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2011年3月

2011年3月30日 (水)

東北鎮魂歌(仙台、名取)

仙台市にはいままで講演や研究会でよく出かけたものだ。今年1月27日も宮城県大和町にある宮城大の授業<コミュニティ・ビジネス>の講義を終えて、夕方仙台駅から新幹線で帰京したが、大震災後の仙台駅新幹線プラットフォームをテレビで見て、愕然とした。屋根から多くの建材が剥がれ落ちているではないか。きっとケガ人もたくさん出たことであろう。みなさん、だいじょうぶだろうか。

そして仙台市のお隣り名取市(商工会)にも数年前に講演でお邪魔したことがある。当時の講演テーマは衰退する中心市街地の再生問題であったが、地元にある仙台空港(名取市にある)との連携で中心市街地を再生していこうと地元商店街の方々は意気込んでいた。

今回の大津波によって仙台空港の水没するシーンが大写しにされていたが、みなさんだいじょうぶであろうか、と一瞬脳裏を掠めたものだ。

2011年3月28日 (月)

今こそ国家のグランドデザインを見直すとき

このたびの東日本大震災は、わが国が抱えていたさまざまな問題を噴出させた。

その中でも適正規模、適正コミュニティのあり方がいま問われている。

ここは大局的見地にたって、東京圏(1都6県)への一極集中を見直す一大転機を迎えていると考える。これは東北地区の復興と合わせて取り組むべき問題であり、次の日本社会の未来像がそこに見えてくるはずである。

現在、関東平野の東京圏に、わが国の人口1億2750万人の1/3、すなわち4240万人(東京1300万人、神奈川900万人、埼玉720万人、千葉620万人、茨城300万人、栃木200万人、群馬200万人)が集中して暮らしている。そこでは経済活動や生活基盤を維持するために莫大なエネルギーが必要とされる。この一大社会経済構造こそ、わが国の社会的経済的危機の根源となっている。

地域コミュニティの自立は、極論すれば顔の見える関係による安心・安全のコミュニティの成立と地域資源の適切なる域内循環であるが、そのエネルギーや水源を主に新潟県や福島県、そして北関東に大きく依存している東京圏の社会経済構造こそ、大問題なのである。

計画停電の現実が示す通り、東京圏は人口やエネルギー面ばかりか、すべての面で最適規模を逸脱しているといえよう。部分最適がけして全体最適でないことは今回の震災で明白だ。今こそ大局的見地にたって日本国のグランドデザインを見直すべきではないか。

人間の想定がはるかに及ばないところに自然の偉大さがある。

東北鎮魂歌(東松島市矢本町)

宮城県庁の方とキャラバン隊を組んでコミュニティ・ビジネス(CB)普及のために、宮城県矢本町、気仙沼市を訪れ、CB講演と現地起業者との交流会をしてからだいぶ月日が経つ。シンクタンクの研究員を辞め、独立してからだから10年近くは経つだろうか。

矢本町の印象は仙台からも近く、平らな海岸線が続く平坦で穏やかなまち、そしてあのアクロバット飛行隊で有名なブルーインパルスのある町であった。

大津波のためとはいえ、超音速飛行機が水没している映像をテレビで見て衝撃を覚えた。千年に一度の大津波のため、緊急発進が出来ずに水没した。

大津波のような自然の脅威の前では人間は無力であり、ただただ茫然自失するしかないものなのか。今回の大地震には自然の偉大さをまざまざと見せつけられたものだった。

2011年3月27日 (日)

東北鎮魂歌(石巻市雄勝町)

シンクタンクの研究員だったころ、宮城県雄勝町に特産品の雄勝石の取材にいったことがある。雄勝石は硯に使われたり、最近は洋館の屋根など、住宅用スレートとして主に活用されていた。

取材先の雄勝石振興組合は、湾内の海沿いにあったが、近くには雄勝石に関する博物館もあり、リアス式海岸の観光スポットの一つにもなっていた。

その日は取材を終えて近くの浜辺にある民宿に泊まったが、その宿のおばさんが海中の網籠に入った海栗を海から直接取り出してくれ、夕飯の食膳にのせてくれた。そのおばさんの笑顔が今でも脳裏に残っている。

