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2011年4月

2011年4月28日 (木)

”もっと、もっと”の経済への警鐘

昨年まで冷房の効き過ぎる電車に困惑して通勤していた。半袖で生活しているのに上着をはおらないと寒すぎて電車に乗れない。車掌にそう訴えると、そういう人は弱冷房車に乗ってくださいという。そんな車両は10両中1両しかない。

どこのオフィス、商業施設も冷房の効きすぎだった。そんな生活へのスローガンは、”もっと、もっと”である。いまでもそうした言葉に訴求するテレビのコマーシャルが時折流れるが”足るを知る”という先人の知恵はどこに行ってしまったのだろうか。

計画停電でやっと足るを知った人々は極端な自粛に向かう。小さな街路灯まで消して暗い世の中を一層暗くする。これではますます経済が萎縮する。お金は天下の回りもの。足るを知り、節度ある暮らしを一人ひとりが心掛ければ、地域経済も人々の笑顔もまわりだすものだ。

2011年4月25日 (月)

キャンディーズ(スーちゃん)の思い出

今日テレビでキャンディーズのスーちゃんのお見送り式をみました。

所長は54歳で同級生です。今回のことはとっても残念なこと、たいへん悲しいことです。3年半前の当ブログでも触れたように一度だけ彼女に会っています。仕事柄空港や新幹線の車中で有名人に会うことが少なくないのですが、福岡空港の出発ロビーの長いすでお隣りに座っておられたのが彼女でした。とってもきれいな人でした。そして穏やかな人でした。

当時のブログ⇒ http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/index.html

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当時<2007年9月23日 (日)>のブログから 新街道を行く(9)知的フーテンの寅さん

 先週の細内所長は、福岡県うきは市の浮羽商工会、吉井商工会から招かれ、講演に行ってきました。一度台風で流れましたので今度こそという思いがありました。

閑話休題

福岡空港で飛行機待ちをしているとき、元キャンディーズの田中好子さんがお隣におりました。マネジャー2人が脇を固めていましたのでお話しできませんでした。小生と同じ年ですが相変わらず綺麗な方でした。キャンディーズは所長の高校時代のアイドルでした。

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福岡空港から東京・羽田まで同じ飛行機でしたが、出発まで1時間ほど時間がありましたので、田中さんたちは空港内の飲食店で博多ラーメンを召し上がっていました。お店から出てこられた彼女のつぶやき”○○○○○○○○”が今も耳元に残っています。

ご冥福をお祈りします。

合掌

2011年4月23日 (土)

東北は自然豊かで人情味溢れる豊饒の土地だ。

東北地方は広く、奥行きが深い。

小生がまちづくり講演会や起業ワークショップ等の仕事で訪れたところを、かすかな記憶をたどり(50歳代半ばになると忘れやすいものだ)ながら、今度は前回の続きとして東北内陸部から日本海側の訪れたまちを挙げてみたい。そのことは私自身の東北地方へのレクイエムでもある。

青森県八戸近辺では、おいらせ(下田)町や十和田、青森市近辺では浅虫や八甲田、足を伸ばせば黄色い花でいっぱいの横浜町。津軽では三味線のリズムに体をあわせる金山や五所川原。さらに進むと城下町弘前。青森県はねぶたや棟方志功さんに代表されるように表現力の豊かな地域だ。

弘前から秋田まで足を伸ばすと、まずは能代、そして大館、秋田、大曲、仙北、角館、由利本庄、矢島と、各地とも冬は雪深いがたいへん味わい深いところだ。ハタハタやじゅんさいなど海産物も豊富で酒も美味だ。秋田市にはレオナール・藤田による大壁画がある。藤田はパリで岡本太郎の面倒を見ている。その壁画は部外者が見た秋田の豊かさを表現する最たるものだろう。

鳥海山を越えるとそこは山形だ。江戸期から北前船に代表されるように東北一商いに熱心な地域だ。海運倉庫の建ち並ぶまち酒田、人情と城下町が残る鶴岡、また山形は温泉とソバのまちが多いのが特徴だ。天童の将棋の駒づくりは江戸期武士のコミュニティ・ビジネスだ。寒河江はさくらんぼなどフルーツ街道の中にある。米沢は上杉謙信以来、武士の魂が面々と伝わる殖産興業の精神が活きるまちだ。

東北は、太平洋側も日本海側もいずれも自然豊かで人情味溢れる豊饒の土地だ。

2011年4月21日 (木)

東日本大震災レクイエム

今回の東日本大震災にはたいへんこころ痛むものがある。

阪神大震災後に神戸市長田駅前の焼け跡に立ったときと同じ想いがある。

かつてコミュニティ・ビジネスの講演会や起業ワークショップでまわった八戸、盛岡、花巻(東和)、北上、一ノ関、宮古、釜石、気仙沼、雄勝、石巻、東松島(矢本)、栗駒、登米、築館、大和、仙台、名取、柴田、白石、福島、郡山、会津若松、いわき、北茨城、日立、ひたちなか、水戸、旭(飯岡)、山武(蓮沼)など、各地の様子がテレビに大きく映されるたびに現地でお世話になった方々の笑顔が脳裏をかすめる。

合掌せずにはいられない日々だ。

2011年4月17日 (日)

