新街道を行く(22)秀吉の出世城
先週は、岐阜の揖斐川町商工会で講演をしてきました。岐阜羽島駅から会場まで送迎してもらいましたが、長良川沿いを会場まで北上しているとき、左岸に立派な城郭が見えてきました。アテンドしてくれました大家さんに伺うと、なんと秀吉の一夜城である墨俣城ではありませんか。秀吉に関する時代劇のテレビ映像には必ず出世城の墨俣城が出てきます。でも当時は砦であり、大河の中にある中州の砦であったようです。今風に言えばプレハブ建材を分解して川上から筏に載せて一夜にして組み立てたようです。
現在は白亜の立派な城が建っていますが、すぐ右側には岐阜の稲葉山(のちの岐阜城)城が控え、さらにその奥に木曽の御嶽山が雪帽子姿で見えました。稲葉山城(斎藤氏)にとって喉もとに敵(織田信長、木下藤吉郎=秀吉)の砦が突然現れたのは驚きだったでしょう。そうした地理的な関係が現場に立ってはじめて理解できました。でもプレハブ砦の発想は秀吉ならではで、当時の正統な武士階級には思いもつかなかったことでしょう。これは現代のビジネスにも通じることで、商人上りの秀吉ならではのユニークな発想で、まさに「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」的な行動ですね。そして、そうした秀吉の行動をサポートしたのがあの有名な蜂須賀小六で、彼の存在もたいへん重要です。既存の価値観や規制にこだわらぬ、これらのことは、現代のビジネスにも通じることです。そうした先人の知恵や経験をいまに活かし、CBを起こそうではありませんか。
閑話休題
昨年岐阜の大垣市でも講演しましたが、大垣城が思っていたよりも小さかったのには驚きました。関が原の決戦前夜のテレビ、映画映像には必ず大垣城が出てきますが、それは立派な城郭ですので現地に立ったときは少し拍子抜けしました。現場に行かないと何事も分かりませんね。改めて現場を知ることの大切さを知りました。