私の気になった一枚のポスター400回、400回記念特集、埼玉県さいたま市・関東経済産業局

このポスターシリーズも400回目に到達した。

今回の事務所移転に伴い、そのままにしていた関係資料が大量に出てきたので、まだまだポスター紹介は続く予定である。経済産業省の関東経済産業局(さいたま市)から招聘を受けて、基調講演をしたのが次の資料である。これらの資料は元原稿を事務局さんに渡し、すべて用意してもらったものである。

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講演時の配布資料表紙

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当時の細内のプロフィール

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参加者名簿、355名も参加したとは凄い

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コミュニティ・ビジネスの定義を共有した

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国(経済産業省)より細内所長への依頼状

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この基調講演では、知人の自治体関係者から久しぶりに細内節を聴けて楽しかったです、と言われて、たいへん嬉しかったのを今でも覚えている。こうした基調講演は、私の天職であると思っている。参加者の皆さんに感謝感謝である。有意義な一日であった。

 

2019年6月24日 (月)

女性の地域リーダーが商店街を変える!

物を売っていた商店街から、困ったことへの対応を行う生活の複合化拠点へ変身だ。

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それは男性よりもむしろ女性の方が向いている。女性の地域リーダーが商店街を変える。

女性が輝く地域コミュニティには繁盛商店街が存在する。おかみさん部会だ。そして、よく気が付く商店街だ。

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地域コミュニティで小口のファンドレイズは、商店街における地域お困りごと解決にピッタリの手段だ。

商店街のおかみさんがその窓口になればよい。

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最近町会、自治会が取り組んでいる副業?は、チャリティなのだ

CBの最新ニュース

最近の町会、自治会が取り組んでいること。

それは、超高齢社会を迎え、独居老人が増えてきたことによるお助けだ。

買い物にも行けない。外出が億劫になってきた。

ゴミ出しや電球の交換も困難になってきた。だれかやってくれないかな。

そんな要望に商店街や中学校PTAも動き出す。

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老夫婦の耕作放棄地を町会、自治会が借り上げ、市民農園として有料で貸し出したり、

コミュニティガーデンとして町中を花いっぱいにし、とうとう花のテーマパークにして入場料を取り出した。

さらにはトマトを子供たちと一緒に植え、収穫したトマトを農協を通じて企業にも売りだした。

こうしてコミュニティも自立、副業の時代を迎えている。

コミュニティの商業(ビジネス)も英国ではチャリティなのだ。

そこでの収益はみんなのために使うからだ。

 

 

 

私の気になった一枚のポスター408回、茨城県水戸市(2005年)

いばらき創業祭での基調講演でした。

生涯現役をつらぬくための創業セミナーであり、自立・自助を念頭に多足のわらじの作り方を

紹介するセミナーでした。

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中小企業団体中央会さんは4名以上で結成する企業組合などを積極的に紹介する団体さんです。

茨城県は栃木県と同じくらい、講演&セミナーでよく訪問した県です。

2019年6月23日 (日)

私の気になった一枚のポスター407回、東京都千代田区

今回の事務所の引越しで出てきたものがこの小冊子である。

東京マイコープのワーカーズさんの集まりで講演した時、事務局さんから連絡があり、講演録としてまとめてくれたものである。

その際、表紙に使う写真を提供したが、長野県の小川の庄で取材した時の写真、すなわち長野の郷土食「お焼き」づくりと蕎麦打ちで働くおばあちゃんたちである。

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彼女たちの働く目的の一つは、こうした社会参加を通じて、年金プラス月5万円を仕事で獲得することであり、今から30数年前から長野の山間地で行われていたことである。1980年代の後半からこうしたコミュニティ・ビジネス的な働き方が各地で散見されるようになってきた。

こうしたコミュニティのアクティビティを集め、社会現象の一つとしてネーミングしたのがコミュニティ・ビジネスの始まりである。

そして、それをまとめた本が、この本である!

