親の介護を考える
私事だが母を亡くして3年になる
最後はホスピスで静かに息をひきとった。亡くなる日の当日、所長には基調講演とシンポジウム・コーディネーターの仕事があり、危篤の中で仕事場に出かけて行った。”親の死に目には会えない”とはこのことか、と思って仕事場に向った。
大学病院から”ホスピス”への転院ため救急車に同乗し、”がん難民”とはこのことか、と実感した。
北関東にある大学病院には”原則3ヶ月”しかいられなく、どこでもそうだが治癒の見込みのない病人には”容赦なく転院”を迫った。病院探しは家族にとって大変な負担である。
東京から北関東の大学病院まで、発病後の8ヶ月間で67回も通った。仕事をしながらの見舞い・介護はまわりの家族に大きな負担がかかる。
ちょうどいま、芸能人の親の介護疲れの話しが隣りのテレビから流れている。
親の介護はけして他人事ではない。
私も、もしあのままの状態が続いていたら、1年ももたなかっただろう。
« 高速料金がはたしてどうなるか?目が離せない今日この頃である | トップページ | 夏が来れば思い出す、アロハ姿のサーファー課長 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 我々は文明開化以降の時間泥棒を断ち切れるだろうか?(2022.11.17)
- 経済という魔物に支配される現代社会(現代版エンデの時間泥棒)(2022.10.21)
- 北海道東北の人口減少が大変だ!!!(2022.10.05)
- コロナワクチン接種後の副作用緩和に『ライオンのおやつ』を見るのが一番の良薬(おやつ)だ(2022.03.10)
- 戦後日本に生き残った先人達の合言葉を嚙み締める(2022.03.08)
« 高速料金がはたしてどうなるか?目が離せない今日この頃である | トップページ | 夏が来れば思い出す、アロハ姿のサーファー課長 »
コメント