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2009年5月

2009年5月31日 (日)

羽田からソウル、北京、上海が日帰り圏

 先ほど4日間の北京旅行から帰国しました

彼の地は晴れの日が続き、快適な旅でした

故宮博物院、紫禁城、万里の長城、天壇公園、天安門広場、王府井と駆け足の北京でしたがビジネス街の視察と世界遺産を巡ってきました

北京のレストランである日本人から聞いた話ですが、円高の影響もあり、北京3泊4日でエアー往復と高級ホテルの宿泊、そして食事代のすべて込み込みで何と2万9800円だそうです

彼曰く、「私みたいな年金暮らしの貧乏人は安い海外旅行、金持ちは国内旅行だ」

同様な国内旅行をいくつか調べましたが、同レベルの旅行はどんなにがんばっても、料金3万9800円ほどでした

これでは国内のほとんどの観光地は太刀打ちできません

さらに2010年以降、羽田空港が拡張されれば、ソウル、北京、上海が日帰り圏になります

昨秋CB講演で招聘され、訪れたソウルは、羽田空港から金浦空港まで2時間でした

そして北京も上海も羽田空港から飛行時間は約3時間です

来年12月に青森新幹線が全線開通しますが、東京から青森まで約3時間で結ばれます

新幹線の新たな旅情(ニュータイプの食堂車の復活やジャパン・クール・コンシェルジェの配置など国際色)を創造しないと、国内の多くの観光地はこうした国際価格競争に勝ち目がありません

グローバルな競争はますます激化することでしょう

ですから中央(東京)ばかり見るのではなく、東アジアに視野を置きながら、東京を経由しないで諸外国の大都市と直接繋がるような観光・ビジネス戦略(法律も新たに創ること)が必要となることでしょう

それを別な表現でいえば”複眼思考が地域を元気にする時代の幕開け”なのです

そして本当の意味の”地域主権の時代の幕開け”です

2009年5月26日 (火)

東関親方、お疲れ様でした

 ホソウチ所長は、1994年~2001年まで、東京墨田区の両国駅前に共同事務所を構え、そこを拠点に活動をしていた関係で、よく東関親方を街中で見かけたものだ。東京で両国場所があるとき、よく親方が入り口でキップもぎりをされていた。そんな親方の真摯な態度が、みんなから好感をもたれたものだった。そして昨日の親方の相撲界定年引退は、誠に惜しまれるものだ。親方は人物的にもみんなから愛される存在だった。

 今から4年前だろうか。所長は山形での講演を終えて、新幹線に飛び乗り、グリーン車に自分の席を探したとき、わが目を疑った。何と東関親方の隣の席、つまり親方と東京までお話をさせていただいたのだ。3時間ほどであったろうか。日本人より日本人らしい情のある方だった。山形県内における東関部屋の夏合宿を終えて、山形新幹線にて帰京中での1コマであった。

 所長の年代からすると、ジェシー高見山、お疲れ様でした、と叫びたい。

 東関親方、ホントにお疲れ様でした。

2009年5月23日 (土)

ホソウチ所長の怪しい経済学(神楽坂編)

 昨日青森から帰京したばかりだが、本日土曜日は法政大学の大学院(市ヶ谷)で1コマ講義し、颯爽と神楽坂に繰り出した。五十番で中華饅頭とシュウマイを食し、その後、街歩き中にボランティアガイドさんに誘われ、ガイド料なんと千円を支払い、その群れに従った。はじめてガイドをするというボランティアさんだが、なかなか話しが上手い。暇なので練馬からガイドに来たというが正直でよい。いまどきのお母さんは暇なのか?どこの芸子さんも、舞妓さんも地元出身者が少ないという。仕方がないかと諦め、そのガイドに従う。

 神楽坂は街並みとして、また商店街としてもかなり流行っている。経済学的に見れば地方の10数万都市の経済力にも匹敵するであろう。この人込みを地方の商店街にも少しお裾分けをしたいほどである。そして神楽坂には秘密基地がたくさんあって面白い。台本書きのための旅館があったり、芸子さんの為の見番があったり、はたまた密会のホテルや旅館があったりと、その怪しい雰囲気が所長にはたまらないのだ。しかし料亭はいま6軒に減り、芸子さんも30人ほどしかいないという。所長はこの街が大好きである。路地の曲がりくねったところ、探偵ごっこのようでさらに良しである。近くにアグネスホテルもある。できれば一度宿泊したいものだ。