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1999年に中央大学出版部より発行された拙著(当時中央大学の兼任講師もしていた)

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私の気になった一枚のポスター406回、愛知県名古屋市(2005年)

商いといえば、尾張名古屋

鰻といえば、栄町のひつまぶし

うどんといえば、味噌煮込みうどん

外郎売といえば、名古屋

八丁味噌といえば、名古屋

何もないようで実は名物がたくさんある尾張名古屋

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愛知の「愛、地球博」のころ名古屋市から委嘱を受け、松原市長主催の「名古屋の将来を考える会」に参加した。

→ http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/2005-5cc0.html

東京からの出席者は、私と慶応義塾の清家さんだけであった。あとは名古屋市近辺の有識者の方々。

最後の会合後に名古屋市の迎賓館でひつまぶしを御馳走になった。出前だったがたいへんうまかった。

2019年6月22日 (土)

私の気になった一枚のポスター405回、地域づくりの進め方・CBの活用、東京都港区

ここの研修は、いつもきれいなパンフレットが制作されているのが記憶に残っている。

このヒマワリの写真は明るく素敵なものだ。

久しぶりにポスターカテゴリーを更新して、これで405回目だ。

3月の事務所移転でまだ紹介していないポスター等が出てきた。これからゆっくりと紹介していく予定。

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この回は、旧知の”花農場あわの”の若林ふみ子さんとご一緒であった。母の入院中に大きな手づくりの花のブーケを頂いたのが今でも懐かしい。

2019年6月21日 (金)

CB最新ニュース

CB用語の解説:社会的包摂とは?
https://123noriko.wixsite.com/machi/blank-5

☆彡

中高生の郷土愛を育む

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☆彡

はじめてのCB、地域デビュー応援講座
http://www.hosouchi.com/DSC_1513.jpg

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☆彡

企業のCSR、社会貢献、地域貢献。コミュニティに求められる企業とは?

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2019年6月19日 (水)

共に生きる社会を忘れないで!

「ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)」を正しく理解していますか?

一億総活躍国民会議の菊池桃子委員が首相に提言したことで「ソーシャルインクルージョン」という言葉に再び関心が集まっています。日本語では「社会的包摂」と訳されていますが、なかなか意味が伝わりにくい言葉ではないでしょうか。

「ソーシャルインクルージョンと社会起業の役割」

(2004年12月 ぎょうせい/炭谷茂、大山博、細内信孝編著)

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*社会的包摂については、2010年12月発行の細内信孝著『新版コミュニティ・ビジネス』学芸出版社の164~170ページも併せて参照されたし。

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細内校長らが上梓したこれらの本の中では、

ソーシャルインクルージョンを「共に生きる社会」として定義しています。

では、「共に生きる社会」とは、具体的にどのような社会づくりなのでしょうか。

例えば、栃木県足利市にあるココ・ファーム・ワイナリーという農園では、ワイナリーの活動を知的障がい者と一緒に行っています。すごいところは、どんな障がいのある方にも、その人の状態やその人のできること、得意とすることに合わせた働き方を用意しているところです。

日本の社会では、いまだに毎日朝から夕方まで働きに行く、という形式の仕事が一般的であり、そこに適合しない人々(子育て中の女性や障がい者、まだ働く意欲のある高齢者など)への配慮が足りない側面が見受けられます。

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1999年刊行した細内信孝著『コミュニティ・ビジネス』は多くの人々から賞賛を集め8刷りまで版を重ねた

どのような方でも社会参加ができる、ひいては賃金をもらい納税者になる。どんな人も地域社会に受け入れられ、そのコミュイティの中でいきいきと活躍するための環境づくりが必要と考えます。

2019年6月15日 (土)

今どきの従兄弟会

今年のいとこ会(ヤギの会)は、大谷石の産地として有名な宇都宮市の石の倉でした。

母方の一族が集合しましたが、八割方は還暦を超えています。

父母の世代は、長男から末子まで20年も離れた6人兄弟ですから、年長の従兄弟は特別参加した叔父よりも年上です。

この意味分かります?

ヒントは文末写真をご覧あれ

→ http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2018/…/post-5cab.html

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画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、屋外
画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、空、屋外、自然
画像に含まれている可能性があるもの:1人、立ってる
画像に含まれている可能性があるもの:1人、立ってる、テーブル、屋外
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2019年6月10日 (月)

第1333回ブログ 質の最適化社会に近づく時代、それがスーパーシティだ!

