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2010年6月

2010年6月30日 (水)

人間(じんかん)万事塞翁が馬

今日は久しぶりに大勢の人の前でコミュニティ・ビジネス(CB)の講義をしてきた。

駒澤大学の松本典子専任講師の「非営利組織論」の中で「日本の社会的企業(CB)」を紹介してきた。

300名ほどの学生・参加者がいて大教室の後ろに立見が出るほどの講義は久しぶりだった。

昔多摩大学で兼任講師をしていた9年前にも履修生が400名だったからそれ以来の聴衆だろうか。

今回は公開講座だったので中高年の方が数名いたが少しも気にならなかった。わざわざ話しを聴きに来てくれたのだろうか。ありがたいことである。

昨夜のワールドカップの日本×パラグアイ戦の影響は軽微で寝ている学生はほとんどいなかったのが幸いした。

でもわが国の学生は大勢の前ではおとなしい。講義終了後に何人かが質問に来た。

さて所長が30歳代の頃、駒澤大学仏教学部の鈴木格禅先生(故人)の坐禅指導とご提唱に触れていたので、駒澤大学の坐禅堂の見学には感動した。そして鈴木格禅先生の師でもある坐禅博物館内の澤木興道老師の木像にも感激した。

鈴木格禅先生は先の大戦特攻隊の生き残りで、先生は以前”高橋格”と名乗っていたが、澤木興道老師のお導きでこの道に入ったことをわれわれにお話してくれた。格禅先生いわく、『人間(じんかん)万事塞翁が馬』である。

坐禅のあとのご提唱で”正法眼蔵随聞記”を始める前に、格禅先生必ずいわく、『お平らになさってください』という言葉が今も耳から離れない。格禅先生の全国坐禅布教の影響下、小生のコミュニティ・ビジネス普及活動もおかげさまで全国各地で1千回を超えた。

人生はすべからくご縁である。所長の卒園した明星幼稚園(佐野市田沼町にある曹洞宗西林寺の幼稚園)の滝口園長先生は格禅先生と駒澤大学で同期であったことを生前鈴木格禅先生から直接伺い、ご縁の大切さを学び取ったものだ。

合掌。

2010年6月29日 (火)

五十の手習い

一昨日千葉の九十九里浜にある山武市のコミュニティ・ビジネス講座より帰京した。

この季節道路沿いにある直売所には大きな西瓜が店頭に並びはじめた。丸いものもあればラグビーボールのものもあり、同じ大きさのものがなく、不ぞろいが個性的だ。

以前、職員さんに町中を案内していただいたとき、伊能忠敬の生家がたしか山武市の隣接地の九十九里町にあったのを思い出した。かやぶき家でこじんまりとした趣のある家だった。

伊能忠敬は千葉県佐原の商家へ養子に行き、成人後立派な商人になった。その後忠敬は53歳にして家業を息子に譲り、50の手習いで測量技術を江戸に出て学んだ。当時男性の平均寿命が50歳であるから彼は長生きした方であり、第2の人生に新たな目標を設定した。それはとてつもなく大きな目標で自らの測量による『日本地図の完成』であった(人は目標を持つと長生きするものだ)。

今日発表の5月完全失業率は5.2%、経済の停滞でいま巷には働く目的や目標を見失ってしまった老若男女の方がたくさんいらしゃる。どうだろうか。中高年のみなさんは伊能忠敬を見習って”ひとつ50の手習い”をしてみようではないか。

図書館通いもいいが、地域では実践行動あるのみだ。自ら動かないとだれも声を掛けてくれない。そんな世の中だ。

地元では今でも伊能忠敬に愛着を込めて『忠敬ちゅうけい)』さんと呼んでいる。

2010年6月25日 (金)

草食系男子の父親たち、”パピルス系オヤジ”

本日朝、ワールドカップの肉食系選手がフィールドを駆け巡り、ゴールする姿に久しぶりに日本男児を見た。そして18年前だろうか、サッカーJリーグ発足前に所長が銀行の研究員時代に直接川渕元議長に質問したときのことを思い出した。当時川渕さんは「ここまでこれたのはパッションだ。思い続ける情熱が大切だ」と力説していた。日本サッカーの決勝リーグ進出は、川渕さんのこうした”パッション”の賜物だと思う。

忙中間あり

近くの公立図書館でラブコメディのDVDを借りてきた。

古典的なラブコメディの1本目は、マリリン・モンローの「お熱いのがお好き」だ。ストリーがよく練られていて面白かった。禁酒法時代の世相を背景にした1959年のアメリカ作品だ。2本目は1997年に英国アカデミー賞を受賞した英国の「フル・モンティ」、英国病といわれ国力の衰退が引き起こす失業者たちの滑稽な仕事起こしの物語だ。男性へのアイロニーと女性のたくましさがオーバーラップして、とてもシニカルだ。3本目はレンタルショップでいま話題の「S アンド THE CITY」(2008年版)を借りてきたが、ニューヨークの4人のたくましい女性たちに男性諸氏が翻弄され、つくづく男性受難の現代社会を実感したが、最後はみんなハッピーエンドで終わるのがよい。極楽トンボ、ご覧あれ!

