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2011年6月

2011年6月30日 (木)

つがるロマンはホント美味いぞ。

先週土曜日の午後、所長は市ヶ谷の法政大学大学院での『コミュニティ・ビジネス論』の講義を終え、神楽坂にランチしに出かけてみた。神楽坂はむかし酒井ウタノカミの屋敷があったところ。いまでも神楽坂には芸事の置き屋さんもあり、江戸の風情が残っているところ。そんなまちの一角に理科大の新ビルができたので入ってみた。

恵比寿ビールの直営店が2Fにあったのでハンバーグランチを食べてみた。恵比寿ビールも飲めて感じのよいところ。ビルには地方のアンテナショップもあり、たいへん雰囲気がよい。

『ウンー。コメが美味い。』と思わず声をあげてしまった。2皿目を終えて、店員さんにおコメの産地を聞いてみたら、青森県産の『つがるロマン』とのこと。後日友人の青森賢人に確認したところ、オカズにあうコメだそうで、炊き方も上手かったのだろうとの弁。

久しぶりにホント、美味しいコメを頂いたものだ。

『美味しいコメが米を食べる人を増やすもの。』、逆グレシャムの法則だ。

2011年6月29日 (水)

ニュースのない日があっても良い。

最近テレビのニュースが少しおかしい。

そんなことをニュースするの?と思うほど、報道のレベルがさがっている。

例えばメルマガのBCC.先が誤ってメンバー間に出てしまったというニュース。

しかしそんなことよくあること。決して驚かない。PC活用時にはよくあることだ。

無理にニュースを流すのではなく。ときにはニュースのない平穏無事な日があってもよいはずだ。

発信者はニュース性の選択眼を養なってほしいものだ。

我が国が成熟した大人の社会になっていないのが残念だ。

2011年6月23日 (木)

いま棚ショップがおもしろい

いま地域では棚ショップがおもしろい。

たて、横、高さの合計が1メートル前後の小さな立方体の中が自分のお店だ。

所長の関係している千葉県東金市のUBOX(拙著「新版コミュニティ・ビジネス」学芸出版社2010を参照されたし)は、1か月千円で貸し出しているが、空きがないほどの繁盛だ。東金商工会議所指導のもと、地元のNPO法人が管理業務をしている。

この小さなBOXが自分のお店になり、主に子育てを終えた女性たちの作品がところせましと置かれ、大輪を咲かせている。手芸物やアクセサリー、ハンドメイド品と個性を競っている。

BOXの中のものが売れれば、管理者には手数料として売上の10~20%が転がり込む。双方に利が出る仕組みだ。

また地域のたまり場としていま各地(神田神保町のすずらん通り、稲城市きりんロード商店街、大網白里町の大里綜合等)に棚ショップが展開している。商店街の空き店舗を中心に生れた新しいコミュニティ・ビジネスの一つだ。

一度足を運ばれることをお薦めする。

2011年6月14日 (火)

"結い"と『わいど!、ワイド!、わーいっど!』の歓喜の島

先週の金曜日から昨日の月曜日まで、日本青年会議所(JCI)鹿児島ブロック大会のフォーラムで基調講演するため、奄美群島の徳之島に行ってきた。

行きは羽田空港から奄美大島経由で徳之島入り。会期中は晴天であったが、帰りに機材不良で1日延期になり、昨日は悪天候のため急遽チケットを変更して鹿児島経由で帰京した。

しかし、旅の醍醐味として徳之島で気がついたことを述べてみよう。

若い人が島外の人と話すとき、標準語を使う(学校教育で学ぶようだ)のには少し驚いた。

闘牛開催(今回闘牛大会を拝見)時、子供から大人まで『わいど!、ワイド!、わーいっど』と連呼し踊りだす島の人、熱血漢の島人にもどる。青森のねぶたや野沢温泉の火祭り、諏訪大社の御柱祭りにも通じる人間の生の歓喜を感じた。