絆が地域を豊かにし、地域力を高める。

地域コミュニティの現場では、いま人と人との“絆直し”が求められている。そのことは、顔の見える関係がいまこそ必要で、絆が地域を豊かにし、地域力を高めていくからである。わが国は、これから本格的な少子高齢社会を迎えるが、新興国のようなめざましい経済成長はあまり期待できない。そして人口も経済も縮みの社会に突入しようとしている。筆者は民間の一研究者として、地域コミュニティの研究を二十年あまり現場で究明してきた。筆者が審議会委員や講座講師として参画してきた自治体では、あらためて人と人との“絆直し”が進められている。地域住民に参画を仰ぎ、住民本意のまちづくりを展開するために、基本条例を整備し策定してきた。人と人との助け合い、行政や住民間の協働の楽しさや辛さなど、そこには顔の見える関係が求められ、常に安心、安全の地域コミュニティが期待されている。そうした地域社会を維持できる地域コミュニティの大きさが高齢化の進行するコミュニティの現場で熱く議論されている。その基本となる大きさは小学校区相当がよいとされているが、財政的には中学校区相当にならざるをえないのが現状だ。

神奈川県内で高齢化率の高い自治体では、小学校区よりさらに緊密な半径300メートル圏内の地域コミュニティを“ふれあい活動圏”と名付け、住民同士の助け合いの仕組みを創ろうとしているが、肝心の財源はあくまでも行政の補助金頼みだ。そこで筆者は、住民自らが財源の確保に取り組める方法の一つとして「コミュニティ・ビジネス(以下CB)」を全国各地で紹介している。このCBは、「地域住民が主体となって地域の問題に取り組み、やがてビジネスとして成立させていく、地域コミュニティの活性化と地域の元気(地域活力の向上)づくりを目的にした事業活動である。」

そしてCBには、財源確保の面だけでなく住民の自主性を活かした“ふれあい活動”も目標の一つとして考えているが、それを継続して展開していくには、やはり適度な自主財源が必要だ。現場の地域コミュニティでは会社勤めをしてきた天引き納税者が多いため、どうしてもその行動は行政頼み(補助金の導入)にならざるをえない。このことは、多くの働く人々が毎年確定申告をしなくても済むことに起因している。自分が一体どのくらい税を納めているかという意識が欠落している。自ら納めた血税をチェックし、いかに地域コミュニティで有効に活用するかという公益活用の好循環が生まれにくい社会システムとなっている。こうした閉塞感のある地域コミュニティへのCB導入は、住民に起業意識を促し、自立心を育むことに寄与する。つまり住民自身の自分起こしにもつながり、さらには住民同士の新しい社会関係や協働関係づくりを育んでいく。このようにCBの地域コミュニティへの導入は、職住近接の働き方や暮らし方をコミュニティの現場で成立させ、安心できる生活圏(ふれあい活動圏)の形成に寄与する。地域の困った問題の解決や生活をサポートするサービスがきめ細かく地域コミュニティで展開されることにつながるのだ。また地域で活用されていない遊休資源を積極的に活用し、新たな事業展開が見込まれる。こうして地域に存在する全てのものが共生、共存しながら持ち前の機能を充分に活用することで地域は大いに活性化していくのである。

今後CBを地域で安定して展開するには、社会的企業(CB起業の発展形態の一つ)を目指し、地域で積極的に雇用の場づくりと社会貢献を推し進め、かつ地域住民との一体感を醸成することが求められるであろう。そうすることで人と人との“絆”が復活し、タケノコの芽のようにコミュニティの苗床から自分起こしや地域起こしをする“草莽の民”が生まれ、財政的にも健全な地域コミュニティが誕生するに相違ないのである。

(初出:生産性新聞2010.4.15号の拙稿『健全な地域コミュニティの形成にコミュニティ・ビジネスの導入を』より)

2011年4月 9日 (土)

法隆寺に見る安全、安心の仕組みを考える。

新著「新版コミュニティ・ビジネス」を昨年末に上梓し、それを記念して発行元の学芸出版社(京都本社)主催の京都講演をしてきたが、その帰り道に南都奈良、山の辺の道、三輪山、斑鳩の里まで足を伸ばしてきた。

昨年遷都1300年を迎えた奈良だが、町の様子がすっかり変ってしまって、JR駅前近辺など、どこの町にもあるようなありふれた近代的な駅に変わり、少し残念な気がしたのは私一人であろうか。古都奈良は奈良らしさをいつまでも保持して欲しいものだ。

そして今回は古代大和国家成立の地といわれる卑弥呼の里、巻向遺跡、箸墓古墳、山の辺の道、三輪山、大神神社辺りを散策してきた。いずれも中学高校の教科書に出てくるものばかりである。予定になかった大神神社の御神体・三輪山登頂も達成し、古代史研究家を自称する所長としてはたいへん実りのあるものだった。

翌日斑鳩の里の法隆寺にも出かけたが、五重塔、金堂、夢殿など、1400年近くも木造建築が立派に建っている姿を眺めていると、南都奈良、三輪山、斑鳩の地が、いかに地震や台風などの災害に強い土地であったかが分かるものである。

今回の東日本大震災は、われわれ日本人が地震列島の上で暮らしていることをあらためて教えてくれた。そんな中で法隆寺の五重塔に代表される高層木造建築物が1400年近くも大地に建っているのは驚異的だ。そこには強固な地盤はもちろんのこと、大工集団の技の伝承とそれを支えるスポンサー(昔は朝廷、荘園、徳川幕府など)や民衆の支持(太子講など)があることを忘れてはいけない。大震災に負けない仕組みは、この4つがあってはじめて安心を得ることができるのである。今回の東北の復興はハード優先のまちづくりでなく、こうしたことを踏まえて取り組んで欲しいものだ。

2011年4月 4日 (月)

いまこそコミュニティ・ビジネスの出番です。

私は、今回の東日本大震災でますますコミュニティ・ビジネスの必要性を感じています。

被災者の方には地域コミュニティに働く場を用意する(特区で公が社会的企業をつくり、働きたい人の働く場を作る。その際地域資源を活用したCBメニューを用意する)ことでほんとうに元気になっていただきたいと思います。

働くことは社会参加の場をつくることです。

いまこそコミュニティ・ビジネスの出番なのです。

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