すかいらーく創業者の横川さんが作った高倉町珈琲店で新聞の拾い読みをしてきました。

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写真はマックの第2号店(代々木店)、飲食店は激しい競争下にある

30万駐車場の衛星写真から来店客数・売上予測、客の需要状況から最適価格の設定など、共感の輪が広がるSNS・インターネットの進化が手に取るように分かりました。規模の大小に関係のない”質の最適化社会”に間違いなく近づいていく、スーパーシティ構想とはこんなものかもね?

~日経新聞より~

写真の説明はありません。
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2019年6月 4日 (火)

地域コミュニティの見方、その3 100年生きるための自助の時代、国も企業も守ってくれない?地域の底力を再点検しよう!

自助の時代、ソーシャルキャピタル(社会資本)、地域の底力が試されるとき

一般に日本の社会資本には、中学校区という枠組みに限定すると、小学校、中学校、幼稚園、保育園などがあり、子供たちを支え、守り、養護するPTAや父母の会がある。

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☆彡

この中学校区の地域コミュニティは単に地区とも呼ばれているが、その中には、子供会、学童クラブ、老人クラブ、青少年健全育成協議会、民生委員・児童委員、地区社会福祉協議会、自治会、自治会連合会、消防団、自主防災組織(マンション)などがあり、そして体育・スポーツ振興会、市民団体、NPO、商店街、CVS、銀行、郵便局、商工会、企業、公民館、児童館、医院、病院、デイサービス、特養、老健、図書館、郷土資料館、交番、公共交通機関の駅やバスなどがあり、そこに住む人々の暮らしを支えている。

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☆彡

都市部では、こうした地区サービスの最適規模はおおむね1万人~2万人であり、人口が減少し高齢化が加速する地方部では、これらソーシャルキャピタルを維持する構成員の慢性的人材不足とかつ赤字経営体質で経済循環の梗塞状態に陥っている。2025年問題として、団塊世代が全員後期高齢者(75歳以上)となる6年後(2025年)は待ったなしで、社会資本としての地域サービスの底力が試されようとしている。

ぬるま湯状態に社会の軋みも目立つようになってきた昨今、地区ごとに早く気付き対策をうたないと、とんでもないことになりそうだ。

国(金融庁が公的年金だけでは老後資金として2千万円不足すると発表)も企業(大手銀行のみずほ銀行がいよいよ兼業禁止規定を解禁すると発表)も盛んに自助を促す時代、地域(地区)を基盤にした共助、公助の再構築と自助にその活路を見出したいものだ。

2019年5月25日 (土)

歴代の女性アシスタントさんたちを思い出す、今日この頃

2019年3月に東京渋谷区代々木の事務所から移転した。2006年3月代々木に引っ越してきたから丸13年居たことになる。

コミュニティ・ビジネスの研究をコミュニティの現場、東京墨田区両国で始めたのが1994年、そして現場に事務所を設けたのが1997年3月だから、足掛け25年の研究テーマになる。今やコミュニティ・ビジネス研究は私のライフワークとなっている。

その歴史と私の仕事を支えてくれたアシスタントさんたちをご紹介しよう。時には会社のホームページの制作、海外に出す英文レターの作成、出版社からの寄稿を一緒に纏めたりもした優秀な女性たちである。

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かつて(1997年3月~2001年1月まで)コミュニティ・ビジネス・ネットワークの事務所があった東京墨田区両国3丁目のビル、懐かしい

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墨田の仲間たちと、中央の茶色いメガネが筆者、その右隣りがMさん、札幌南出身のMさんには5年間も支えてもらった(墨田区役所前にて)。彼女とは、『まちにやさしい仕事』1999年というCBの絵本を一緒に制作した。

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メーカーのシンクタンク研究員を辞め、新天地の東京稲城市のワンルームでホソウチ事務所を立ち上げた。その時分、私の右腕であった慶応義塾の大学院生であった木村君の紹介で東大の大学院生であったSさんが手伝いに来てくれた。彼女はいま国立大学の教員をしている。その時一緒に纏めた寄稿がこれらである

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東京稲城市から2006年3月に代々木駅東口から1分のところにある新築のマンション事務所に移転した。

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東口から1分で事務所に辿り着いた。明治神宮や新宿御苑入口まで各8分で気軽に出掛けられた。代々木界隈は気分転換にもたいへん心地よい場所であった。

