美術の館(ヤカタ)の美三昧
先日東京国立近代美術館にて生誕100年の岡本太郎展を二度にわたって見てきた(所長は岡本太郎好きで代々木の研究所には彼のリトグラフが3枚掛けてある)。
今回の展覧会で、岡本太郎はやはり日本の主流をいっていたことを確認した。
それは彼の作品に現れている。まずは”師団長の肖像”であり、次に大阪万博の”太陽の塔”である。
いずれも当時彼が主流でないと、お上からお声が掛からない代物だし、引き受けるところに主流の主流たる所以がある。
そして今週は東京国立博物館の写楽展だ。館(ヤカタ)の中に同じ作品(浮世絵=版画なので沢山同じものが存在する)が2点、3点と展示してある。同じものが何枚もあるというところに浮世絵・版画の存在価値がある。
同じ作品を何枚も額にして掛けるというのは、かってないユニークな展示方法だ。それはさもありなんである。
有名な写楽の浮世絵はほとんどが版画である。視点のあて方によって価値や意味が違ってくる。それには比較対象となるものと並べて展示する必要があったのだ。よってヤカタでの展示作品が同じもので2点、3点と重複するのである。
江戸期の浮世絵は、今風に言えば当時の歌舞伎役者のブロマイドである。写楽の有名な浮世絵(海老蔵など)も、版木の限界に挑戦し、モノによっては、2,000~3,000枚も刷られていたという。
こうしてお上のヤカタで浮世絵を額(情報財になった浮世絵)に入れて見せることは、明治維新の文明開化の成果のひとつなのだ。先人たちに感謝しよう。
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