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2014年3月

2014年3月31日 (月)

便利でオシャレな街の条件とは?

平日東京渋谷の広尾界隈に出かけてみた。

久しぶりに広尾の商店街を歩いてみたが、各店舗の業種・業態は大きく変化していた(昔はペットショップもコンビニもなかった。今はそれがあることが便利でオシャレな街の条件にもなっている)

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路地裏で重厚なある施設の前でふと足を止めてしまった。その静かさに驚いたのである。

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子育て支援センターと看板が出ている割には子供たちの声が全然聞こえてこないし、その姿も見かけない。昔(昭和30、40年代ころ)は路地裏にたくさんの子供たちがおり、笑声や泣き声、喧嘩の様子がまるでオーケストラのように聞こえてきたものだ。このまちの静けさが、今の少子高齢社会(60歳以上がわが国の人口の30%以上になり、生まれてくる子供の数は団塊世代(昭和20年代)の半分で年間110万人程)を如実に表している。

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チェーン店も、このまちの風格に合わせた”店の顔”を演出している。

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看板も少しオシャレな雰囲気を醸し出している。

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地域コミュニティの存在する商店街には銭湯が必須アイテムだろう。つまり銭湯は地域の社交場である。このライフスタイルも、江戸100万都市の元禄のころから生まれた江戸っ子の生活習慣である。

 

2014年3月30日 (日)

わが国の欧米化はすでに江戸幕末から始まっている

直参旗本の研究から

江戸幕末の欧米化は、1853年のペリーの浦賀来航以降、急速な展開をみせ、徳川幕府は直参旗本の衣装に今でいうところのズボンやジャケット、靴の安易な着用を戒める通達を出している。

が、しかし若い世代の旗本たちの好奇心を押さえることは出来ず、幕府の兵制に欧米化(仏蘭西式の兵制)をいち早く導入し整備している。その証拠の写真が下記である。

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出典は、水戸市史中巻(5)より

写真は、東京オリンピック開催の100年前にさかのぼる1864年に水戸に向かう幕府の歩兵の姿であるが、ズボンと靴をはき、先頭の頭は、仏蘭西のナポレオンが被るような帽子を頭にのせている。

この時代、大河 ドラマに出てくる純和風の羽織・袴の衣装よりも 、実はこうした動きやすい衣装の欧米化が旧式であると思われる徳川幕府側(そうしたイメージが定着している)にも少なくないのである。

もう少し時代考証をして先入観にとらわれない大河ドラマをプロデュースして欲しいものだ。

先入観の打破が歴史ドラマづくりにも必要だろう。織田信長(右大臣、右府)の正室を濃姫(帰蝶)といわないように。

2014年3月28日 (金)

顔の見える商い(飽きない)が好きだ

3日前にぶらり旅で見つけた東京郊外の私鉄沿線駅前のドーナッツ店。3.3坪の極小のお店で1日ドーナッツ@150円×500個の売り上げで月商200万円くらい?年商なら何と2400万円?。なかなかの商売だ。

若い女性の起業でおから入りドーナッツ店は大繁盛。生きていくには日銭商売が大切なのだ。日銭商売は商いの原点だから子供からお年寄りまで幅広い支持が大切。私の前に1個ドーナッツを購入した小学生が5分後に戻ってきて、また一つ楽しそうにドーナッツを購入して帰って行った。

私はパワーセンターより、こうした顔の見える小さな商い(飽きない)が好きだ。

<細内のFBと同時掲載>

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戦術さえ間違えなければ儲かるビジネスモデル

わが国の小売業におけるパワーセンターの魁は、東大阪市の近鉄ハーツだが、あれから20数年が経過した。

写真は、東京郊外の稲城市に今年4月にオープンするパワーセンター(米国から入ったモータリーゼイション時代の業態の一つ)。

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出店する大手家電量販店(奥の倉庫風の建物)、大手回転ずしチェーン店(一番手前の建物)、大手サイクルチェーン店(左の建物)と3店舗で商圏人口50万人の集客パワーを生み出す。真ん中に大きな駐車場を設けるのがパワーセンターの特徴の一つである。

戦術さえ間違えなければ、儲かるビジネスモデルを保持する成長分野のカテゴリーキラーだ

つまり小売業の企業戦略としては、スクラップ&ビルドしながら面展開の市場拡張を繰り返すことで、企業としては成長軌道に乗っていく。

2014年3月26日 (水)