閑話休題

冒頭の肉食系男子は、わが国でもめっきり少なくなった。草食系男子と揶揄される若者がアイホンを求めて行列する時代。彼らの父親は”パピルス系オヤジ(所長の命名)”といわれ朝から図書館の開館を待って行列する。行列はパチンコ店でなく、いまや公立図書館だ。

草食系男子の父親たち、すなわち団塊世代以上の”パピルス系オヤジ(所長の命名)”は会社を無事定年退職したものの、(奥さんから)朝から自宅にはおいてもらえず、ひたすら毎日図書館通いをする。首都圏の公立図書館は朝から晩まで、一日中そうした新聞雑誌に目を通す”パピルス系オヤジ”で超満員である。

男子受難の時代は当分つづく。

2010年6月22日 (火)

高齢者にやさしい湘南の心地よいまち

昨日は月一のコミュニティFM ラジオ出演のために神奈川県逗子市(正確には葉山町の葉山マリーナにある湘南ビーチFM のスタジオ)に行って来た。

逗子市は人口約6万人のまちで、お隣の葉山町の玄関口でもあるのであわせて約10万人のまちになる。

逗子市の逗子銀座通り商店街を歩いてきたが盛況で空き店舗が見当たらない。全国的にも空き店舗がほとんどない稀有なまちだ。そこを通過して海岸まで散策するには、ちょうどよい道程だ。

海開きが真近なので海岸沿いが少し忙しないが、浜風と潮の香りをたっぷりと浴びて心地よい。

JR逗子駅前には多くの住民たちがバスを待っている。このまちはバスがよく似合うまちだ。

いまどきバスが欠かせなく、住民の足であるのも共感できる。

逗子・葉山は、葉山御用邸が明治27年に設けられてから別荘・ホテル文化が花開き、新しい生活文化が多数創造されてきたまちだ。

「わが国のヨット発祥の地」の碑もあり、いまも別荘文化と庶民の生活が切り離せない等身大で身の丈サイズのまちになっている。

神奈川県内の市の中で一番高い高齢化率を誇るのは、このまちが等身大で緑も多く高齢者にはすごしやすいまちだからだ(日本も高齢者が多いまちを誇りに思うようにならないといけない)。

所長もあと数年したらこのまちに引越してこようかなと考えている候補地の一つである。

逗子・葉山地区は海、山、川が身近にあり、冬は暖かく、生活文化の香りがする素敵なところである。

2010年6月17日 (木)

『ローカルこそ、グローバルに通ず』

わが国の経済の成長戦略が見えない。

だから国民の士気も株式も低迷したままだ。

所長の持論は経済的な面から見れば『日本連邦国家・分国論』で、地域地域に相応しい政策を展開する日本連邦国家群が、これからの地域社会に相応しいのではないかと考える。

北海道の農業は、九州の農業と違う。政策も制度も違って当然だ。同じ政策、制度であること自体が奇異にさえ感じる。

北海道には北海道に相応しい農業施策や産業施策があるはず。

新幹線が今年年末までに青森までつながるが、北海道がこの延伸を期待するのでは東京一極集中はいっこうに解消できない。

これは九州新幹線とて同じだ。相変わらず東京を向いているからだ。

地域連邦国家は、それぞれが地域独自の特徴を出し合い、連邦国家間で競争することこそ、真に国際的な活路が拓けるものだ。

『ローカルこそ、グローバルに通ず』だ。

2010年6月15日 (火)

山武市のコミュニティ・ビジネス コラム

いま千葉県山武市においてコミュニティ・ビジネス講座が開かれている。

海、山、川すべてがあり、空が大きく広がる人口5万8千人のまちである。

九十九里浜の真ん中に位置するまちでもある。

成田空港利用者ならば滑走路の延長線上(はにわ街道)に広がるまちといった方が分かりやすいかもしれない。

その山武市役所のホームページにコミュニティ・ビジネスのコラムが掲載されている。

事務局スタッフさんが纏めてくれたものである。

http://www.city.sammu.lg.jp/section/soumu/katsudoshien/news/cb_column.html

ぜひ見て欲しいものである。

2010年6月13日 (日)