 そして、すぐ近くには東京物理学校、いまの理科大学がある。そこの近代科学資料館に入館したが、当ブログで以前書いた逗子市の主婦が運営・経営・解説する”理科ハウス”の方がソフト力があって面白い。あれは理科のテーマパーク。一方、その博物館はただモノが置いてあるところで、いまいちなのだ。設置目的が違うから仕方がないのか。

 かくして所長の土曜の楽しみは、市ヶ谷の大学院で「コミュニティ・ビジネス論」を講義し、こうして神楽坂界隈を徘徊することなのだ。最近よく自己を忘れるので”徘徊”でよいのである。

道元禅師に従えば、これは自己を忘れることなり、または自己を習うことなり!!、

”喝” という 天国の鈴木格禅先生のお声が聞こえてくる。

一言、「よい師を持とう」

変化の激しい時代だからこそ、大局を見失ってはいけない

 昨日は青森から帰京した

今回は谷間の朝靄が神秘的であった

この時期、浅虫温泉や下北半島でよくでるらしい

 青森新幹線も七戸駅が姿を現し、2010年12月に東京まで全線開通になるらしい

この時期の青森は薫風新緑で清々しい季節である

平日にもかかわらず1両51席の新幹線グリーン席は行きも帰りも満席であった

特に高齢者のグループ旅行が目に付いた

 浅虫温泉の石木医院のスタッフの方に横浜町に連れて行ってもらった

一面菜の花畑の黄色い高原は圧巻であった

風車の下には、黄色い絨毯が地平線まで続いていた

所長の実家はかつて兼業の養蜂家であったので、菜の花畑の蜜のにおいに鼻が動いた

 十和田市の現代美術館にも足を運んだが、ロンのスタンディング・ウーマンは一見の価値がある

駒の里らしくチェのフラワーホースもよい

同じ市内に”農園カフェひびき”という素敵なお食事処もある

障害者の就労支援の場も兼ねているがそんなことは少しも気づかない

むしろ健常者も障害者も混ざって就労の場が出来ているところが素晴らしい

 

最近の世相で少し心配なことは、大局を見失って部分最適を求める人が多いということだ

部分最適の集積は必ずしも全体の最適にはならない

変化の激しい時代、不安の時代だからこそ、大局を見失ってはいけないのだ

2009年5月 8日 (金)

上野発のアキバ系 ビックスリー家電

 山田さん、小島さん、加藤さんといって何を思われるだろうか?

 この苗字は日本中にどこにでもいらしゃる方のものだが、れっきとしたアキバ系ビックスリーの名前である。いや所長が単にそう呼んでいるだけなのかもしれない。

 その答えは、ヤマダ電機、コジマ、ケーズデンキの創業者の名前が山田さん、小島さん、加藤さんなのだ。

いずれも、アキバから北に100キロ圏に本社を置く、家電量販店の雄である。

どこに共通項があるか、解説してみよう。

 各本社は、ヤマダが高崎市、コジマが宇都宮市、ケーズが水戸市とあり、北関東の各県庁所在地にあり、鉄道でいえば高崎線、宇都宮線、常磐線の中核駅である。これらの始発駅はいずれも上野駅が拠点である。しかし上野駅のもう一つの顔は、北関東から行商人たちの現金買いの拠点であったのである。

 戦後、北関東の商売人は、現金を腹巻に詰め込み、商品買い付けに上野駅へ向ったそうだ。その現金で安く仕入れ、買い付けた商品を担いで電車(当時は汽車)に乗り込み、個人商店で安く販売したそうだ。そうした慣習から現金仕入れで、大量に安く商品を買い付ける家電量販店の仕組みが出来上ったそうだ。

 またクルマ社会の進展が、現在のロードサイド店舗を発達させた。北関東3県は1世帯あたりのクルマ保有台数が2~3台と全国トップクラスにあり、クルマがないと生活ができないライフスタイルになっている。おまけに東京と違い、郊外には広大な土地が続いており、ロードサイド店舗の大型化に拍車をかけ、ますますロードサイド店舗を進展させた。その結果、中心市街地の空洞化が加速し、商店街のシャッター通りを増やした。

 そしてバーイング・パワーの台頭である。作れば売れる時代から、消費者の安さ追求が、スケールメリットを発揮する大型専門量販店のニーズと相俟って、彼らがイニシアチブを握っている。まさにメーカー受難の時代でもある。