企業は常にベンチャー(冒険)が求められる

最近地域研究と共にご先祖さん研究、人物研究をしているが、豊臣秀吉もたけしもその時々のピーク時で方向性を変えてジャンプしている(それがどうも運気を上げるコツらしい)が、企業も一緒でトヨタは自動織機メーカーに満足することなく、新しい自動車事業を生み出した。

企業も一度頂点に登りつめると慢心し、衰退していくのが常(多くの上場企業がその道を辿った)であるが、社内ベンチャーはそれを阻止するカンフル剤となりえるものだ。

唯一事業に専念すべきものは身の丈サイズの家内工業的なものだが、企業は常にベンチャー(冒険)が求められる。大企業病を克服するには、たえず社内ベンチャーが必要になってくる。過去にそうして社運を上げてきた企業(東急ハンズ、富士通、オムロン、任天堂など)が少なくない。

2014年3月22日 (土)

コミュニティ・ビジネス・ネットワーク設立17年を期して

私が代表を務めるコミュニティ・ビジネス・ネットワーク(CBN)であるが、この3月でコミュニティ・ビジネス・ネットワークを設立して満17年になる。

1997年3月CBNは、東京墨田区のJR錦糸町駅前にある産業会館で100名近い参加者・同志を集めて、その設立総会及びフォーラムを開催した。

その中に恩師の故玉井袈裟男先生も駆けつけてくださった。玉井先生とは、私が大学1年生の時、つまり1976年の信大教養の玉井教授の『農学(むらづくり)』の授業以来、まちづくり、むらづくりのご指導をいただいてきた。

その後玉井先生とは、松本市の先生の事務所、長野農業大学校、栄村研修会、岐阜の風土舎フォーラム、岐阜高山の世界生活文化センターなど、ご一緒させていただいた。今では懐かしい思い出である。

先生のお言葉として印象に残っていることは、「風の人、土の人が交わり、むらづくりを進める」、「風土論は、旧制諏訪中学の教師三澤勝衛先生が戦前に研究・発展させたもの」などである。昨今の地域資源活用による地域振興・地域の産業化は、この三澤、玉井の風土論をベースにするのが、近道である。

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1997年3月CBN設立フォーラムにて故玉井先生、墨田区の故小泉氏らと

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風の人、土の人(詩人玉井袈裟男作)

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信州の郷土食おやき数え唄(詩人玉井袈裟男作) 

 

2014年3月21日 (金)

環境を考える、廃材の有効活用は世界各地で盛んだ

廃材の有効活用は世界各地で盛んだ。写真はソウルの若者たちが製造した音の出るパフォーマンス・カー?

ドイツの視察では環境(廃材利用)芸術家に会ったが、彼・アッカーマンさんは元気かな。 彼の自宅は廃電車をコンティナー風にいくつか接続したユニークなもので、周りのオブジェも廃材利用のアートであった。ドイツには環境をテーマにしたいくつものミュージアムがあったが、わが国ではこの手のミュージアムはまだ少ないようだ。

産業遺跡として、ルール工業地帯の元ガスタンクを活用してアートフェステバルを行っていたが、産業遺跡を残しながら環境問題を考えていく手法は、わが国でも元銅山・鉱山などで取り入れても良い手法だ。過去の負の遺産を解体して消し去るよりも、現実を直視する姿勢が大切なのである。

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アッカーマン氏の自宅にて

 

2014年3月19日 (水)

コンパクトタウンの行方は?

拙著『新版コミュニティ・ビジネス』学芸出版社( 2010年発行)の48ページの中で、東京の多摩ニュータウンにある稲城市若葉台地区(2000年にまち開きをし、現在人口は約1万2千人)を取り上げているが、あれから数年が経過し、最近第二期の開発が始まっている。それは京王相模原線若葉台駅の北側、徒歩5分のところにある開発エリアである。

この4月に新規開業を予定している専門大店の大手家電チェーン店に、大手回転寿司チェーン店、そして大手サイクリングチェーン店の郊外型ロードサイド店舗(当方20数年前に日本で最初の業態と言われた近鉄ハーツを取材している)である。当地の商圏人口は30~40万人くらいだろうか。いずれもいま販売戦略を間違えなければ利益の出る業種・業態である。