テレビに映る雄勝町の映像は跡形もない状況だったが、あのおばさんは無事でいるだろうか。

2011年3月26日 (土)

東北鎮魂歌(宮古)

二昔前になるだろうか、所長がシンクタンクの研究員時代、「さけの中骨缶詰」の取材で岩手県宮古市を訪れたことがある。その後2002年1月には、いわてコミュニティ・ビジネス協議会のメンバーとCB普及のためにキャラバン隊を組んで北上、一ノ関、宮古と講演でまわったものだった。

東京の自宅から宮古まで8時間近くはかかっただろうか。盛岡で新幹線を降り、ローカル線に乗り換えてのんびりと三陸海岸にある宮古市に向かった。

「さけの中骨缶詰」の制作者は宮古水産高校の先生。生徒たちと実習で作った「さけの中骨入りの缶詰」を秋の文化祭で販売したことがきっかけで全国的に広がっていったものだ。

面接場所は宮古漁協であったが、港湾を一望できる高台にそれはあった。

東京を朝早く出たにもかかわらず、着いたのは夕陽が海面を照らし、湾内一帯が黄昏どきになっていた。

あの海面を照らす温かな夕陽と街並みが今回の大津波で一瞬にして消えてしまったとは誠に信じられないことだ。

テレビの映像は嘘であって欲しいと願うのは私ばかりでないだろう。

2011年3月25日 (金)

東北鎮魂歌(気仙沼)

いま机の上にサメ皮で作られた小さな財布がある。当時特産品開発として1万円の新札発行(当時一回り小さくなった新札)に合わせて開発されたものだ。

それは、宮城県庁の方とキャラバン隊を組んでコミュニティ・ビジネス(CB)普及のために気仙沼市を訪れ、CBの講演をした時に購入したものだ。

講演会終了後、港湾が一望できる高台にあるリアス・アース美術館に、地元女性グループと一緒に訪れたが、昨日の新聞紙上に美術館の被災状況が詳しくレポートされていた。学芸員さんが損害を受けた建物の中で収蔵作品を必死に守っているという。

海藻をすいた名刺を自慢げに差し出す人、開発したばかりのさんまの押しずしや地元海産物の加工品を紹介する人など、”物をもって語れCB”のテーマには事欠かない豊かな町であった。

あの人たちはどうしているだろうか。彼らの笑顔が今も脳裏に浮かんで消えない。

みんな無事でいてほしい。

2011年3月23日 (水)

元気を出そう日本。

いまこそ元気を出そう日本。

一人ひとりが元気を出すことでまわりも明るくなる。

元気を出そう日本。

地域コミュニティは顔の見える関係が基本だ。

手を取り合い、顔を合わせて”暖かな絆”を確認することから”安心感”が生まれる。

いまこそ地域コミュニティで手を取りあい喜びも悲しみも共に分かち合おう。

2011年3月14日 (月)

東日本大震災には心が痛みます。

3月11日の東日本大震災はたいへん心が痛みます。

まちづくりの仕事をしていますので東北各地に友人・知人が多く、お元気でおられることをお祈りします。

こちらからのメールへご返事のない方もいらしゃいますがご無事をお祈りし致します。

みなさん元気を出して喜びも辛さも共に分かち合いましょう。

2011年3月 6日 (日)

自然の摂理はたいしたもんだ。

最近の国政を見ていると、わが国もミツバチのように分封した方が良いのではないかと思う。首相が4人くらいいれば世界と充分にコミュニケーションが取れるであろう。

所長は日ごろから日本連邦国家論を言っている。4つ(北海道、東日本、西日本、沖縄)くらいの連邦政府から成る日本連邦国家だ。

例えば北海道や沖縄は独自に経済、通商を自由にすればよい。北海道にはデンマークが、沖縄にはシンガポールや香港という先行事例があるではないか。

北も南も風土が違うのだから同じ法律で縛る必要はない。

ミツバチの分封は春先から初夏にかけて新しい女王蜂が数匹誕生し巣分れする。もとの巣箱には1匹の女王蜂しか残らない。

自然の摂理はたいしたもんだ。適正規模を常に保とうとする。

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