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2014年8月 7日 (木)

8月15日終戦の日を前に先人の覚悟を想う

私は1957(昭和32)年生まれの57歳である。

私が小学1年生の時に東京オリンピック(1964年)があった。当時日本中のみんなが希望に燃えていた。小学校の授業を終えて家に帰り、オリンピックの開会式を自宅のテレビで隣り近所のみんなで見た。その日はたしか土曜日であったと記憶している。

小学校の先生の中には、戦争未亡人の先生がいてキリットされていた。髪を後ろに束ねて自分に厳しい女の先生であった。

子供のころ、町なかの駅前に、片足や片腕を失った傷痍軍人さんたちが大勢いて、白衣を着て寂しげにアコーディオンを弾いていた。

誰もが『戦争はいけない。二度としてはいけない』と叫んでいた。

昭和48年高校に進学すると、先生の中には二十歳で特攻隊に行き、生き残って社会科の先生になった教師(当時50歳前)がいた。先生はことわるごとに戦争の悲惨さを授業中に語り、時には感極まって泣いていた。

当時の高校校舎には、あえて冷房も暖房も設けず、自宅と学校の往復15キロの道を毎日自転車で通ったものだ。だから学生は『正、剛、寛』のもと、みんな元気であった。

一方当時の校長は士官学校卒業で、そこで同期だった当時の伊藤忠商事副社長を講演会に招き、青年立志の大切さと世界を股にかけて活躍する商社マンの素晴らしさを若者に伝えていた。

私たちの世代には、まだ戦争の語り部たちがたくさん身近にいて、その悲惨さを伝えていた。

1945年の敗戦をあえて終戦とした意義や意味をみんなが唱え、毎年その日を覚悟をもって臨んでいた。

しかし今はどうだろうか。

戦争の語り部が少なくなって、次世代への伝承者が減っていくのはたいへん残念でならない。

今年も蝉のなき声をシーンと聴き入り、滴る汗を拭きながら、自問自答の終戦の日を迎える。

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