それにしてもご当地には既存の2つの大手家電チェーンに、3つ目とはマーケットのキャパ以上であり、儲かる業種・業態は他にないのか疑問に思う次第である。同じく若葉台駅構内に大手回転寿司チェーン店がすでに進出しており、これに2つ目の回転寿司チェーン店の進出である。4月からの消費税増税を睨み、企業(小売業)もチェーン店舗のスクラップ&ビルドに余念がない状況だが、今後の競争激化は避けられないだろう。

一つ気にかかるのは、当地区の小学校児童数が数年前に1000名を超えて東京一のマンモス校であると言われていたが、現在は児童数が徐々に減少しているという。ここにも少子高齢社会の影響が如実に現われている。

20世紀最後のニュータウンと喧伝されてきた稲城の若葉台地区だが、果たしてコンパクトタウンの行方はいずこへ。

2014年3月18日 (火)

市民経済を地域で興そう!

地域を意識した市民型経済、すなわちコミュニティ経済のことだが、いずれもコミュニティ・ビジネスが核となって起こる市民(地域)自治経済のことだ。

それは既存の商工業者が興すものではない。しかし彼らが、市民であることを意識して新たに起業すれば、それは立派なコミュニティ・ビジネスである。

だから私のコミュニティ・ビジネス講座に参加する人は、50代の退職を控えた人、すでに退職した人、子育てを卒業した人、地域で人の役に立つ仕事を起こしたい人など、起業の初心者がほとんどである。ボランティア活動との違いは、主体性を持ち、継続してそこから収入を得ようとすることである。

そんな中から5年間指導してきた千葉県山武市のコミュニティ・ビジネス講座は異色だ。市役所の市民自治支援課が担当し、サポートしてきた。

彼らが市民と共に作り上げた成果の一つに『さんむCB図鑑』がある。⇒詳しくはこちら

そしてコミュニティ・ビジネスを起こした人々の前職は多彩だ。みんな元が付くが、新聞記者、電気技術者、会社員、主婦、小学校教員、美容師などである。40、50、60歳代からの第二の人生のスタートだ。

その中で一番パワーがあるのが女性たちだ。周辺環境を巧みに活用して起業するケースが少なくない。その分野は福祉、介護、美容、子育て、環境、工芸・工房、農産物の生産・加工、グリーンツーリズムなど、新しい産業分野だ。こうした新しい分野が地域に密着してネットワーク化すれば、単に仕事を起こすだけではなく、社会参加の場をネットワークで地域内外につくり上げることになる。かつ本人の健康づくりにも役立ち、福祉・医療費の低減にも貢献することに繋がるのである。

こうした施策は縦割り行政でなく、横串し行政で市民(地域)を支援して欲しいものだ。

2014年3月14日 (金)

直参旗本の生活経済学

ご先祖探しの趣味の世界から、最近は専門である地域経済のことに力点が移りつつあるので、ここで少し現代の経済学の視点から旗本の経済生活を纏めてみることにする。

江戸時代の知行地500石の直参旗本は、中期の元禄以降の幕政改革の一つ「地方(じかた)直し」として、今まで幕府から蔵米をサラリーとして年3回支給を受けていたが、こうした小身の旗本に知行地を与えて、領地経営を自らさせ、年貢米を徴収するように勘定奉行から言い渡されるのが5代将軍のころである。これにより幕府は年貢米の徴収コストを大幅に削減したが、関東地方には、1つの村に複数の旗本が領地支配するような複雑な政治経済状況を生み出した。今でも関東各県は、人心が一つにならない悪癖の原因ともなっている。

500石の旗本といえば、あの鬼平の長谷川平蔵が400石である。実際の年貢は4公6民制で500石でもその実入りは40%であり、実高200石となるが、家康のころの500石は、幕末には生産性の向上や新田開発で1.5倍ほどになり、実高は800石相当となる。旗本が小普請組という無役グループから役職につくと、足し高制により先祖伝来の家禄500石にプラス役職手当が付き、500石+役職手当1000石の計1500石にもなるのである。

500石の旗本を現代の中小企業に見立て、その年収を計算すると、1石は2.5俵で1俵は60キログラムだから2.5俵は150キロとなる。例えば知行地500石の旗本の収入はその40%とすると、200石だから、キログラムに換算すると年貢による収入は30トン(30000キロ)となる。