徳之島は特殊出生率が日本一高いところで、かつ泉重千代さんに代表される長寿の島でもある。

このことは、コミュニティで子育てを担う仕組みがあることと高齢者が尊敬される環境にあることに関係がありそうだ。

その証拠に『結い』の存在がいまだにあり、子育てを終えた50歳以上のおばあちゃんたちが担う共同店舗の直売所(野菜やフルーツ、黒糖などを販売)が島内各地にあって盛況だった。聞いたところによると、月商100万円(年商1千万円)を超えるところも少なくないという。店では3人~4人のおばあちゃんたちがお茶を飲みながら店番をしていた。

都市部の本格的な高齢社会を乗り越えるヒントがこの南の島にはありそうだ。また行きたいところの一つだ。

2011年6月 4日 (土)

元気な商店街が懐かしい。

昨日は行きつけ20数年になる床屋のおばちゃんに散髪をしてもらいながら久しぶりに会話が弾んだ。

このおばちゃんはお店の新築ローン1億円を18年掛けて2年前に完済したそうだ。

細腕1本ハサミ1つで1億円返済である。散髪代が一人4000円だから3万人近くの顧客の頭を刈り続けたわけである。この道数十年、何とお見事なことである。

そして、おばちゃんから面白いことを聞いた。修行時代の彼女の師匠である大おばさんは、店の前を歩いてくる顧客を見て『お金が歩いて来る』といって商売に励んだそうだ。

このくらいの熱意がないとビジネスは成功しないものだ。昔はこうした熱心な商売人がどこの商店街にも必ずいたものだ。

元気な商店街が懐かしい。

2011年6月 1日 (水)

A氏への書簡:足尾の100年にわたる復興再生学を震災に活かす。

拝啓 A様。

今福島で起きていることは、120年前の足尾銅山で経験していることと同じです。

1885年(明治18年)頃から栃木県足尾銅山の製錬所から出る煙害で、足尾の松木地区(700年の歴史のある集落であったが、現在そのハゲ山の姿から日本のグラウンドキャ二オンと呼ばれる)では、全住民が避難し、集落あげて転出していきました。

その後、足尾銅山から渡良瀬川に流れる鉱毒のため、その対策として下流域の栃木県谷中村(鉱毒を沈殿させるための遊水池を設定)も、地域の住民が住めなくなりました。また同じ足尾の原地区なども、戦前までの国策でカラミ(鉱石のかす)の堆積場となり、地域住民は退去し、生活の場は跡形もなくなりました。いずれの地域も住民が住めなくなるという、たいへん悲しく、痛ましい出来事でした。

国策による正義はコインの裏表と一緒です。国策は時間とともに正義でなくなることが少なくありません。そして歴史はいま再び繰り返します。

こうした過去の苦い経験から、いかにして地域住民が復興再生して行ったか。その貴重な体験を経験知・形式知にした120年間にわたる地域復興再生学を、今回の東日本震災の復興に活かしたいと考えます。

戦後新潟や福島のエネルギー源等がなければ、わが国の経済大国はなしえなかったでしょうし、それ以前の足尾銅山がなければ明治以降のわが国の殖産興業は困難なものになったことでしょう。

現状の国策会社をみれば、国策による正義は正義でなくなることがままあるのです。そして国策には正義とともに負の遺産も伴うものです。

この正義と負の遺産の両面があることで、人々は格闘し、悶絶し、落胆し、そこを乗り越えて行こうとするところに人類の進歩がある(足尾銅山からは、銅を掘る技術も、二酸化硫黄を硫酸に変える技術も、電気集塵機も、山に緑を蘇らせる技術も・・・先人達が格闘し、乗り越えた技術です:足尾の池野氏から示唆)と私は考えます。

地域に一人でもそうした現状を乗り越えようとする人がいれば一歩前進です。

Aさん、先日の希望のワークショップに参加された足尾の皆さんによろしくお伝えください。 

敬具。

シンコウ

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