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この証明書は、英国における日英の社会的起業家たち(私は社会的起業家から20年も経過したので、いまは社会的企業家を名乗っている:有限会社コミュニティビジネス研究所は創立20周年を迎えた)の交流の経緯や内容を記したものである。


その交流プログラムの内容をユーモアとウィットに富んだ表現で上述の証明書にしたためた英国の社会的起業家たち(CAN)に私は敬意を表すものである。


まず日本人ではこうした表現はできないだろう。さすが女王陛下の国(2003年9月当時)である。

#「細内の世界の社会企業家と交流」 http://www.hosouchi.com/socialentrepreneur.html から

#アンサー編として:英国チームの訪日同行記(2004年7月 筆者しるす)

☆彡

 

2022年12月16日 (金)

長野県小諸市民大学主催「地域を豊かにするコミュニティ・ビジネス」1996年

私が一人で長野県小諸市への旅に出たのが小学5年生(1969年)のとき。

ちょうど12歳の時に、嶋崎藤村の詩、草笛の響く小諸城址と浅間山の噴煙風景をテレビで見て、無性に訪れてみたくなったからである。

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あれから27年が経過し、とうとう小諸市から講演の依頼が舞い込んだのが1996年の夏である。

元小諸城主牧野の殿様の末裔の方が営んでいた物産店での立ち話から舞い込んだまちづくりの講演依頼である。

その資料が当研究所の段ボールのなかに収められたボックスから出てきた。それがこれだ。

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☆彡

2022年12月 4日 (日)

実録:社会を変える『人にやさしい仕事』6輪電動車いす

12月4日の日曜日に稲城市の若葉台公園を散策していたら、偶然にも、さいとう工房(東京都墨田区本所、斎藤省社長)の6輪電動車いす・レルのユーザーさんに会いました。

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開発の経緯を知っていたので6輪が欲しかったというユーザーさんの言葉にたいへん感動しました。許可を得て写真を撮らせていただきました。

*6輪車いすの特徴として、回転半径が4輪の車いすより短くなります。よってマンションなどのエレベーター内で向きを変えることが可能となります。まさに高齢社会の日本にとって、今後ますます必要なアイテムになります。

社会を良い方向へ変えるとは、こういうことですね。

6輪電動車いすの特許を取った斎藤省さんの仕事は、まさに人にやさしい仕事です。

*人にやさしい仕事は、思いやりの心と技術の進歩により、私たちの社会を間違いなく良い方向へ変化させます。


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よかったらご高覧ください。

細内のFBと同時配信

2022年11月19日 (土)

私も若い

1998年3月にNPO、地域社会調査で訪問した英国、仏国での写真が出てきた。

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いずれの写真も背景は、かの国を代表する建物である。

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私も若い。現地調達で身を固めている。キャップは英国で、マフラーは仏国で、アウターとリックは前回調査時のドイツで購入したもの。仕事が一番面白かった時期だ。

2022年11月17日 (木)

我々は文明開化以降の時間泥棒を断ち切れるだろうか?

明治期に福澤諭吉が作ったといわれる言葉、「経済」とはいったい何だったのだろうか。
それは極論すれば「時間」であったというのが、私の結論である。
その象徴は、かってテレビから流れてきた『開いててよかった「7-11」』や『24時間戦えますか』という言葉にも集約され、エンデの「モモ」の『時間泥棒』もそのたぐいである。
江戸時代の日本人は時間に関して鷹揚であったと外国人の旅行記などに記載されている。文明開化の鉄道開始(明治5年)の150年前ごろから時間に敏感になり、脱亜細亜を唱え、時間を気にする民族へと変貌した。
そのデメリットとして今や一億二千万の国民全員が時間泥棒に遭っているように思えてならない。その証左は世界で一番睡眠時間の短い日本人が話題になる。
新しい資本主義を提唱するどこかの国の首相に参考としてもらえればありがたい。
(細内のFBと同時配信)
(元法政大学大学院政策創造研究科兼任講師 2008年~2014年)
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東京の銀座線銀座駅にある地下鉄の父、早川徳次はいま何を思うだろうか   

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