もう一度みんなで考えよう。足尾のこと。
2011年12月4日の日曜日のTBSサンデーモー二ングの考・震災で流れていた足尾銅山のことは、私も、2011年6月1日付の当ブログで紹介したことだ。
参考までにそのブログ⇒ http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-34e1.html
世の中には同じことを考える人が十人はいると言うが、その番組を見ていて同じ趣旨の内容には驚いた。
みんなでもう一度、足尾銅山のことを考える良い機会だ。
ご先祖の地が、銅山の堆積場となってしまたものとして感慨深いものがある。
⇒ 日光市足尾町遠下にある磐裂神社は、町の氏神で、大同3年(西暦808年)に日光から足尾に移住してきた星野、神山、斉藤、倉沢、細内の五氏一族十四人が杜を建て、足尾14箇村の鎮守にしました。江戸時代は、ここが庚申山登拝の入り口になっていました。
境内には、「とちぎ銘木100選」に選ばれた樹齢250年になる桧のご神木(太さ3m、高さ35m)がそびえ立っています(足尾郷土誌より)。
足尾の銅の発見は江戸初期のこと(室町時代から発見されていたともいう)。
その足尾は大正の最盛期に3万8千人いた人口が、現在は2,600人だ。銅山の閉山に伴い、過疎に拍車がかかり、人口は激減し、住民は全国各地に転出していった。
もう一度足尾のことを考えよう。
⇒ http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-e69c.html
足尾のコミュニティの歴史から3.11の震災・災害対応への構図が見えてくるはずだ。
<足尾ボヘミアンの子孫より>
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