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Fさんには、米国大学院卒業直後の2007年の第一期(10か月間)と第二期の2014年3月~2019年2月(5年間)の両期間を支えてもらい、和文翻訳やホームページの作成IT系の問題解決ではだいぶ助けられた。彼女はパワフルな女性である。

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2008年4月~2010年4月の2年間アシスタントをしてくれたYさんは、その直前まで私の著作を担当していた出版社の元編集者で、会社を辞めて東大の大学院生をしながら、週2日ほどサポートしてくれた。彼女から「お茶づけ12年」の意味を教えてもらった。先を見据えた仕事の計画策定がたいへん上手であることが印象に残っている。彼女はいま国立博物館のキュレーターを務めている。

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彼女は九大を出て、大手電機通信メーカーの社員のまま、土曜日を中心にサポートしてくれた。当時、私は法政大学大学院の兼任講師(6年間)をしていたので、彼女に授業で使う資料を作成してもらっていたし、彼女は大学院の授業にも同行してくれた。

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桜咲く新宿御苑にて(観光客から借りた虎のリックを持つ)、大学院のパンフに載せる写真を撮影(代々木事務所にて)

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引越し直前の2019年2月、渋谷区千駄ヶ谷5丁目の代々木事務所から夜景の新宿駅方面を望む

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湘南ビーチFM(森川さんの番組)に3年間(2008~2010年)、月一回の出演をしていたころ、『ハッピーコミュニティ・ビジネス』の台本は、アシスタントのYさんに纏めてもらっていた。逗子葉山での生放送終了後、葉山マリーナ付近にあった漁師の女将さんたちが経営しているCB食堂に立ち寄り、女将さん作る魚定食を食べるのが毎回楽しみであったが、今でも営業しているのかな?また訪れてみたい漁師の女将さん食堂である。

☆彡

歴代アシスタントのみなさん、お元気ですか?

また会いましょう!

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☆彡

 

 

 

 

2019年5月21日 (火)

自由時間の創造が人生を豊かにする、先人津端修一先生へのオマージュ

令和元年の6月に東京稲城市若葉台で津端修一、英子ご夫妻のドキュメンタリー映画『人生フルーツ(2016年)』があるという。

20年前(1999年4月28日)に愛知県春日井市郊外の津端邸を訪問し、小生が写したご夫妻の写真。その後自由時間評論家津端先生より数通いただいたお手紙。自由時間研究の原点が書かれている。

画像に含まれている可能性があるもの:2人、이성식さんを含む、立ってる(複数の人)、帽子、木、子供、植物、花、屋外
写真の説明はありません。
津端先生へのオマージュ
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1.自由時間評論家・津端修一先生を悼む 
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2.津端修一さんからの手紙
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3.自由時間評論家津端先生からの手紙
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2019年5月13日 (月)

江戸の切れ者、筆頭大目付・井上美濃守利恭

美濃国の戦国武将、井上3兄弟の3男井上定利(利定)の長男に井上利義(利仲)がいるが、大阪の役後二条城で徳川家康に御目見えし、許され、井上家初代の直参旗本となる。その系譜が徳川綱吉の時、綱吉の嫡子に仕える形で井上分家が誕生したが、若君さま早世により一時小普請入りするが奉公に励み、本家分家とも幕末まで御家を全うする。

両家とも家禄500石で、極官としては布衣の組頭、留守居、若年寄支配の奉行などがほとんどだが、中には従5位下美濃守(諸大夫)を叙付された当主がいた。彼の名は、井上美濃守利恭(1749年―1820年)といい、1798年に49歳で作事奉行(役高2000石)からの栄転で大目付(役高3000石)を仰せつかり、62歳までの13年間にわたりお役目を果たした人物である。

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彼の大役の一つ、徳川家斉の時代(1810年)に朝鮮通信使の幕府供応役を務めたことである。正史が小笠原小倉藩主、副使が脇坂竜野藩主で、いずれも大名であるが、幕府の実務的責任者・御用掛を当時の筆頭大目付兼帯道中奉行の井上美濃守利恭が務めたのである。

