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2007年9月19日 (水)

新街道を行く(8)自然の営みに合わせることも必要

 今回、念願の広島県福山市の”鞆の浦”に行ってきました。福山市には講演やワークショップでたびたび訪れていましたが、鞆の浦まで足を運ぶ時間が作れなくて、たいへん苦慮しました。今回やっとその夢が実現しました。

 鞆の浦は、瀬戸内海の潮待ち港、古代から江戸期まで交易で栄えた港町。古代の魏志倭人伝では、邪馬台国へ向かう途中にある投馬国(トウマ)の港では?とも言われています。また中世の鞆の浦は、室町幕府初代将軍足利尊氏が九州から勢力を盛り返した拠点、そして時代は経過しますが、織田信長に追われた15代将軍の足利義昭が室町幕府を閉じたところでもあります。鞆の浦はそうした時代を見据えた歴史の結節点です。

 そんな鞆の浦を眺めながら、のんびりと丘の上で考えたことは、現代の鞆の浦で”潮待ち船”を再現してもよいのではないでしょうか。日本のなかに、あえて現代文明を使わないところがあってもいいはずです。子どもたちや疲れた大人たちに、潮待ち船のような自然の摂理を見せる場所として、鞆の浦は格好なところではないでしょうか。長い人生、潮の満ち引きのように、立ち止まって自然の営みに合わせることも時には必要でないでしょうか。

 新幹線や高速道路、飛行場が通じる機能的な都市や町が、必ずしも人間を幸せにするとはいえないからです。鞆の浦は、のんびりとした大陸的な風水を感じさせる不思議なところでした。

 

 

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