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2009年4月21日 (火)

ニュータウンの一角に均質的なコミュニティの特質を見る

 今日は久しぶりに早起きして散歩に出かけた(花粉症で散歩を控えていた)。

 ニュータウンの一角にある駅前に行き、お隣の駅まで行くためにプラットホームに上がり、そして驚いた。

 プラットホームにカラスの大群が行列をつくり、鈴なりに見えた。いや所長の見間違いだった。それは通勤客だった。新宿行きの始発電車を待つ黒スーツ姿のサラリーマン達がきちんと整列して列車を待っていた。そのとき朝の6:55だ。よく見ると年代も服装も均質化している。きっとライフスタイルもそうだろう。仕事柄、海外調査も少なくない所長にとって、日本でのこうした均質さが世界では異質に映るものだ。

 ここに均質的なわが国の家族像、コミュニティ像を垣間見ることができる。昔はニュータウンだが今はオールドタウンでもしかりだ。お隣の駅の近辺は低層でエレベータのない大団地群だ。しかも駅からバス利用者も大勢いる。かつての賑わいはなく、子供の声は聞こえず、団地の商店街はシャッターが降りたままだ。主に団塊世代以上の方が住む”空の巣(子供が独立して巣立っていった)”の”限界団地(筆者の造語で限界集落の都会版)”に変貌してしまったらしい。

 しかし、そうした高齢化を負のイメージと捉えるのではなく、世界に誇れる高齢者にやさしい、住みやすい、多世代が集住する環境(子育て、親育て、地域活動支援、介護支援、医療支援等)を積極的に考えてみようではないか。

新しい未来型の新産業はそうしたところから生まれるものだ。

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