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2007年7月

2007年7月27日 (金)

エキサイティングな街、シンジュク

 小生の会社、新宿南口にある新宿ビックベン(実はNTTドコモの代々木ビル)近くに事務所を移転してから早くも1年が経過した。都心郊外の多摩ニュータウンからの事務所移転である。しかし新宿は、世界的に見ても、こんなエキサイティングな街はないな、と感じている。

 2006年12月15日にオープンした新宿サザンテラスのクリスピー・クリーム・ドーナツは、本日(2007.7.27)まで連日行列の途絶えたことを見たことがない人気ぶりである。行列は、30分待ちから2時間30分待ちまで、炎天下の中、雷雨の中、みなさん我慢強く待っている。ドーナツ12個入りのワンボックスを一人で10箱購入し(合計ドーナツ120個)、持ち帰る人がいるほどである。並んでいる人の言葉を聞くと、地方からのお客さんが以外に多い。一度事務所に泊まりこんだ日の翌朝7:00に行ってみたが、すでに20分待ちの表示。たぶんこうした行列は、東京ディズニーランドでのアトラクション待ちのたまものなのか。10代後半から30代前半が多いのでそう推測。そしてカップル、仲間と一緒に並ぶ人たちが多い。一人で1時間以上も待つのは辛い。

 新宿サザンテラスには、もう一つの名物店がある。それは宮崎県のアンテナショップで、あの東国原知事が宣伝に訪れてから来客が絶えない。昨年まではお隣の広島県のアンテナショップの方が勢いがあったが、東国原知事の登場で逆転してしまった。宮崎の地鶏は、人気が出る前から小生の好物であったが、最近はお客が多くて買えない始末。でも小生、広島のお好み焼きやゴマダレつけ麺が大好きでよくランチしに行く。なぜか広島産の一番絞りが美味しく、ほどよい人出が心地よいのだ。

 お客さんの動きを見ている(話している言葉を聞いている)と、新宿は、国際的なターミナル都市で、中国人、韓国人をはじめとしてアジア人、そして地方からの上京客が以外に多く、その行動がたいへんユニークなのだ。家族で行動している人たちが多い。

 最近、高島屋の新宿店に美術画廊ができ、若手作家によるユニークな作品展示が刺激的だ。高島屋のデパ地下では”石垣島のラー油”も買え、小生が作るラーメンもめっきり美味しくなった。また、お隣の紀伊國屋書店新宿南店のサイン会の行列は、有名人の人気を計るバロメーターである。小生の夢は、紀伊國屋書店でサイン会をすることだ。夢は実現するためにあるという。さてどうなることやら。間に挟まれた東急ハンズも飽きがこない所だ。日本人のものづくリ好きが生み出した新業態開発の一つだろうが刺激を求めて若者が多い。このビルの上階には、映画館や新劇のシアターもあり、知的散策に事欠かないところだ。

 こうして見てくると、いま新宿の南口(サザンテラスとデッキ付近、そしてタイムズスクエアー付近)は目が離せない、世界一変化に富んだ街なのだ。でも、しかし、この一帯は新宿区ではなく、実は渋谷区の千駄ヶ谷地区、代々木地区なのだ。”シンジュク”という世界的な街のエリアが拡大し続けている証拠である。シティブランドとは、こうして意味価値とエリア拡大の増幅を繰り返えすものである。

ボランタリーな意思を持って地域社会へ

 最近、わが国もお金持ちや時間持ちのシニアが増えています。リタイア後の人生を豊かに過ごそうと趣味の世界を広げたり、地域でのボランティア活動に取り組んだりしているシニアの姿を町のあちこちで見かけるようになりました。またシニア夫婦が長期間にわたって海外に滞在するのも当たり前になってきました。日本も豊かになったというのが実感です。こうしたことは欧米流のライフスタイルが一般市民にまで浸透してきたことへのあらわれでしょう。

しかし、一方、格差社会の高まり、年金を始めとした社会保障制度のゆらぎなど、社会不安の増大が気がかりです。そして、こうした欧米流のライフスタイルのなかでやや欠けているものがあるとすれば、それは個人の自発的な精神ではないでしょうか。個人のボランタリーな意志が欠けているといってもいいでしょう。これは、個人の意思を明確にしないという日本文化からきているのかもしれません。

たとえば、それは地域社会への個人の自発的な参加であったり、地域社会へのボランタリーな貢献であったりします。会社コミュニティで40年間にわたり活躍してきた企業戦士には、家庭や地域社会への接点を見失ってしまった人が少なくありません。彼らが今日の日本の経済的な豊かさを創り出したといっても過言ではないでしょう。高度経済成長期の職住が分離された働き方、暮し方では仕方がなかったのかもしれません。むしろそうした価値観が当時は主流でした。

 しかしながら、日本が本当の意味で精神的に豊かな市民社会を迎えるには、“個人のボランタリーな意思の発意”が必要不可欠であり、そのことを尊重しなければならないでしょう。学校教育や地域教育にいま一番必要なのは、このボランタリーな意思の発意を子供のうちからいかに訓練していくかということです。そして、そのことを尊重する精神的な風土の醸成が不可欠です。

 いままで会社コミュニティで暮してきた団塊世代の方は、今後孫と手を取り合い、個人のボランタリーな意思を持って地域社会へ第一歩を踏み出して欲しいものです。孫世代の子供たちや地域の人々との協働や相互学習を通じ、第二の人生の扉が地域コミュニティで大きく開くことになるからです(拙著「みんなが主役のコミュニティ・ビジネス」ぎょうせいに加筆して編集)。

2007年7月11日 (水)

移住は、まずはお試しがよいですよ

 最近、離島の島おこしの仕事で、島民人口を増やすための団塊世代の移住がよく話題になります。そうした国内移住で快適に楽しく暮らすにはどうしたらよいでしょうか。テレビをつければ「田舎暮らし」の番組が毎日のように放送されるようになりました。地方は海のもの、山のものが、新鮮で豊富。空気もおいしく、暮らしのリズムもゆったりとしています。夫婦でのんびり温泉にでもつかり、そば打ちやロクロ廻しでもしながら、第二の人生を楽しく、面白く暮らしてみませんか、というテレビ番組が毎日のように流れています。

 しかし、それで本当に幸せになれるのでしょうか。テレビで見る田舎暮らしは断片的な光景で、決してバラ色とは言い切れないでしょう。生活するにはお金もかかるし、近所付き合いもしなければなりません。特に田舎暮らしには濃密な人間関係が求められます。東京などに代表される都市生活の便利さになれた方には、不便が売りものの田舎暮らしは少し酷かもしれません。田舎暮らしから逃げ帰った人も大勢聞きます。仙人としての移住は一人でできますが、ご夫婦で移住するとなると大変です。家財道具ばかりでなく、義理や人情も背負っていかなければならず、親友との別れ、子供たちとの別れなどが付いてまわります。見知らぬ土地でまわりに馴染めず、奥さんだけ都会に戻ってきた、なんてならないように細心の準備が必要でしょう。

Shimagurashi_2

 離島や中山間地では「定年退職者さん、いらっしゃい」ということで、みなさんをお待ちしています。移住を即断するのではなく、まずは1か月でもいいからお試しで住んでみることです。今やお試し婚もあるくらいですから。田舎離婚はさけなければなりません。しかし住めば都です。離島や田舎暮らしもなかなか良いものです。

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