経済生活の友愛と「空と風」

所長は、コミュニティ・ビジネスを別の言葉で言えば「経済生活の友愛」である、と10年前から言っている。

拙著で言えば、鳩山さんが首相になる前の2006年2月発行の拙著『みんなが主役のコミュニティ・ビジネス』(ぎょうせい)の32項に「経済生活の友愛」としてコミュニティ・ビジネスを紹介している。

今日6/13は、その経済生活の友愛について千葉県山武市でコミュニティ・ビジネス講座(入門編)の講義をしてきた。

帰りに山武市古和にあるお気に入りの「空と風」(田園レストラン)に寄って来た。

所長は全国1000箇所でコミュニティ・ビジネスの講演・ワークショップをしてきたが、ここのレストランは全国でもお薦めベスト3に入れてよいだろう。

風水的見地から見ても最高の地にあり、通り抜ける風が心地よい。

まさに「空と風」である。

あっという間に2時間が過ぎてしまった。

所長の当旅日記のブログは毎回数十人しか見ていないから、この情報はあまりもれないだろう(笑い!)

若女将のセンスも抜群である。

空に舞い上がる(成田空港に出入りする)飛行機を眺めながら、少し濃い目のコーヒーはオツナモンである。

2010年6月11日 (金)

韓国の国際シンポジウムから招聘

細内所長は、7月8日韓国ソウルにて開催される韓日英の国際シンポジウム(主催:Better Social Enterprise Network 京畿道福祉基金;社会事業促進のための方針比較)から招聘を受け、『日本のコミュニティ・ビジネス(社会的企業、社会事業)』の話をしてくる。最近細内が所長を務めるコミュニティビジネス総合研究所には、韓国の政府関係者、NPO関係者からの訪問も相次ぐが、今回で2度目の韓国招聘講演だ。

細内所長は、すでにコミュニティ・ビジネスの関連書籍を12冊著わしているが、そのうち2冊が韓国で韓国語に翻訳されて出版されている。

おりしも韓国では、7月7日は「社会的企業」の日だそうだ。それに合わせた韓日英の国際シンポジウムらしい。

その概要を紹介しよう(当方にて招聘英文を和文に翻訳)。

国際シンポジウム:社会事業促進のための方針比較

1.シンポジウム概要

日程:201078日(木)14:00-18:00

会場:ソウル Taepyeongno Jung-gu 報道センター

プログラム:祝辞・開会の言葉、プレゼンテーション・ディスカッション、質疑応答

主催:Better Social Enterprise Network 京畿道福祉基金

協力:京畿道州、労働省、厚生省

関係者:社会事業代表/社会事業、大学、報道関係者など(関係者数約300人)

2. シンポジウムの目的

・社会事業促進のための様々な国やタイプの方針比較を通した、韓国型の社会事業促進方針の発展。例えば、人脈、学問の理論的支援、社会ベンチャー資本、コミュニティ・ビジネス、下層に置かれた能力ある失業者のための社会事業の事業統合方針など。

・ヨーロッパやアメリカ、日本などの国々の先進事例や経験から学ぶ。また韓国の社会事業の経験、事例、方針を知るための国際的関係性の構築。

 

☆英国からも有識者を招聘するので韓日英の国際シンポジウムになるらしい。

(上記内容は現時点のものであり、都合により変更があります。詳しくは主催者にお問い合わせください。)

2010年6月10日 (木)

ゆったりとした時間が流れるまち

 先日久しぶりに多摩ニュータウンの初期開発地区(1970年代にまち開き)である永山団地に行ってきた。

人影もまばらだったが今日は良い面を書いてみよう。

 日中からゆったりとした時間が流れていた。下駄履き商店街といわれる団地の1階にある店舗は、半分ほどシャッターが降りていたが、昭和のレトロ商店街的な面持ちがあり、安心商店街だ。NPO法人の事務所もあり、喫茶のたまり場もあり、デイ・サービスも入居し、高齢社会に対応した業種業態展開だ。

 学童の減少により近くの小学校はすでに閉校になり、校庭では高齢者たちがゲートボールを楽しんでいた。体育館ではソーシャルダンスに取り組む老カップルが十数組いたであろうか、スローなメロディが心地よく聞こえてきた。そこにはゆったりとした時間が漂う。

 尾根の向こう側にある多摩ニュータウンの21世紀団地(稲城若葉台地区、2000年にまち開き)とは好対照だ。若葉台地区には家電量販店が2店舗、医療モール、銀行・郵便局が3店舗、大型のショッピングセンターも3店舗、そして中型だが稲城市の文化ホールや図書館などなどずいぶんと”まち”らしくなってきた。現代の車社会に対応した”まち”になっており、忙しない喧騒がそこにある。少し落ち着かない人工のまちでもある。

 若葉台小学校では児童の急増(高層マンションンの林立)により、児童はプレハブ教室で学んでいる。多摩丘陵の尾根一つ挟んで片や閉校する小学校、片や児童急増のプレハブ教室と正反対の現象が起きている。

 さて、あなたはどちらのまちに住んでみたいだろうか?

