被災地の地域コミュニティを"コミュニティ・ビジネス"で再生する
□ 話し手: 細内信孝(コミュニティビジネス総合研究所 代表取締役所長)■ 聞き手: 前田裕資(学芸出版社)<2011.4.6 収録>
京都にて2011年4月6日に新著『新版コミュニティ・ビジネス』の講演会をしたあと、学芸出版社の前田さんから東日本大震災後の地域再生、復興に関してインタビューを受けた。その内容はすでに同社から上梓されているが、ここに所長の考え方を紹介する。
■自然と共存するまちの有り様をもう一度考える
細内:ひとつは、この日本列島の中で先人たちが培ってきたコミュニティの形成、人びとが集住して肩を寄せ合ってきた中で、日本文化が育ってきたことを考えて欲しいのです。日本文化は木の文化であり、自然が豊かです。破壊されてもすぐ再生される豊かさがあるのです。この科学万能の世の中で日本列島の有り様というものをもう一度ロングスパンに立って見ていく必要があると思っています。
有史以来、短く見積っても5千年の歴史の中で、我われの日本列島は地震や津波、火山噴火が頻繁に起き、そのたびに復興・再生し、緑豊かなコミュニティづくりをしてきました。地震がほとんどない西洋の石やレンガ造りのまちづくりとは根本的に違うのです。東アジアの生活文化に基づいたまちづくりを再考すべきじゃないのでしょうか。
つまり、自然とは対立しない、自然を征服しない、自然と共生したまちの有り様をもう一度考えてみる必要があると思っています。
■分散・自律の都市とコミュニティの再生が課題
また、国土のあり方として東京一極集中は部分最適にあると思います。東京圏に4300万人が住んでいますが、これを支えるエネルギーや食糧供給は本来域内でやるべきで、域外ではやっていけないでしょう。そうするとエネルギー分散の有り様をどう考えていくかが問題でしょう。東京圏の部分最適は全体最適にあらずでしょう。
そういう意味では、都市は大きくても20万、30万の都市、あるいは5~10万都市の中で自立できるエネルギーや食糧を考えていくべきでしょうね。また、病院や学校などの生活を支える社会基盤もそうした人口規模で考えていくべきでしょう。
東京一極集中の状況の中で見ると、各都道府県である程度文化的な生活を維持できる都市はどれくらいあるか。地方では、病院、大学、文化施設もちゃんと揃っているのは県庁所在地ぐらいで、あとの地方都市は軒並み人口が減って高齢化し、かつ過疎地を抱える市町村では軒並み限界集落を抱え込むところが多いのです。
今まで日本社会では本当の意味での社会的弱者の存在が目立たなく、少なかったと思います。憲法で文化的な生活を保障していることもあって、行政が支えていた面もありましたが、公的負債も1千兆円近くなって、もう続けられません。これから最低限何が必要なのか。極端なことを言いますと、地域コミュニティの中に人びとがコミュニティ・ビジネスなどで手を取り合って、一緒に汗を流し、顔の見える関係の中で、共に分かち合う仕掛け(日本政策金融公庫発行の月刊誌「AFCファーラム」2011年5月号の拙稿に詳しい)をつくって行けば、そんなに費用が多大にならないで生活を維持し、再び信頼感をつくっていくことが可能となるのです。
言い換えれば、共に支え合い、分かち合うコミュニティを作っていくことが、新しい時代の日本人に与えられた大きな課題です。かつて我われの先人は明治維新を起こしました。我われの5、6代前の日本人は、みんな分かち合いの仕組み、「惣」「結い」「講」「連」「座」の中で生きてきました。これを今のICT利活用の時代、情報通信技術を使って外国とのコミュニケーションのあり方を踏まえて、どう発展維持させていくべきか。
また、これからは東京一極でコントロールする社会経済構造ではなくなることも予想しています。場合によっては、今の日本国は三つか四つの連邦国家(北海道、東日本、西日本、沖縄)に分かれて、それぞれが地域、風土に合わせた社会経済施策を展開する自由度(世間で言われている道州制ではありません)があってもよいのではないかと思っています。そのくらい今回の東日本大震災は、われわれ自身に変革を求めていると考えます。
■地域の自己決定権と地域内経済循環
