細内所長の新街道を行く(1)
お盆明け、講演・ワークショップの仕事で愛媛県(伊予の国)に長期滞在していました。一昨日、無事終了し、帰京しました。愛媛県でも特に中予と南予といわれる地域、都市で言うならば松山市、大洲市、八幡浜市でコミュニティ・ビジネス(CB)の講演・ワークショップをしてきました。途中で司馬遼太郎の「坂の上の雲ミュージアム」を視察してきましたので、今回の旅日記は「街道を行く」調でまとめたいと思います。
細内所長の 新街道を行く:大洲の町の3層構造論
大洲市は、秀吉配下の七本槍で有名な加藤家の城下町ですが、市街地の形成がたいへんハッキリしている全国でも珍しいケースではないでしょうか。
第一層は、肱川から南側のお城から大洲神社にかけて城下町が形成され、古い街並みが小京都の趣を醸しだしています。木造商家のほか、明治時代の赤レンガの建物も時代をタイムスリップしてくれます。そんな風情がただよいます。
第二層は、肱川を挟んで北側からJRの伊予大洲駅までが新市街地でしょうか。鉄道がかつて主役の時の街並みです。城下町の外れに駅が設置されました。その一角に殿町という地名が残るように近代日本で財を成した新興勢力が料亭で川遊びをした様子が伺い知れます。東京で言えば、隅田川を挟んだ川向こうの”向島”でしょうか。
第三層は、上記市街地を避けるために開通したバイパス通りですが、ここに高速道路のインターチェンジが接続され、田圃沿いのバイパス道路に郊外型の大型店舗が多数配置され、一つの商店街とでもいうべき新町が形成されています。わが国のトヨタが世界一の自動車メーカーになるくらいですから、この街並み設計は現代の車社会を象徴しています。
わが国の地方都市では、時代の移ろいとともに、上記の3層構造で町が形成されてきましたが、大洲市ほど、この3層構造がハッキリしているところはそう多くはありません。ですから町のパワーは、いまこの第3層目から発信され、人々も自動車で駆けつけ、多くの人々で賑わっています。それに対し、第2層の中心地であったJR駅前に活気がないのは、どこの都市も同じ悩みではないでしょうか。
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