歴史的には江戸時代最後の朝鮮通信使といわれ、朝鮮通信使は本来江戸の将軍に朝鮮国王の国書を携えて謁見するが、その江戸まで来ずに長崎の対馬で供応したことが記されている。これは双方合意の上で成立したもので、財政的にも相互に負担を減らす効果があったという(本来江戸までの道中供応には100万両かかるが、朝鮮国の日本側窓口の対馬で行うことで、幕府は38万両で済ませたという、しかも江戸から3000人を派遣することで簡易に済ませている)。井上美濃守利恭は、儀礼にかかわる一切の仕事を完了させて、翌1811年に江戸に戻ったことが幕府の公的記録に残っている。彼にとって心身共にたいへんな重責を果たしたことになる。慶賀の朝鮮通信使の供応には、100万両はかかるといわれている経費を、その半分以下に抑えた手腕は、彼の京都町奉行、作事奉行時代に培った経済コストを考えた手法といっても良いだろう。まさに切れ者美濃守である。

これを知ったのも2017年岡山での仕事の帰りに、岡山在住の旧知の友・中山氏と岡山県牛窓町にある朝鮮通信使資料館を訪ねたことに始まる。

井上美濃守利恭の職歴が、今風にいえば典型的なキャリア官僚コースであるので、当ブログにてご紹介しよう。

彼は、18歳で将軍家治にお目見えし、井上本家の家督を継ぎ、小普請入りを果たしている。そして20歳で小姓組入りし、20歳代は進物御番を務めている。34歳で将軍外出時の警護を担当する小十人頭(現場の警護責任者で役高1000石)となり、布衣(6位相当)を許されている。

37歳で旗本5000家を取り締まる目付に就き、39歳(1788年)で遠国奉行の一つ、京都町奉行(役高2000石)に就任している。当時幕府は体面を保つため、江戸から京都に向かう遠国の奉行職には、赴任手当として300両を下している。京都の町の半分が燃えた大火直後に、京都の町の治安維持と町の再生に江戸幕府官僚の若手のエース級を江戸から送り込んだことになる。ここまでは順調なエリートコースであり、家格500石ながら役高は4倍の2000石、そして官位は大名クラスの従5位下美濃守を賜っている。

彼は42歳になると江戸に戻り、今度は作事奉行を務めるがここで辣腕を振るう。江戸城の修復ばかりでなく、久能山東照宮や日光東照宮、世良田東照宮などの修繕責任者として現地に赴き、腕を振るうことになる。記録を見ると将軍から各地の修繕完了の度に大判の金子(黄金)を5枚、10枚と下賜されている。そして作事奉行としては7年間をつつがなく勤め、49歳でとうとう直参旗本の最高役職の一つ、大目付(役高3000石)に昇りつめるのである。その後、彼は大目付に13年間も在職し、在任中に筆頭大目付となり、道中奉行も兼帯し、美濃守といえば切れ者大目付の井上美濃守といわれるまでになった。

時は将軍家斉の寛政改革の世、寛政重修家譜によれば、作事奉行時代は、修繕を美しく仕上げ、経費を切り詰め、いわばコストカッターとしての手腕を発揮し、幕閣に井上美濃守ありといわれた。

62歳で大目付のまま朝鮮通信使(第12回)の幕臣筆頭供応役(あの遠山の金さんの父親も配下の目付として同行、その後長崎奉行を務めている)を長崎対馬でやり終え帰府すると、翌年の63歳には諸家系譜書継御用を相務め、徳川家斉の時代(50年間)を支えた有能な幕臣の一人となるのである。

井上美濃守71歳のおり、幕府に老衰願いが受理され、隠居を仰せつかり寄合旗本へ、その後幕府より養老料として切米300俵を賜り、72歳で鬼籍入りするまで、恙なくお役目を果たしている。

歴代の井上家の過去帳を見ると、一番長い戒名が付けられている。多忙のなかで後妻を迎え、江戸から長崎の対馬まで供応・御用掛として往復道中2年の歳月を費やし、切れもの井上美濃守利恭の人生は休むことのない、まさに走り続けた激務の一生であった。

 

井上3兄弟系譜の女系関係から頑固者を見出す

明治生まれの亡くなった母方の祖母は、最近まで親戚一同から彼女が長女であると思われていたが、私が祖母、つまりばあちゃんの実家の除籍謄本を取り寄せてから本当のことが分かった。

