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2015年5月

2015年5月26日 (火)

青少年よ、大志をいだけ!

意志のないところに自己は変えられない。

ましてや他人様を変えることは何をかいわんやである。

田舎から鞄一つで家出し、自力で大学を出ながら国会議員の秘書になり、やがて国会議員になった人もいれば、秋田の高校卒業後、接客業から資産10億をつくった女性もいる。

また中学卒業後、いろいろな日雇い労働を経験したが、いまや年商2千万を超えるラーメン店主になった人もいる。

人生の成果が見えてきた団塊世代。

青少年よ、大志をいだけ!

大志のないところに夢は実現しない。

日本一の○○になる(コックになる、パティシエになる、政治家になる‥など)という言葉を聞かなくなった昨今。この国は円熟した成熟期を迎えている。

金太郎よ。出でよ。

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2015年5月21日 (木)

小学校や中学校は消えるが自治体は消えない。 シニアが介護保険を受けるからだ。

職場(新宿)界隈でのはなし。

先日代々木の郵便局に朝一で郵便を出しにいった。
平日の朝9:30なのに郵便局はまだ閉まっていた。

仕方がないので別の郵便局へ向かった。その後、判明したこと。

ここはなんと10:00~18:00までの営業。時間をずらして営業。
民営化によって都内2か所のみが、この変則営業とのこと。
その訳はビジネス客を優先(すぐ裏にJR東日本の本社あり)したとのこと。
固定概念はこうして壊れていく、壊していく。

郵便局がコミュニティの戦略拠点になるともっとすごいことが可能。

都市郊外にあるどこの図書館も、60歳以上のシニアの平日活用が常態化している。コミュニティの高齢化が進展している証拠だ。
彼らは身近な図書館に新聞を読みに通っている。
図書館がかって中学生、高校生、受験生の勉強の場であったことが懐かしい。

小学校のグランドはかって子供の声であふれていた。
今はゲートボール場になった元小学校。
球を叩く、コーンという打音が子供のいなくなった校庭に響く。こうして小学校や中学校、幼稚園は消えるが、自治体は当面消えない。

子供の姿は幻影となり、シニアがそこに残る。当然のごとく介護保険を受けるからだ。

こうして、これから循環しないコミュニティが増えていくことだろう。

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お化けは4771


2015年5月13日 (水)

武家の慣習が今も生き続ける日本の役所

この大型連休中に、遠い親戚にあたる旗本家の家系図(「先祖書」)や親類書、菩提寺の過去帳をじっくり見せてもらえる機会を得た(しかも写真に収めてきた)。

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親戚には、逸見、伊沢、山岡、松平、榊原と名門の旗本家(交代寄合)が並ぶ

すると面白いことがいくつも判明した。以下に私見も交えながら、私たちの役所社会の成り立ちを紹介しよう。
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武家の菩提寺は都心の古刹が多い

例えば、旗本同士の結婚では、親戚書を相手方に提出している。
つまり自分の家の家格を婚家先に伝えたり、それをもとに婚礼許可を徳川幕府に上申しているのである。
そこから面白いことがいくつか判明する。
まずは男系中心で家系図、親類書、過去帳が作成されている。今の男女共同参画社会から想像しにくいほどの男尊社会だ。これは騎馬民族の伝統という説もある。つまり日本の武家社会の慣習は、騎馬民族の風習の上に構築されたものといわれる。
例えばこうだ。旗本家当主の母は、交代寄合(おおむね3千石以上の高禄旗本のこと)の松平○○守の女(娘のこと)と記載されている。そうした記録上は、女性の名前が直接出てこない。父親の役職名の後に、その”女(娘)”と記載される。これは源氏物語にも見られることで、我が国千年の歴史的伝承作法となっている。
また同格の大名、旗本同士の結婚には、歴史上の人物の子孫同士が結婚し、歌舞伎役者勢揃い的なオールキャストの遺伝子の交流が起きている(この旗本家のご先祖には、女系も加えてだが藤原利仁鎮守府将軍、源義光・武田信玄、北条時政・高時、毛利輝元らの血脈につながる)。このように日本の武家社会の血脈は、わが国の政治・文化の中心にある。
例えば、鎌倉幕府の執権北条得宗家を先祖にもつ旗本家や清和源氏の新羅三郎義光流の子孫を自称する旗本家から、その旗本家に女(他家の娘)が入るのである。つまり北条の血や源氏の血がその旗本家に入るのであり、江戸期にはそうした血の交流が盛んに行われた。


