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2007年7月27日 (金)

ボランタリーな意思を持って地域社会へ

 最近、わが国もお金持ちや時間持ちのシニアが増えています。リタイア後の人生を豊かに過ごそうと趣味の世界を広げたり、地域でのボランティア活動に取り組んだりしているシニアの姿を町のあちこちで見かけるようになりました。またシニア夫婦が長期間にわたって海外に滞在するのも当たり前になってきました。日本も豊かになったというのが実感です。こうしたことは欧米流のライフスタイルが一般市民にまで浸透してきたことへのあらわれでしょう。

しかし、一方、格差社会の高まり、年金を始めとした社会保障制度のゆらぎなど、社会不安の増大が気がかりです。そして、こうした欧米流のライフスタイルのなかでやや欠けているものがあるとすれば、それは個人の自発的な精神ではないでしょうか。個人のボランタリーな意志が欠けているといってもいいでしょう。これは、個人の意思を明確にしないという日本文化からきているのかもしれません。

たとえば、それは地域社会への個人の自発的な参加であったり、地域社会へのボランタリーな貢献であったりします。会社コミュニティで40年間にわたり活躍してきた企業戦士には、家庭や地域社会への接点を見失ってしまった人が少なくありません。彼らが今日の日本の経済的な豊かさを創り出したといっても過言ではないでしょう。高度経済成長期の職住が分離された働き方、暮し方では仕方がなかったのかもしれません。むしろそうした価値観が当時は主流でした。

 しかしながら、日本が本当の意味で精神的に豊かな市民社会を迎えるには、“個人のボランタリーな意思の発意”が必要不可欠であり、そのことを尊重しなければならないでしょう。学校教育や地域教育にいま一番必要なのは、このボランタリーな意思の発意を子供のうちからいかに訓練していくかということです。そして、そのことを尊重する精神的な風土の醸成が不可欠です。

 いままで会社コミュニティで暮してきた団塊世代の方は、今後孫と手を取り合い、個人のボランタリーな意思を持って地域社会へ第一歩を踏み出して欲しいものです。孫世代の子供たちや地域の人々との協働や相互学習を通じ、第二の人生の扉が地域コミュニティで大きく開くことになるからです(拙著「みんなが主役のコミュニティ・ビジネス」ぎょうせいに加筆して編集)。

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