彼女は、実は四女でありながら、父親が若いとき(明治期に)本籍を移転したため、その後は長女として記載されたのである(昔はよくあること)。その除籍簿を見ると、ばあちゃん家の姉たち三人は、三歳未満で夭折している。家業の造り酒屋もカビが発生し、郡内随一の造り酒屋も大正末期に廃業を余儀なくされた。そうした不運続きの中で、彼女の父(私の曽祖父にあたる)は本籍地を替えたのであろう。

ばあちゃんの母親(曾祖母)は、明治のはじめに18歳で江戸旗本家から造り酒屋に嫁入りし、6人の子を生し、ばあちゃんが3歳の時、幼子たちを残してうら若き身の33歳で天国へと旅立っていった。その曾祖母から辿る先祖の女系史がとんでもないことになるのは最近のこと。歴史好きの私を日本の戦国時代へ駆り立てたのである。

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大阪冬の陣、豊臣秀頼方の鉄砲隊長、井上頼次または定次(長井道利の次男で秀吉・秀頼の黄母衣衆の一人、井上3兄弟の真ん中)は、秀頼から任された2千人の鉄砲隊を率いながらも、徳川方上杉勢の猛攻撃を受け、鴫野の戦いであえなく討ち死した。

祖母の母親(曾祖母)から遡る井上姓のご先祖は、この井上3兄弟の3番目から発祥し、鴫野で戦死した井上頼次(定次)の弟にあたる3男井上定利から始まる。井上定利も翌年の大坂夏の陣にて300名の兵を率いた道明寺の戦いで、薄田兼相らと共に討死している、井上定利の母親は、稲葉宗張の娘で、稲葉一鉄に繋がる稲葉一族であり、頑固一徹で有名な稲葉一鉄の息子(臼杵藩の藩祖)に斎藤道三の娘(長井道利の妹)が嫁ぎ、そんな関係から江戸の幕末まで大名稲葉家と旗本井上家は親戚付き合いをしている。

頑固一徹(一鉄)といえば、江戸末期に井上定利の末裔、旗本井上分家の当主井上収蔵には、賤ケ岳七本槍の一人・平野権平の末裔の旗本平野家から娘が嫁いでいる。また井上家の系図を見ると、江戸初期の旗本井上家2代目の井上利景の妻には、あの大久保彦左衛門の娘が嫁いできている。こうして稲葉一鉄、平野権平、大久保彦左衛門と女系繋がりながら、頑固もの3人衆のDNAが井上家には脈々と受け継がれていることになる。その子孫はどんな頑固者になることやら心配である。肥後のもっこす、土佐のいごっそう、津軽のじょぱりにも負けない頑固者になるかもしれない。武家というプライドがあるだけに誰にも負けない真の頑固者かもしれない。

 

 

 

2019年5月11日 (土)

地域コミュニティの見方、その2

地域マトリックスのモデル 

出典:https://hosouchi188.wixsite.com/communitynavi/community-navi

地域マトリックスは、自分や家族の住むまちの快適さを表す指標。住宅情報の参考となるもの。

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ただし、家族構成や世代、働き方、生き方の重心位置によっても変化する

地域マトリックス 大項目 中項目 小項目別
●通勤
・交通
 都心までの所要時間
 電車の混雑率
 路線の遅延・運休率
 特急列車の停車の有無
・買い物
 深夜営業スーパーの有無
 徒歩圏コンビニの数
 飲食店の数
・余暇   
 娯楽施設の有無
 スポーツ施設の有無
●子育て
・医療
 総合病院の有無(産科・救急含む)
 産科医院の数
 小児科の数
 歯科の数(矯正含む)
・保育
 保育園・こども園の数
 待機児童数
 幼稚園の数
・余暇
 公園の数
 児童館・子育て支援施設の数
 図書館の数
 ファミリーレストランの数
 ファストフードの数
・教育
 学習塾の数
 お稽古教室の数
<以下続く>     (C)CB総研+H藤原

 

地域コミュニティの見方、その1

定年退職後のハッピーライフの塔?

