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2007年11月

2007年11月21日 (水)

新街道を行く(16) つくばエクスプレスでつくば路を行く

 昨日は、代々木の事務所から黄色の総武線に乗り、秋葉原経由で話題のつくばエクスプレス(以下、つくばX )に乗って、つくば市までいってきました(つくばで打ち合わせがありました)。

 つくばX はまさに新幹線ですね。途中に踏み切りは一切ありません。揺れもなく快適な車両でした。始発駅の秋葉原から45分であっという間に終点のつくば駅でした。車窓の眺めは途中から(沿線が)開発モードに変化し、駅前はブルで整地したばかりの黒土が目立ちました。また駅前に新規のマンションが立ち並び、ただ今販売中の旗がたなびいていました。三十数年前の田中首相時代の日本列島改造時代を思い出しました。

 以前、松戸市常盤平に住んでいたこともあり、土地勘がありましたので、周りの景色の大変化にはたいへん驚きました。街が生まれるということは、こうした光景が日々変化していくことで誕生するものなのですね。

 紫峰筑波山はいつみても気品のあるお山です。車窓から眺めると、左手に牛の爪を立てたように見えます。朝夕に山肌が紫に変化するのがとてもすばらしいですね。大昔はヤマトタケルの活躍の場、中世以降は修験道のトレーニングの場、いまは団塊世代のレクレーションの場になっています。これから紅葉がシーズンですので、秋葉原からつくばX に乗って、日帰り旅行をするにはお薦めのコースです。

 赤い柿が里の木に鈴なりになっていました。それをカラスが突っついていました。

 まさに斉藤清の木版画の世界でした。

 しかしながら、つくばの中心部は20世紀のハード中心の街づくり観が否めません。ソフトの視点をもっと入れて街を柔らかくする必要があります。

もし、私がつくばのプロデュサーならば、

1)つくば・よしもと劇場を誘致する

2)そこで一般芸人のショーのほか、科学実験のエンターティメント・ショーを毎日行う(地元の科学系研究所から研究員を派遣、研究員のエンターティメント化を図る、よしもと科学部誕生か?)

3)昔、小林一三は大阪梅田駅からの終着駅に宝塚音楽学校と遊園地を作りましたが、今、つくばでは、上記のような”つくば科学学校をNPO法人で”創りましょうか

4)また秋葉原メイド・カフェのブランチをつくばに設ける(秋葉原からメイドさんを派遣)、つくばX を利用しながら、両方が楽しめるイベントを毎日実施するとさらに面白いでしょう。

このくらいの柔らかさが今のつくばには必要でしょうか。

現代の小林一三、来たれ!

彼はたしか、甲州(商人)出身だったようです。

2007年11月18日 (日)

新街道を行く(15)岡山路を行く、真面目な公務員さん

 最近、仕事で伺う瀬戸内海の笠岡諸島には、島づくり、島おこしのためのNPO法人があります。そこの営業部長に、市役所から出向する職員のMさんがおります。

 こうした出向の公務員さんは、だんだん住民に溶け込んでくると“公務員らしさ” を失って、住民のような頼もしさが全身にみなぎってきます。顔は兵士のように日焼けし頼もしく、また身なりはネクタイを外して作業ジャンパーを着て、くつは運動靴に変わっていきます。これは仕事を一生懸命やっていることの証であり、地域に溶け込んでいる証拠でもあります。

 細内所長はまちづくりの専門家として全国各地を渡り歩いてきました。最近知的フーテンの寅さんと呼ばれていますが、まちづくりの現場では彼のような人物をよく見かけます。公務員さんを現場に動員するということは、現場が少子高齢化し、現場で動ける人材が不足している証拠で、地域コミュニティは今、大変な状況にあります。離島の若者は、高校から本土や大都市に出て行き、盆暮れ、夏休み中にしか島に戻りません。島には働き場所がないからです。

 その瀬戸内海の離島の公務員Mさんは、あるときアクシデントで指に大怪我をし、指先を切断しなくてはならなくなりました。はじめて会ったとき、不思議に思いましたが、名刺をよくよく見ると、○○市役所の職員と書いてあるではありませんか。たいへんびっくりしました。公務員さんが日常の仕事で指に大怪我をするとは、余程の重大局面があったのでしょう。

 ある酒の席で彼にこっそりとその指のことを聞き出しました。彼の話によると、その離島の石は、大阪城の石垣にも使われるほどの良質の石材なのだそうですが、彼はテレビ局の中継の準備に張り切りすぎて、テレビに映る石材を何人かで配置するとき、思わず石と石の間に大切な指先を挟んでしまったそうです。すぐにドクターヘリで本土の大学病院へ搬送されましたが、挟まれた指先はもう戻りません。

