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2011年12月

2011年12月28日 (水)

沖縄の紙芝居おじさんとまちづくりキーワード

先日のクリスマス前の沖縄講演でのこと。

講演会の質疑応答中に出てきたお話し。

退職後に紙芝居屋さんで起業しようとしたおじさんが、金融機関からなかなか融資を引きだせなかった、と嘆いていた。

定年後は、好きな仕事で喜んでくれる人がいれば、収入が少なくても自己実現はかなうものだ。

細内所長も実は手作りの紙芝居や絵本、かるたが大好きだ。今回の沖縄訪問でも沖縄おもしろカルタ(とよながもりと作)「201112okinawa.jpg」をダウンロードを購入し、CBI総合美術館のコレクションに加えた

また12年前には、CBNの仲間たちとコミュニティ・ビジネス(CB)を紹介する絵本『まちにやさしい仕事』を作製し、お世話になった東京都墨田区の皆さんにその絵本を配ったものだ。

100冊限定の絵本だったのが今でも悔やまれる。墨田区の皆さん元気に暮らしているだろうか。

今回沖縄2泊3日の”講演の旅”で感じ取った沖縄のまちづくり、CBのキーワードは、

女性(特におばぁ)が主役、牧志のような公設市場、夜がとってもディープな雰囲気の栄町市場、沖縄フードアイランド(食材・フルーツ・泡盛等の豊富さ)、沖縄民芸(壺屋焼、染織工芸、銀細工、ガラス工芸など)、沖縄民謡(島唄、ラップ等)、共同売店、桜坂のような市民大学・劇場などなど、”沖縄はまさにCBの宝庫”であった。

2011年12月25日 (日)

高齢者大国における三方良しの仕組み

一昨日沖縄県那覇市から夜帰京した。

今回沖縄で初めて講演し、これで国内すべての都道府県を仕事でまわったことになる。

CB講演・CB起業ワークショップの回数は、ゆうに1,300回を超えた。

全国各地の風土、さまざまな地域資源、地域経済、地域雇用などで出会った人々の顔が脳裏をよぎる。

今月は最高気温マイナス3度の北海道札幌から、最高気温23度の沖縄那覇まで講演・CB起業ワークショップの仕事をし、わが国が南北にほそ長い国土を持つことを実感した。これを一つの法律・規則で縛っていては世界を相手にした経済競争には勝てない。

今回那覇市の公設市場で働く94歳のおばあちゃんから蒲鉾数点を購入した。千円札を出したが、おつりもちゃんと頂いた。顔色も良く健康的で、きびきびとしていてとても94歳には見えない。

こんなふうに歳をとっても、緩やかに働く場(CB)が地域コミュニティにあれば、ご本人は、社会参加ができ、生活にも張りが出て、健康的な生活が維持できる。かつ納税者にもなってくれる。こんな良いことはない。

高齢者に気持ちよく働いてもらうことで、国や自治体も福祉介護費は減るし、逆に納税者にもなってくれる。周りの家族も負担が減り、高齢者も自立的な生活をおくることができる。

まさにわが国がおかれているところの高齢者大国における三方(本人、家族、国・自治体)良しの法則だ。

国は、単に企業における定年延長を促すのではなく、こうしたCB的な働く場を地域コミュニティ内に作りやすくすること(高齢でもご近所で働ける環境の整備)がいま現場で一番強く求められていることではないだろうか。

2011年12月10日 (土)

北から南まで、日本列島縦断講演

12月8日に北海道札幌のCB講座(商工会議所、商工会の指導員の方々を対象にした2泊3日の研修会)から帰京しましたが、12月はまさに師走状況です。

これから千葉県習志野、茨城県つくば、東京都渋谷、稲城「2012inagi.jpg」をダウンロード 、沖縄県那覇、愛知県豊川などでの講演、講座講師が待っています。

そしてクリスマス前の12月21、22日は、沖縄那覇 「NAHA201112.pdf」をダウンロード において、SB、CBフォーラムで基調講演です。

今月はまさに師走です。年賀状の準備もまったくできていない状況です。

こうして全国をまわってみると、わが国の地域コミュニティの総合力(地域力)が低下し、ますますCBやSBが人々に求められているのを日々実感しています。

2011年12月 4日 (日)

もう一度みんなで考えよう。足尾のこと。

2011年12月4日の日曜日のTBSサンデーモー二ングの考・震災で流れていた足尾銅山のことは、私も、2011年6月1日付の当ブログで紹介したことだ。

参考までにそのブログ⇒ http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-34e1.html

世の中には同じことを考える人が十人はいると言うが、その番組を見ていて同じ趣旨の内容には驚いた。

みんなでもう一度、足尾銅山のことを考える良い機会だ。

ご先祖の地が、銅山の堆積場となってしまたものとして感慨深いものがある。

⇒ 日光市足尾町遠下にある磐裂神社は、町の氏神で、大同3年(西暦808年)に日光から足尾に移住してきた星野、神山、斉藤、倉沢、細内の五氏一族十四人が杜を建て、足尾14箇村の鎮守にしました。江戸時代は、ここが庚申山登拝の入り口になっていました。
境内には、「とちぎ銘木100選」に選ばれた樹齢250年になる桧のご神木(太さ3m、高さ35m)がそびえ立っています(足尾郷土誌より)。

足尾の銅の発見は江戸初期のこと(室町時代から発見されていたともいう)。

その足尾は大正の最盛期に3万8千人いた人口が、現在は2,600人だ。銅山の閉山に伴い、過疎に拍車がかかり、人口は激減し、住民は全国各地に転出していった。

もう一度足尾のことを考えよう。

⇒ http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-e69c.html

足尾のコミュニティの歴史から3.11の震災・災害対応への構図が見えてくるはずだ。

<足尾ボヘミアンの子孫より>

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