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インドニューデリーにて写す

*
同様にシニアのハッピーライフを実現するには、次のような塔が地域コミュニティに必要

写真の説明はありません。
地域コミュニティにおける生活のルーティン化がシニア人の健康寿命を延ばす。
*日本の農村における代表的な地縁コミュニティの一つ野澤組
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写真をクリックすると画像が拡大します
*
長野県野沢温泉村の自治組織・野澤組は、日本のコミュニティ自治の原点。共助、互助の在り方を垣間見ることができる。写真は野澤組の事務所で当時副総代の片桐(その後総代を務める)さんと一緒に写す。村役場とは違い江戸初期から存在する住民主体の自治組織が野澤組だ。温泉源と共同湯、入会地を野澤組が所有している。地縁団体の法律が成立した時、私のアドバイスにより土地登記を地縁団体法人野澤組に書き直した。そして野澤組で講演したことも、私の矜持の一つだ。いまでも当時の役員さんとのお付き合いがある。
*

2019年5月 7日 (火)

地域おこしとは、自己をならうことである

地域おこしは、自己への気づきであり、自分おこしでもあり、自己をならうことである。

地域おこしは、自分のものさしを持つことが成功(課題解決)への要諦である。

そして異質なもの同士の衝突が、地域にイノベーションを巻き起こすのだ。

*

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歴史と伝統をはぐくむ京都大山崎離宮八幡宮の津田宮司さんと

*

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園の子供たちに『やってんべ』が口癖のココ・ファーム・ワイナリーの在りし日の川田園長

*

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現役で働く沖縄のおばあ、那覇市の牧志公設市場にて

*

地域おこしは、こうして地域にしっかり根をおろして働く人々によって支えられている。

2019年5月 4日 (土)

昨今の日本社会事情

当方、4月はコナミに毎日通い、体重を2.5キロ減量した。平日のロッカールームのシニア男性同士の会話にびっくり寿司。ゴールデンウイークを前にして、「妻は元気で、留守がいい!」とのたまう。退職して夫婦の立場が逆転したらしい。妻はゴールデンに女友達同士で海外旅行に行くとのこと。アクティブなシニア女性が増え、お留守番亭主が増えている昨今の日本社会の現実だ。

*

最近の心配事の一つは、年金支給日にレトルトカレーを10箱とパックのご飯10ケースをまとめ買いしてから、銀行へ年金を下ろしに来るシニアのことだ。いわばチンチン族とでもいうべきか。電子レンジ愛好者で、まるで電子レンジを抱いて生活しているようなものだ。男にとって、定年退職後の人生を楽しく生きることがたいへん困難な時代に突入したようだ。

*

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暮れなずむ東京の新宿界隈

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「団塊世代の地域デビュー心得帳」という本を書いているときの取材メモが出てきた。ある高級サラリーマン氏のお話し。

地方都市から大学進学時に東京へ。今や65歳をすぎ、資産運用に成功し、シングルの億万長者に。自宅が東京と出身地にそれぞれあり。さらにワンルームの投資マンションが都内に4件もある。退職金には手を附けず、そのまま銀行にプールとか。株と金は塩津家。公的年金も支給を開始したが銀行口座にプールとか。さらに養老年金数本も毎月支給され、打ち出の小槌を持つ大黒様だ。現役のころ、職場に保険のセールスレディが来ても、彼の話術から早々に退散する光景が何度もあり、まさに資産運用の達人といってもよい人だった。うらやましい限りだが、日々目標をもって、しっかりと生きていくことが大切だ。

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最近読んだ本。実は漫画版から文庫版まで様々なタイプの書籍が出ている。僕たちは、この混迷する日本社会をどう生きていけばよいのか!考えさせられる1冊だ。

2019年4月27日 (土)

私の気になる一枚のポスター404回、『地域で多足のわらじをはこう!』東京都東大和市 2019.06.04~07.09(6回シリーズ)

2019年6月4日から7月9日まで、東京都東大和市で『地域で多足のわらじをはこう』と題して、6回講座の主任講師をします。講座のポスターがダウンロードできます。

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千葉県山武市における住民のつどい
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雇用創出による自助と共助など、さまざまな可能性を秘めているコミュニティ・ビジネスの解説が掲載された冊子。当時のアシスタントさんと一緒にまとめたもの。
令和元年の講座をもう一度紹介!

★東京都東大和市主催のやりがい講座のポスター.pdf

ぜひ、ご笑覧あれ!

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*福岡での講演会後に北原白秋祭と名物の鰻を求めて福岡県柳川市を訪ねる

 

 

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