コミュニティを維持していくには、もちろん大企業が出てきて地域に密着して役割を担うという方法もあります。また行政が地域の社会サービスを維持し発展させていくという方法もあります。これからの新しい公共概念を造っていく上では、コミュニティ・ビジネスを中核にした方法があります。コミュニティの共同体における新しい自治づくりです。それは今まで自分たちが持っていた地域コミュニティ内の自己決定権を維持する、または発展させていく行為です。要するに、地域内における冠婚葬祭や仕事(生業)などの自己決定権を“よそ“に取られないということです。
“よそ”っていうのは、例えば広域合併すれば二つの市のどちらかに中心が移って住民サービスが低下してしまう、例えば銀行、農協が合併してそれまであったサービスがなくなってしまうなど、大きくなることは、中身が薄まることでもあるのです。本来の自分たちの身近にあるべきサービスがなくなってしまうことが、“よそ”に取られるということです(東京一極集中と同じ構造がそこにある)。まさに住民たちの自己決定権が生活をする上でいかに大事か。それを再度見直すべきだということを、この大震災は教訓として残したのではないでしょうか。
前田:それは冠婚葬祭を担う仕組みを自分たちで立ち上げていく。お坊さんや祭壇のお花や食事も地元のものを使っていくことで、コミュニティの中でお金を回す仕組みを作ろうということですね。
細内:そういう仕組みがいま必要だと思います。本来、伝統的に日本のお葬式は自宅で行うものだったんです。それが外でやるようになって、業者さんが手がけるものになっていった。地方都市ですと例えば農協さんが手がけて、農協が自宅に仕出しをするという形になっていきました。ただし、農協さんがやっているときはまだ地域の中でお金が回っていました。それが、農協が合併して大組織になっていくと、県庁所在地に大きな会館を造っていきました。県庁所在地以外のところに住んでいると、そこに行かないと葬儀が出来ないということにもなるのです。
今回の大震災が気づかせてくれたのは、「大きいことが良いことだ」とは必ずしも言えなくなってきているということです。今のまま効率性ばかりを求めると、すべて機械化されてそんなに人は要らなくなる。そのことをすべて否定はしませんが、そうした効率性を追求するものは、暮らしの中でそんなに必要ないと考えています。大方の人は、やはりアナログ的な顔の見える関係のある地域コミュニティの中で安定した働き方や暮らし方を求めています。
■コミュニティ・ビジネスを震災復興事業に位置づける
ですから、今回の大震災でまちが消えてしまったところの雇用作りとして、是非コミュニティ・ビジネスを導入していただきたい。コミュニティ・ビジネスに与える各種インセンティブを時限立法にして、存在期間を5年とか、場合によっては10年という時間軸の中で、職を失った十数万人の“東北の人々の雇用創出の場”にしてはいかがかなと思います。農林水産業などの地場産業は徐々に復興していくでしょうが、直ぐには職を得られない人も多いでしょうから、国がそうしたCB会社などに資本提供をする必要が出てくるでしょう。 東北は豊饒の地で、海深く、緑多く、地域資源の豊かなところです。ならば農林水産業のコミュニティ・ビジネス、すなわち社会的企業(CBの一形態)を雇用創出の場として用意し、社会参加の場を積極的に生み出することが考えられます。そこに国や県などの公的な資金をいれる。CBは生活ビジネスですから、津波などで被災した地域コミュニティにたくさん作っていくことが重要じゃないかと思っています。
そのとき、CBの活動や事業を維持していくために、ある程度の資金の投入とその社会的企業で働く人びとが必要になってきます。そうしたことはボランティアだけでは維持できません。ボランティアも大切ですが、それに合わせて、そのCB会社をマネージング出来るプロの人材が求められます。それは全国を対象とした公募であってもいいし、他の業界からスカウトしても良いでしょう。わが国でもそうした地域における活動や事業を展開する人材の流動性を高め、本当の意味でのプロの人材を意識して作っていくことが必要でしょう。(文責:細内)