ルーツ探しとコミュニティ研究
3年前になる。所長も50代になり、自分のルーツを探したくなった。
我が家には幕末に日光のお山から降りてきたという"家伝説"があった。
ふとグーグルで検索をかけてみたら、日光市役所のホームページの歴史欄にヒットした。
その内容は、西暦1315年に日光中禅寺から足尾に移住してきた五族の中の一つに細内姓があった。やはり伝承は間違いではなかった。
どうも鎌倉末期の南北朝時代に足利尊氏らと対立し(新田一族に加勢か?)、山深く奥地に移住(落人?)してきたらしい(違う郷土誌には村社である妙見宮創建の西暦808年の移住という記事もある)。当時足尾郷は日光神領であり、権力者の入りにくい神領であった。江戸初期の銅山が発見される前の足尾郷の話しである。
さて、ここからが私の専門とする”コミュニティ研究の始まり”である。
地元の図書館を通じて、都立中央図書館や栃木県立図書館から足尾郷や日光の郷土誌、山誌、県史、村史等を取り寄せて読み漁った。
そこから判明したのが、今に通じる地方自治制度であり、明治22年の近代化に向けた町村制の導入である。
翌年には明治憲法の発布があり、議員内閣制、そして内国博覧会も盛大に上野で開催されている。いよいよわが国も近代国家、殖産興業に邁進していく様子が一地方の書誌類から伺えるのである。
それまでの農村社会の実態は、ほぼ江戸時代の郷社会(明治4年の廃藩置県の際、呼称は郷から村制度へ変更した)のままであったのが、明治22年から行政上の目的にかなった近代自治(教育、土木、徴税、戸籍事務、救済など)制度に移行するのである。
今につながる戸籍原簿は明治5年ころに始まるが、明治22年の時期に新町村制度で再編されるので、その除籍簿からご先祖の様子が分かり、戸主制度のなかでおおむね5代前まで遡ることが可能なのだ。
明治39年頃になると明治22年に編成された町村単位で町村史が編纂される。町村ごとの歴史、生活文化、風習、名所旧跡、農業、特産品など、各コミュニティの特徴が地誌として纏められている。そして昭和31年の昭和の大合併時にも同じような現象が全国各地の町村で見受けれらるのである。
一つの町村をこうして歴史時代順にリサーチしていくと、時の政府の方針や施策が透けて見えてくる。
たとえば昭和30年代の前半から始まった足尾町の月刊「広報あしお」は、創刊号から平成18年の日光市との大合併で幕を閉じる最終号まで、今回全編読破してみたが、時の政府の方針で合併せざる負えない状況に追い込まれるのがその広報紙から手に取るように分かり、たいへん興味深い読み物である。
それは町の財政が交付金の減額によりだんだん厳しくなり、職員を徐々に減らさざる負えない状況に追い込まれる。つまりそれは行政サービスの低下を意味するのだ。これを止めるには合併しかないと思わせるのである。
それが平成の大合併であった。今回の合併によって全国の市町村数は3300から1719に集約された。
団塊世代の方で、時間を持て余している方がいらしたら、お薦めは”こうした自分(ルーツ)さがしの旅”である。歴史は面白いものだ。
ぜひ挑戦してみませう!
そこには思わぬ発見があるはずだ。
☆彡
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