10キロの米を現代のスーパーの販売価格1袋4000円に換算すると、4000円×3000袋/10キロ=1200万円の年収になる。幕末になると飢饉や地震がたびたび起こり米価が乱高下し、かつ米穀経済から貨幣経済への移行もあり、商業資本がますます幅を利かすようになり、旗本の生活は苦しくなるばかりであった。

この年収で家族や家来3人・家事手伝いの住込み女性3人を養うのだから、500石の無役の小普請旗本の生活は相当苦しいものになる。よって旗本当主は、無役から役職を得るためにリクルート活動に熱心となり、小普請組の上司(支配人)に対し、盆暮の付け届けに熱心になるのである。この習慣が今でも続いており、デパートなどの盆暮商戦には欠かせないものとなっている。現代のわれわれの生活習慣は、実はこうした江戸期のご先祖さんの慣習を大方引き継いでいるのである(つづく)。

こうした日本歴史探訪は、次のURLからご覧ください

http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-1e45.html

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2014年3月10日 (月)

物をもって語れコミュニティ・ビジネス

私の古い情報財の中から湖北町商工会におけるCB講演会の写真が出てきた。講演会終了後の懇親会でわざわざ調達に行かれた”フナ寿し”が大変美味だったのが印象に残っている。琵琶湖湖面に飛来する白鳥と浅井長政のまちであった。(2005)

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琵琶湖に沈む夕陽が、いまでも脳裏に浮かぶ。

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琵琶湖北東部に面する湖北町の商工業者が集結した。女性の参加者がいれば少し状況は変化したかも。

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これも地域資源を活かしたコミュニティ・ビジネスだ。道の駅で販売していたので 帰りに購入したが、商品として出荷できない原材料(ベースのところに小さな穴が空いていたが浅井長政の絵で蓋をしたようだ)をベースにしたもののように感じる。初期段階の コミュニティ・ビジネスは 物をもって語れ だ。

2014年3月 8日 (土)

高松のまちで今でも印象に残っていること

溜め込んでいた写真から”四国地域コミュニティ・ビジネスフォーラム2009”もの が数枚出てきた。香川県高松市内の朝の通勤風景や栗林公園、安藤忠雄設計の"瀬戸内の地中美術館"などなど。下記の写真は案内してくれた地中美術館のホワイトの学芸員さんや同行者らと記念にパチリ。

フォーラムの内容はこちら⇒http://www.hosouchi.com/09shikoku

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5年経過した今でも高松のまちで特に印象に残っていること

1)朝の自転車のロードレースはすごい。商店街の中を通勤通学の男女が超スピードで駆け抜けるまちだ

2)高松港に出入りするフェリーがとても旅情があり夕陽に映えるまち

3)栗林公園と地中美術館はワンセットで凸凹合体を意識したもの?

4)JR駅構内の讃岐うどんが安くて美味しいまち

5)水戸は水府だが、高松は海府のまち(水戸藩と高松藩は黄門さんつながり)といってもよいでしょう

2014年3月 6日 (木)

ノーベル賞受賞者と一緒に食した関鯖の思い出

写真を整理していたら面白いものが出てきた。

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細内所長は20年前大分で開催された講演会で、ノーベル賞受賞者の福井謙一先生の前座で講演をしたことがある。垂れ幕に『情報財の価値について』と細内の名前が見えるからここをクリックしてみると良い。写真のセンターで一番若いのが所長だ。当時37歳の若さだ。

講演会終了後、料亭で福井謙一先生を囲んで、みんなで関鯖、関鯵に舌鼓。大分は魚が旨い。当日はメディアの達人・CGアーティストの河口洋一郎氏も参加した。日本ではノーベル賞のインパクトは絶大だ。今ではたいへん懐かしい思い出となっている。

2014年3月 3日 (月)

肩の力を抜いて一息

仕事にかまけて溜めていた旅の写メールがたくさん出てきた。少し古いが懐かしいので掲載。

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鞆の浦の風景が一番落ち着く。講演の合間に何度訪れたことか。

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オズワールドが広がる瀬戸内海の風景。清兵衛と瓢箪は志賀直哉が尾道でしたためたもの。講演の帰りに一休み。

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愛媛県佐田岬の突端で写メール。向こうに見えるは九州別府。

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愛媛県内各地(大洲市にて)の講演・起業ワークショップを終えて。

 

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