あきんどのDNAと基本セオリー
私のDNAの中にあきんど(商人)のDNAが流れている。
母方の実家は干瓢乾物問屋であったが、類は友を呼ぶで母の母(祖母)は女学校を出てすぐに造り酒屋から嫁に来た。祖母は18歳であった。
さらに500年前の室町時代の祖先の一系統に、諸国を行脚する油商人(問屋)もいたらしいことが最近分かった。
このDNAの関係からか、私はいまだに講演(仕事)で全国各地を巡回することに飽きないのである。
昔、母の実家には木製の電話箱があった。よくその中で遊んだものだ。その入り口には、電話番号9番と硝子戸に書かれていた。今から110年前の大正初期に民間資本で電話線を引いたため、役場の電話番号25番よりも若い番号が割り当てられた、と子供のころ祖母から聞いた。民間資本の活用で今ならさしずめPFIなのだろう。
なぜそこまでして当時電話が必要かというと、干瓢(今でもご当地は全国の90%を生産している)の商品相場は経済環境で大きく動く投機商品であった。東京、大阪の干瓢市場の取引情報をいち早く入手する必要があったからだ。それが生産地問屋の使命であり、商いの生死を左右する価格情報のやり取りに当時最先端の電話が活用されたのだ。
母の実家の干瓢問屋は、城下町の本陣入り口にあった。その立地は町で一番栄えた立地であったが、そこは借地であった。本陣さんは土地を売らない。商人は店の立地場所を見て、臨機応変に対応できる借地が一番であると子供のころ祖母から教わった。最近160年間の賃貸契約を残念ながら解消したと従兄弟から聞いた。
今でもこの考えは正しいと思っている。その証拠に量販店スーパーやロードサイド店舗の店舗戦略は借地展開が基本セオリーとなっている。出退店をし易くし、資金繰りを考えると真っ当なセオリーなのだ。
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