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2013年5月27日 (月)

泣く子と地頭には勝てぬ

江戸時代の地域コミュニティの研究をしていると『泣く子と地頭には勝てぬ』という文言が出てくる。

『泣く子と地頭に勝てぬ』とは、泣く子供には今でも勝てないが、地頭とくると鎌倉時代を思いがちだが、これは江戸時代の旗本を指していたらしい。つまり旗本(1万石未満のお殿様)の無理難題には逆らえない。

関東には徳川旗本7千家の小領地が多く、現代の村・大字レベルで相給といって旗本2~3家による分割統治がなされていた。かつ稲作における水利権の確保で村内が分裂しているところも少なくなかったという。当時米作による徴収だから飢饉などの天災が起きると満足な収入が確保できない。その際の不足分の金額を、商人や領民に用立ててもらう。このことから、その無理難題に対し、泣く子と(殿様)地頭には勝てぬと言うことばが生まれたらしい。合わせて殿様無尽や頼母子講が流行る(胴元は一定資金を確保できる)のも、この時期である。資金確保に躍起になっている様子がうかがえる。それゆえに明治維新政府は地租改正を導入し、天候に左右される米作・農資本経済から土地の付加価値に課税する資本価値経済への導入へと大きく変貌するのだ。

江戸後期には、岩木山や浅間山が大噴火し、天明、天保の大飢饉がおこり、潰れ(負債で夜逃げする)百姓がその村の半数に達するところが少なくなかった。特に東北、北関東では天明、天保の大飢饉時には村の人口が半減するほど深刻であった。ペリー来航の外圧ばかりか、このことが徳川幕府崩壊の一因でもあるという。

現代社会も同じようで、泣く子と消費税の値上げ、マイナンバー制には勝てない。今からあきらめている庶民は多いはず、どうなることやら。

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