親の介護を考える
私事だが母を亡くして3年になる
最後はホスピスで静かに息をひきとった。亡くなる日の当日、所長には基調講演とシンポジウム・コーディネーターの仕事があり、危篤の中で仕事場に出かけて行った。”親の死に目には会えない”とはこのことか、と思って仕事場に向った。
大学病院から”ホスピス”への転院ため救急車に同乗し、”がん難民”とはこのことか、と実感した。
北関東にある大学病院には”原則3ヶ月”しかいられなく、どこでもそうだが治癒の見込みのない病人には”容赦なく転院”を迫った。病院探しは家族にとって大変な負担である。
東京から北関東の大学病院まで、発病後の8ヶ月間で67回も通った。仕事をしながらの見舞い・介護はまわりの家族に大きな負担がかかる。
ちょうどいま、芸能人の親の介護疲れの話しが隣りのテレビから流れている。
親の介護はけして他人事ではない。
私も、もしあのままの状態が続いていたら、1年ももたなかっただろう。
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