« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013年11月

2013年11月27日 (水)

石井十次と川田昇。相通じる”人の温かさ”を知る

2年前宮崎県都城市に講演行った帰りに、念願であった児童福祉の父・石井十次の記念館ならびに石井記念友愛社を訪ね、十次のご子孫にあたる児嶋理事長に施設内外をご案内いただいた。そして今でも友愛社の通信紙「ゆうあい通信」をご送付いただいている。

通信によれば来年1月に石井十次の没後100年を迎えるそうだ。石井十次は、戦前岡山孤児院にて全国から院に送られる孤児たち千人を家族の一員として迎え、養育してきた(その後石井十次は故郷宮崎県児湯郡に孤児院を移転する)。孤児院運営の募金活動や楽団演奏による広報宣伝活動など、わが国の社会福祉事業に多大な影響を与えた。

孤児千人とは、石井十次の偉大さを証明する数字だ。その孤児たちから”石井のお父さん”と呼ばれ、慕われていた。

そう言えば栃木県足利市にある知的障がい者更生施設・こころみ学園の故川田昇園長も100名を超える園生達(その半数がいま58歳を超えるという)を”子供たち”と呼んでいた。

こころみ学園は成人に達した子供たちの就労の場として、ワイン醸造場・ココ・ファーム・ワイナリーを1980年に設立した。1998年私が足利市へ講演に招かれたとき、講演終了後足利商工会議所の中島専務に連れられて川田園長にお会いし、ワイナリーや園内をご案内いただいた。

石井十次と川田昇。時空は違うが、今風に言えば、二人とも社会の変革者であり、かつ社会起業家だ。現地を訪れると良い。相通じる”人の温かさ”が、その両施設(友愛園とこころみ学園)から、今でも感じ取れることができるから。

2013年11月25日 (月)

細内所長、高原のまち・塩尻に行く

本日も快晴、講演日和、新宿代々木から高原のまちを目指す
20131123_004_2
スーパーあずさで一路、信州塩尻へ
20131123_028
松本平の南端から北アルプスを望む(かつて訪れた欧州のインスブルックのようだ)

20131123_052
市民交流センター(えんぱーく)で『セカンドライフで地域デビュー』の講演をする

詳しくは、こちら

20131123_058

『えんぱーく』は地域におけるご縁パークだ

2013年11月23日 (土)

信州・塩尻の地域デビュー講演会に参ります

本日11/23、これから信州・塩尻市へ講演に行きます。

詳しくはこちら⇒http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/files/siojiri.pdf

新宿駅からスーパーあずさに乗って向かいます。

午後2時から塩尻市の市民交流センター(えんぱーく)のイベントホールにて開催です。

近隣の方で関心のある方はぜひご参加ください。

2013年11月22日 (金)

新宿駅に大胆な交通広告を見に行こう

京王新宿駅に競走馬が突然出現した。
かつてない大胆な交通広告だ。京王線新宿駅から府中競馬正門前駅まで、駅構内ばかりでなく、電車の床、壁面広告、外側まで、すべて競馬一色の交通広告だ。京王新宿駅構内から既に東京競馬場に居るような雰囲気を醸し出している。京王線沿線はG1レース(10月の天皇賞から始まり11月のジャパンカップまで)一色だ。
こうして乗降客数を増やす公共交通のネットワーク型ビジネスが今の流行りなのだ。競馬主催のJRAも交通機関の京王電鉄も沿線の商工業者も、いわば三方一両得の状態だ。先日生まれてはじめて競馬場に足を運んだ。その目的は競馬博物館だった。博物館は一見の価値ありだ。スポーツの始まりは五輪もそうだが貴族の遊び、嗜みだ。競馬も同様だそうだ。
そういえば来年の干支は午(うま)年だ。
来年こそみんなで飛躍しよう。
写真
新宿駅構内、今にも走り出しそう(まるで本物の馬のようだ)
20131122_011

名馬ディープインパクト(名前はテレビで見て知っている)

2013年11月13日 (水)

最近の女性起業の特徴

数年前に複数年にわたり秋田のコミュニティ・ビジネス(CB)起業講座の主任講師をしていたことがある。

山武市の隣の東金市(日本商工会議所主催)でも、同じ千葉県内の習志野市でも数年にわたり、女性起業をサポートしてきた。

そうした最近の女性起業からいえば、等身大の地域起業が圧倒的に多いことである。

子育てを卒業し、家のスペースが空いている。家で何かしたいと考え、当CB講座の門をたたく女性が増えている。

その際旦那さんの支援も欠かせない。秋田では自宅を改装し、自宅の一部に店を構えた。女性が郷土料理を提供し、旦那さんは蕎麦を提供するという夫婦のコミュニティ・ビジネスがスタートしてから早5年が経過したが、今ではSNSに掲載されるほどの大繁盛だそうだ。

