忘れられた誕生日
先日友人とビジネスランチをした。
彼のぼやきを紹介しよう。
人生の半分を消化するとだれもが歳をとりたくないものである。彼は自分の誕生日を大手航空会社2社からのメールで知ったとのこと。記憶をたどるとカード会社には生年月日を申告する。その関係からか、祝福のメールが届いたらしい。
しかし彼曰く、「周りの人間から誕生日を祝福されるのは嬉しい。しかし歳を重ねているからといってまったく無関心では寂しい、ましてやパソコンから祝福されてもたいして嬉しくはない」とぼやいていた。職場でもそうであったらしい。ちなみに彼は独身である。
都会では隣人に対して無関心である。おじさんの歳などかまっていられない。都会の生活スピードは速い。自分の都合でそのときだけ関与して欲しいといってもあとの祭りである。
最近の”婚活”はその辺のことを考慮してパートナーを選ばないと、悲劇を繰り返すだけだ。
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