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2009年12月

2009年12月26日 (土)

地域ブランドとしての”スモール・タウン=小京都、小江戸”とは

小生が仕事で訪れた弘前、角館、栃木、川越、佐原、飛騨古川、高山、金沢などが小京都、小江戸といわれている

これはスモール・ジャパン・タウン(小生の造語)のことで、地域を1つのブランド・タウンとして見た場合、クール・ジャパンの”凝縮したまち”であることがいえる

それら共通の特徴としては、神社仏閣、城閣、武家屋敷や蔵のある街並みなど、古い建物(ハードウェアー)や町内会ごとの山車引き組織(連=ヒューマンウェアー)や神輿担ぎ組織がある。

また和の工芸群的な産業クラスター(欄間、和タンス、桶、木工細工など、そして法被や和服づくり、水引、日本酒造りや麹売りなど)が残存している

そして伝統的な祭りが江戸時代から継続しているということがいえる

これからはこうした”スモール・ジャパン・タウン(小生の造語)”が世界を意識した21世紀の日本の観光資源になってくる

スモール(かつスマート)とは、コミュニティ・ビジネスのコンセプトにもあい通じる等身大、身の丈サイズで無理をしない、有りのままというコンセプトです

こうして日本文化はいにしえより”自然環境(風土)に寄り添う文化”だったのだ

2009年12月21日 (月)

子供の教育には”先人の歩み”を読み聞かせるのが大切だ

昨夜(12/20)秋田県角館(仙北市)から帰京した

法政大学の地域づくり塾の講師であった

低気圧の影響により週末からの大雪でまちは真っ白だった

帰り間際の町中で、各町内から出たと思われる住民達が沿道に十数名出て、雪かきをしていた(これはコミュニティの活動・お勤めだ)

その主役は中高年の人々だ(若い人の参加はどこも皆無?)

高齢化の波はやっぱりここにも来ている

雪国は年間の1/4は雪の中での生活だ

角館の武家屋敷近辺の飲食店もさすがに店を閉じていた

こうしたハンディキャップは経済・ビジネスの世界でも出ている

しかし、いくつかの光りが見える

例えば角館では

新潮社の創業を成し遂げた地元出身の佐藤氏の記念館だ

10代後半で東京に出て、出版業を創業し、苦難の末、現在の新潮社の礎を築いた

まさにベンチャー・ビジネスだ

子供の教育には”先人の歩み”を読み聞かせるのが大切だ

幼いときから子供にそうした偉人伝を読み聞かせるのがいい

できれば偉人・先人を顕彰している記念館に連れて行くのが一番よいだろう

子供の将来への夢(どんな職業に就きたいのか等)はこうしたことから膨らむのだ

2009年12月16日 (水)

飛騨で”はんぺん”を食べましょ

法政大学の地域づくり講師として先日12/10に飛騨古川まで行ってきました

朝ドラの”さくらさん”はいませんでしたが地元の蝋燭屋さんで赤白のロウソクをセットで購入してきました

お隣の飛騨高山は、数年前世界生活文化センターから招聘を受け、CB講演に行ってきた所です

当時館長であった俳優の渡邊文雄さんと講演の橋渡しをしてくれた信州大学の玉井袈裟男先生と3人で講演会後に食事に行きましたが、今はお二人とも鬼籍に入られ、その前に立つとたいへん懐かしく感じました

さて今回、山国の飛騨で海の幸を堪能してきました

B級グルメの地元の人しか注文しないという”クロはんぺん” ”ホッケ” ”白菜の鉄板焼” ”飛騨牛のキワ?” と受講生が注文してくれました

日本酒と合い、たいへん美味でした

山で海の幸を食らうとは、最高の贅沢なのですね

今回初めて分かりました

2009年12月12日 (土)

デジタルで明るい展望を

地域の現場を歩くと地域に元気がない

商店街のある商店主は60歳だが、跡取り息子はすでに会社員になっている。自分の代で店じまいだと思っている。商店ばかりでない。農家も現役のファマーは60歳半ば、あと何年続けられるか、先祖伝来の土地が荒れていくのが心配だと嘆いている。

四国のある漁港ではかつてトロール船が100隻近くあったものが、乱獲と水温の上昇、そして燃料の高騰で操業するトロール船が1桁台になってしまったと老漁夫がつぶやく。

都会の下町にあった町工場が高級マンションに変貌し、かつての町工場の親父は廃業した。いま等価交換で最上階に住んでいるが陸に上がった魚は元気がない。

こうして見てくると、商業も農業も漁業も工業も地域に元気がない。いずれの地域も子供の声が聞こえてこない。少子高齢化が一層拍車をかけている。

ICTは各産業分野に浸透しつつあるが、わが国の地域社会に果たしてチェンジをもたらしてくれるだろうか。デジタルで明るい展望を見いだしたいものだ。

~総務省地域情報化委員のメーリングリスト投稿(拙稿)より~

2009年12月 2日 (水)

陳さん、北京に帰る

昨年のリーマンショック以来、飲食店の客足は遠退いている

所長行きつけの神田の中華料理店も今年の初めから料理の単価を下げたのに明らかに客足が減っていた

久しぶりに最近訪ねたが何と支配人が替わり、支配人の陳さんは故郷の北京に帰ってしまった

最後に陳さんにあったとき、今度の休みを利用して女房を連れて九州の温泉に行くといっていた

そういえば知人の飲食店も”今年春先に店を閉じた”と寂しくつぶやいていた

リーマンショック以来の経済不況はこんなところにも出ているのかと感じ入った次第である

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