 こうして前述した各種要因が複雑に影響し合い、北関東という立地や風土に起因するアキバ系の家電 ビックスリーが誕生したのである。

2009年5月 7日 (木)

ムーンライト・セレナーデを聴きながら ”ありがとう”

 大好きなグレンミラーのムーンライト・セレナーデを聴きながら代々木の研究所でこのブログを書いています。

本日嬉しいことがありました。

このブログの読者から小さな可愛いプレゼントが届きました。

最近当ブログで蜜蜂のことを書きましたが、そのプレゼントには偶然にも3匹の蜜蜂が描かれていました。

以前CB総研(CBI)のHPに3匹の蜜蜂マークを用いていたことがありますが、これをご覧になって贈ってくれたのでしょうか。

 この場を借りまして御礼申し上げます

2009年5月 5日 (火)

最近の乗り物はなぜかエンジン音が”カラカラカラ”と軽いのだ

 ホソウチ所長は乗り物が大好きだ。だからこのブログのタイトルも”旅日記”となっている。

 今日も新宿から私鉄の電車に乗車したが、最近気になるのが乗り物のエンジン音だ。

 車体が軽くなったのか、最近の乗り物は、すべからくそのエンジン音が”カラカラカラ”と軽いのだ。

これは電車だけでなく、最新の飛行機や新型の自動車もそうだ。エンジン全開で頼りないその音を聞くと少し心配なのだ。

 かって所長は”シルキーシックス”と呼ばれるドイツ車に乗っていたことがある。アクセルを踏むと丹田まで響くエンジン音には正直惚れ惚れとしたものだ。

 飛行機も、電車も、自動車も、エンジンの燃費効率が向上し、車体も軽くなったのであろうが、本来乗り物と人間の一体感が醍醐味なのに、少しパワー不足の感が否めないと思うのは所長だけだろうか?

 専門家の意見を聞きたいものだ。

2009年5月 3日 (日)

旅立ちの季節、蜜蜂の分封に思う

 ホソウチ所長の旅日記も今回でちょうど100回目になる。

 この季節になるといつも思い出すのは、”蜜蜂の分封”である。

女王蜂が新しく生まれ巣箱の中で女王蜂が2匹になると、片方の女王蜂が働き蜂の一部を引き連れて巣箱から旅立っていく。これを分封といい、新たな巣分かれである。

このことは”人の世”にもあり、人にも新たな旅立ちがあり、ビジネスの世界では分離独立、暖簾わけのようなものだ。そこに新たな生命体(コミュニティ)が誕生したといってもよいだろう。

かって、わが家は兼業の養蜂家であった。所長も小学生のときから高校生のときまで、採蜜作業として日曜日になると父の手伝いをしたものだ。採蜜作業は、レンゲ蜜が取れるちょうど今頃がスタート時期である。このころから前述の”分封”が始まるのだ。

しかし蜜蜂の分封は、新たな生命体を生み出し、飛躍する大きなチャンスでもある。蜜蜂にとって分封は、子孫繁栄を約束する”生命創造のメカニズム”である。

こうしたメカニズムを内包する自然は、何と偉大なのだろうか

人が集合して作られる地域社会、コミュニティも、本来こうしたメカニズムを内包しているものだが、蜜蜂も人も、いまこうしたメカニズムが少しずつ狂い始めているという。

 

2009年5月 1日 (金)

恩師の戒め、鄭板橋に我が師を想う

中国清代の著名な芸術家、”鄭板橋”をご存知だろうか。

彼は、官試験に合格し、県知事を務めた。そして書家であり、画家であり、篆刻家でもある。

先日大学時代の恩師宅にお邪魔し、拝領してきた”鄭板橋の拓本”が表具屋で裏打ちされ、当方のコミュニティビジネス総合研究所のオフィスに掲げられた。

そこには漢詩の横書きで、”喫●是福”(●は、かけているの常用外の漢字;月が欠けると同じ意味のものらしい)と表記されている。

この拓本に書かれた意味を探しに、好奇心旺盛なホソウチ所長の図書館めぐり、古書店めぐりが始まった。

その結果、おおよその意味は、”満ち足りてしまったということは、それ以上のものがないから欠けてくる。それは損の機である。しかし自分が損すれば相手が儲かる。考えようによってはそんなことで悩むことはない。そう考えて過ごせば心安らかでいられる。心安らかでいられることこそ、そこに幸せがくるものだ。”

CB総研として独立して10年、恩師の戒めは、20歳代の研究者を志すとき、そして今回と得がたいものを頂いたようだ。

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