神田神保町の経済学(2) 大学は文明の配電盤になりうるか!
司馬遼太郎は、その著作の「文明の配電盤」で大正時代の神田について、「近隣の大学は、みな学校商売のにおいがしていました」と述べている。一方早稲田や慶應義塾が発展した理由について神田から遠ざかっていたからだと述べている。
この彼の論述をどう解釈すればよいか?
司馬遼太郎は、大学は自らが文明の配電盤であるとしているが、所長もまさに同感である。神田界隈は商売の街。商品の運命は人々にすぐ消費され、飽きられてしまう。しかし大学はすぐに飽きられては困る存在なのだ。大学は、”真理の追求”をその本分とし、大学自体の存在が商品として消費される環境からなるべく遠ざかっている方が研究者や学生にはよいと判断されたのだろう。
現実的には1960年代の学生運動が下火になった以降、神田界隈の大学はこぞって東京の郊外部である多摩地区に移転し、八王子市には現在50前後の大学キャンパスがあるという。しかし昨今、都心回帰でユータウンする大学も少なくない。問題が地域に山積するわが国の少子高齢社会のなかで、再び大学の存在価値が問われている。それは経済価値のみに留まらず、大学が果たして文明としての配電盤になりうるかどうかが問われているのである。
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