 かくして指を大怪我したMさんは、その後ますます風格もつき、よりいっそう住民の中に溶け込んで、公務員であることを忘れさせてしまうほど、少し強面の陽気なお兄さんに変身していくのでした。所長は全国各地で講演をしてきましたが、全国広しといえども、仕事で指を失った公務員さんの話はとんと聞いたことがありません。彼には気の毒にも思いますが、つねに住民のためを思い、その作業のうえで起こったこと、そのこと自体は「勲章」もので、きっとその後の島伝説になることでしょう。

 今日も陽気に鼻歌でも歌いながら、きっと顔パスの海上タクシーに乗り込んで本土から島に向かっていることでしょう(拙著『団塊世代の地域デビュー心得帳』ぎょうせい2007年に加筆・編集)。

2007年11月 9日 (金)

新街道を行く(14)秋の秋田路を行く

 明日11月10日、秋田市にて講演のため、前泊で秋田入りをしました。

 秋田新幹線は満席でした。終点の秋田駅までこんなに混んでいるのは久しぶりでしょうか。やはり景気がよいのでしょう。いや金曜日という特殊要因もあるでしょう。ビジネスマンが多かったですが、家族連れの里帰り客もおりました。東京から4時間の乗車は少し腰が痛くなりました。小生には新幹線3時間が最近の限度でしょう。昔のように食堂車があれば多少は違っていたでしょう。そんな楽しみのなくなった最近の鉄道旅行でしょうか。

 さて20時に秋田駅について少し残念なことがありました。秋田といえば”稲庭うどん”ですが、駅前の店は客もまばら。それに対し、讃岐うどんのチェーン店は満席状態でした。

 どうしてでしょうか。それはプライスが全然違いました。讃岐うどんは100円台から300円台がメニューの主流、それに対し、稲庭うどんは2倍以上の600円から1500円まで。これでは勝負になりません。讃岐うどんのお店は制服姿の高校生が屯しており、黒山のように見えました。お腹を空かした高校生にはかないません。所長は足早にお店の前を通り過ぎました。

 細内所長は、秋田で讃岐うどんを食べるわけにはいきません(香川で食する讃岐うどんは大好きですが)。腹を空かしたままホテルにチェックインしました(少しやせ我慢か、メタボ対策か)。

 郷に入っては郷の物を食す、です。こうしたこだわりも必要です。

これ名言かも知れませんね。

 地産地消、これが究極のスローフードですね。

2007年11月 4日 (日)

新街道を行く(13)山香る山形路を行く

 先週は、講演会で久しぶりに山形路に行ってきました。平日にもかかわらず、宿泊したホテルは満室で、平均の稼働率は87%を超える優良ホテルでした。客層を観察してみると、ビジネス客が60%、同窓会や会社の研修合宿が40%でした。これは朝の食堂をみれば一目瞭然でした。平日の同窓会は、団塊世代の同窓会(昭和37年◎◎中学卒業)でした。この会は地元の会で、女性の参加者が70%を占めていました。男性は会社勤めの方が参加できなかったことと、女性は子育てを終え、時間的な余裕があったからかもしれません。

 それにしても満室状態が続く秘訣は何なんでしょうか。

 1点目は競合のホテルが近くに存在しないこと、2点目は駅前立地 5分であること、3点目は24時間いつでも入れる天然かけ流し温泉が付帯していること、4点目は朝から”だだちゃ餅”をだすなど食事が比較的よいこと、5点目は宿泊料金が適正であることでしょうか。そして最後に、20歳代の若い女性がフロントをしめ、接客に華やかさがあることでしょうか。以前ある地方の温泉地に宿泊しましたが、その反対で閑古鳥が鳴いていました。食事が質素で美味しくなく、折角の温泉も23:00までしか利用できませんでした。

 流行るホテルの目安は、上記の6原則でしょうか。ただし上記山形のホテルの課題は禁煙対策が不十分で、ホテル内の公共空間がほとんど喫煙天国でした。折角、山形新幹線が全席禁煙にしたのに、客を受け入れる地元のホテルがこれでは”おもてなしのサービス”が台無しです。東京から山形までの快適空間が、駅を降りたらなくなっていたでは話になりません。一貫して筋の通った観光政策を真剣に考えないと、遠方からの客は遠のいていくことでしょう。いま、わが国の観光産業は、このような禁煙、喫煙に係わらず、地域全体でちょっとしたことへの対応、すなわちサービス水準を底上げすることが求められているのではないでしょうか。

 山形は車窓から眺める紅葉が最高でした。山がまさに香る季節でした。

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