自宅を改装し、地域の資源を活用するコミュニティ・ビジネスの成功率は高い。初期投資を低く抑えることと運用経費(家賃がかからない)の負担を減らすこと、さらにはご近所の仲間、友人が支援してくれるなど、多くのメリットを得ることが可能になるからだ。

そして利益追及が第一の目的になっていないこと。自己実現がその目的であることも成功の要因である。

201311_029

山武市の山下さんのファーマーズキッチン『米夢』は実家での開業

201311_018

地産地消のヘルシー料理が”健康の源”というコンセプトだ

201311_080

農(食文化)を縁にネットワークを地域の内外にはり巡らす農縁隊

201311_086

さんぶ農縁隊の中心メンバーの酒井さんも女性起業組だ

こうしたCBによる女性起業は、政府関係の統計資料のなかに中々現われてこない。

これからは、こうした地域の”小さなビジネス”を1つ1つ丁寧に耕し、つなぐこと(その形は”さんむCB図鑑”が物語る)が、わが国の高齢社会の古くて新しいカタチ(コミュニティの経済)になるのだ。もちろん最新のICTを活用することも忘れてはいけない要素だ。

2013年11月12日 (火)

女性の50歳代からの社会起業

さんむCB図鑑から、山武市五反田のこどもの家

女性の50歳代からの社会起業 場所:千葉県山武市

201311_059_2
地域の子供たちがたくさん集る私設のこどもの家
201311_054
おばあさんが暮らしていた家を改装、女性起業家の旦那さんが作製した看板
201311_053
駐車場もこどもの遊ぶ庭もある220坪の敷地
201311_058
園内を案内する地域の女性起業家

2013年11月11日 (月)

市民経済による地域コミュニティの元気づくり(CB)が地域をひらく

千葉県山武市のさんむCB図鑑から、さんむ農縁隊:熟年の女性達がその主役。

山武産の農産物の販売ネットワークがみんなを元気にする。山武のCBは地域の遊休資源を積極的に活用する市民達による社会起業だ。既存の商工業者とはちょと違う。

これからは市民経済による地域コミュニティの元気づくり(CB)が地域を拓く時代。

さんむCB図鑑はこちら⇒http://www.city.sammu.lg.jp/uploaded/attachment/7805.pdf

201311_080

2013年11月10日 (日)

名古屋コーチンは健康的な卵を産む

さんむCBのリーダー高橋さんのタカミファームには名古屋コーチンが放し飼いだ。

201311_071
CB交流会のメンバー達にファームの説明をする高橋さん。

201311_065
肉付きのよい名古屋コーチンは健康的な卵を産む。これが高橋さんのコミュニティ・ビジネスだ。当日の見学会は急きょ名古屋コーチン卵の販売会に変わった。

201311_066

2年前に訪れた時より名古屋コーチンは丸々と太っていた。

高橋さんは築地(有楽町)の元新聞記者さん、今ではコミュニティ・ビジネスの社会起業家だ。次は地域のコミュニティFM放送局開設に取り組んでいる。

2013年11月 8日 (金)

さんむCB訪問

昨日は秋深まる千葉県山武市に行ってきました。コミュニティ・ビジネスの経営指導で月1回訪問しています。

詳しくはこちら⇒さんむCB図鑑

ファーマーズ・キッチンのコミュニティ・ビジネス『米夢』でメンバーと一緒に会食をしてきました。ヘルシーでとても美味です。

ここはCBオーナーの山下さんのご実家だそうです。地域の遊休資源(空き家)を活用し、自分起こしと地域の活性化をめざし、スタートしました。山下さんは調理師免許を若い時に取得してあり、保健所にもちゃんと届けを出しての開業です。こうした女性起業による小さなコミュニティ・ビジネスが山武市の各地で増えています。

201310iphone_015 201310iphone_012

2013年11月 5日 (火)

何事も八方丸く収めるわが国の慣習

江戸の徳川幕藩体制から続くものとしてお中元、お歳暮の習慣がある

人間関係を良くするための手段として今でもその慣習が幅を利かせる。

れを少しでもケチると播州赤穂の浅野さんのように意地悪をされたり、品位を疑われた。

これも江戸中期からのわが国の良い習慣でもあり、悪習でもある。贈り手の気持ちが伝わる度を超さないモノが今でも求められる。度を超すとまさに賄賂になる。

そして『特定』という言葉がわが国の”曖昧さ本位”を表現する。

1998年施行の通称NPO法も『特定非営利活動促進法』だった。この曖昧さがお上も庶民も満足させる魔法の言葉になる。ただしそこにはいつも曖昧さがつきまとう。

何事も八方丸く収める慣習は、たぶん江戸の中期からだろう。武家社会では特に儒教(朱子学)の影響が大きかった。当時の幕府官僚(旗本)に対する地方政府(各藩)からの付け届けは幕府からの仕事が発生するたびに行われたものだ。

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »