拝啓 A様。
今福島で起きていることは、120年前の足尾銅山で経験していることと同じです。
1885年(明治18年)頃から栃木県足尾銅山の製錬所から出る煙害で、足尾の松木地区(700年の歴史のある集落であったが、現在そのハゲ山の姿から日本のグラウンドキャ二オンと呼ばれる)では、全住民が避難し、集落あげて転出していきました。
その後、足尾銅山から渡良瀬川に流れる鉱毒のため、その対策として下流域の栃木県谷中村(鉱毒を沈殿させるための遊水池を設定)も、地域の住民が住めなくなりました。また同じ足尾の原地区なども、戦前までの国策でカラミ(鉱石のかす)の堆積場となり、地域住民は退去し、生活の場は跡形もなくなりました。いずれの地域も住民が住めなくなるという、たいへん悲しく、痛ましい出来事でした。
国策による正義はコインの裏表と一緒です。国策は時間とともに正義でなくなることが少なくありません。そして歴史はいま再び繰り返します。
こうした過去の苦い経験から、いかにして地域住民が復興再生して行ったか。その貴重な体験を経験知・形式知にした120年間にわたる地域復興再生学を、今回の東日本震災の復興に活かしたいと考えます。
戦後新潟や福島のエネルギー源等がなければ、わが国の経済大国はなしえなかったでしょうし、それ以前の足尾銅山がなければ明治以降のわが国の殖産興業は困難なものになったことでしょう。
現状の国策会社をみれば、国策による正義は正義でなくなることがままあるのです。そして国策には正義とともに負の遺産も伴うものです。
この正義と負の遺産の両面があることで、人々は格闘し、悶絶し、落胆し、そこを乗り越えて行こうとするところに人類の進歩がある(足尾銅山からは、銅を掘る技術も、二酸化硫黄を硫酸に変える技術も、電気集塵機も、山に緑を蘇らせる技術も・・・先人達が格闘し、乗り越えた技術です:足尾の池野氏から示唆)と私は考えます。
地域に一人でもそうした現状を乗り越えようとする人がいれば一歩前進です。
Aさん、先日の希望のワークショップに参加された足尾の皆さんによろしくお伝えください。
敬具。
シンコウ