2010年6月 9日 (水)

奇兵隊の諸君!われ草莽の民とならん

昨今世間では社会起業家ばやりだが、幕末時「われ草莽の民とならん!」と吉田松陰は奇兵隊の若者たちに問うた。

長州の奇兵隊は、当時のサムライ諸氏ばかりでなく、農民、町民など志あるものが集結し、行動を起こした。

細内所長は、そんな「草莽の民とならん!」という言葉が大好きである。

『コミュニティ・ビジネスを起こす社会起業家』には、この言葉がぴったりだからだ。

あれから160年も時代は進んだが、いまも黒船の来航はひっきりなしで変わらない。そのとき時のわが国政府を苦しめている。

そして日本政府の財政はギリシャ国よりも逼迫している。まるで徳川幕府の政治舵取りと同じになってきた。

幕末の時代背景と近似してきたのだ。やがて徳政令がでるあろう。

話題急転

吉田松陰の師、佐久間象山(真田藩)は勝海舟の師でもある。海舟は25歳も年の差の妹を佐久間象山に嫁がせている。それだけ象山を信頼していたのか、それともおどされたのか(笑い!)。

長野市松代町(旧真田藩領地)には佐久間象山による”日本の電信発祥の地”の碑が建っている。

現代の山積みする日本国の課題を解決するには、「われ草莽の民とならん!」というような”高邁な志”を持った草の根の市民と日本の電信発祥の地になるような”技術革新(イノベーション)”が必要だ。

『立ち上がれ!日本のコミュニティ・ビジネスの社会起業家達よ!』

そう叫びたい。

2010年6月 4日 (金)

団地生活30年に想う

細内所長は大学卒業後、東京近郊の団地生活がもう30年近くになる。

1980年代の前半は千葉県松戸市にある常盤平団地(当時の常盤平は満室で人気の団地だった)のお隣の2DK、50平米の公団賃貸団地だった。

1989年からは神奈川県川崎市北部にある西菅団地、ここでは当時最新設備で電話による遠隔操作で風呂が沸かせる3LDK、75平米の川崎市住宅開発公社の分譲団地だった。

2001年からは多摩ニュータウン最後の開発エリアで床暖房も完備した高層の500世帯を超える民間の大型分譲団地であった。

いずれの団地も典型的な職住分離によるライフスタイルであり、今もその団地生活は続いている。

昨年福岡の麻生さんのお宅を講演の帰りに主催者のお一人からご案内をいただいたが、あちらは3万坪の大邸宅、こちらは23坪の狭い団地暮らし。ため息がでたものだ。

そして職場まで平均通勤時間が60分、1日120分も電車に乗っている。人生の内でもう数年分は電車に乗っただろうか。

庶民はつらいよだ。

宮澤総理はかって生活大国を標榜していたが、庶民の生活はちっとも豊かにならなかった。

宮澤さんとは、最晩年に原宿駅近くのご自宅の前でお話しすることが2回もあったが、この話題は聞かずじまいだった。今思うとたいへん残念である。

所長にはふるさとに帰る場所はない(東京に住む団塊世代の地方出身者はみんな同じだろう)。

ふるさとでは”今浦島太郎”で、兄弟の家族が住んでいるからだ。

団地生活に何をか思うやだ。

庶民はつらいよ。

2010年6月 3日 (木)

3層構造からなる情報コミュニティの社会

昨今ツイッターが流行しているらしいが、一人暮らしの孤独な人たちの連絡手段に使えないだろうか?

そうした人々のつぶやきに耳を傾けて、それを見ただれか(フォローアー)が会いに行く、話しに行く、応援にいくなどなどができれば、孤独な人の寂しさも少しは和らぐに相違ないだろう。

所長はツイッターは”うわずみ情報”のネットであると思っている。

そして一人暮らしの孤独な人々の暗いつぶやきは、”沈殿情報”だ。

その真ん中は”両サイドと交信可能な普通のコミュニティ(このネーミングは正確でない)”を持っている人たちだ。

世の中いま大雑把にいうと、”うわずみ情報のコミュニティ”、”普通のコミュニティ”、”沈殿情報のコミュニティ”の3層構造からなる情報コミュニティの社会だ。

ネットを持っていないと3層間を自由に行き来することが困難な情報社会なのだ。

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