また必ずしも惣領(長男)が相続するとは限らない。原則長男相続だが、病死などで三男が相続するケースが少なからず散見される。次男は早くに他家へ婿養子に出されるからである。
江戸期にはこうした家系図作成のブームが何度かあり、御用学者を使って調べ、武家は自家の存在をアピールしていた。であるから江戸期の武家の家系図はよく残っているのである。しかし、大方の庶民は、農民出身ならば5~8代くらい前までが寺の過去帳にあるのみだ。そこから先は分からないものだ。
おおむね源氏、平氏、藤原氏、橘氏の源平藤橘に繋がるように武家の家系図は作成されている(もちろん血のつながりは原則必要だが、それがなくても農民出身の秀吉のように藤原関白家の養子になり名跡を継ぐ(家系を買う)行為。学者によれば、すなわち仮冒という方法は江戸の武家社会に蔓延し、家系図とは仮冒で成り立っている、そうしたものだと分析している。


つまり各大名、旗本家が競い合って奈良時代以降の名門の武家名跡を継ぐという形でそれぞれの家伝が整備され、家元制、一子相伝的な日本文化の一部(武家・棟梁(頭)制、、長子相続)が形成されていったらしい。

さて、その旗本家は本姓藤原氏、藤原利仁流(あの今昔物語にも出てくる実在の芋粥将軍である)の長井姓、本国美濃国、生国武蔵国と記載されてあった。その菩提寺で見せてもらった過去帳にも、幕府提出の家系図(江戸幕府編纂の「武鑑」である)、そして家伝として残された家伝書にもまったく同様の記載があった。ここに、その3点の記載がすべて一致したのである。

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江戸期は家で一つの墓石でなく、原則個人ごとに墓石を建てた

今の本籍地や現住所記載の戸籍関係の大元はここ(本国美濃国、生国武蔵国の記載)にある。
また高齢に達したその旗本家当主が町奉行、西の丸留守居というその家格における最高役職を退く時、長年のお勤めに対し将軍から大判二枚を褒美として下されている。これはいまの退職金に繋がるものである。

そして仕事上、お世話になる方への御礼は、今の中元・歳暮に繋がり、度を超えない限り必要なものとして、その役職に就く旗本は当然なこととして収入の一部にしていた(これをケチると赤穂の殿様のように意地悪されることもあったようだ)。
江戸期のこうした武家の慣習や統治機構が、今の私たちの暮らしや役所の仕組みの基礎となっているのである。

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越前生まれの斎藤別当実盛も藤原利仁流の子孫の一人だ



2015年5月 5日 (火)

わが国のパン食の時代を拓いた成功の秘訣

12年前の短大教員のころ、ショップマネジメントという授業を担当していたことがある。教え子のなかにパン職人になりたいという女子学生もいたが、長時間労働による負担の重さを諭したことがあったが、最近はパン生地の作り方も冷凍技術が格段に進歩し、パンの計画生産が簡単にできるという。それを可能にしたのが低温製造法という。この方法を発明したのが広島の高木ベーカリーというパン屋さん(のちにアンデルセンに変更)で、東日本では”アンデルセンのパン”といった方が分かりやすいだろう。

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アンデルセンは国内最大級の焼きたてベーカリーで、年商は640億円、全国に71店舗を数え、フランチャイズとしてリトルマーメイドを傘下に持つ。パンのセルフ販売方式を最初にはじめたのもここだ。アンデルセンのそうした”わが国のパン食の時代”を拓いた成功の秘訣を少しひもといてみよう。

アンデルセンの平均購買単価は800円ほどという。コンビニの平均購買単価500円台にくらべれば比較的高い方だ。売れ筋パンの単価が200円~400円台とすれば3つ~4つ買えばそれを上回る金額となる。店内にはイートインコーナーもあり、私などは持ち帰りのパンとは別に無料のコーヒーを脇に置いて焼きたてのパンをいつも頂戴してしまうほど美味しい。

スタバやサンマルクなどのカフェにもパン生地を提供しているという。年商の10%・約60億円がこうしたパン生地による外商だそうだ。冷凍専用のイースト菌の活用が、かつてのパン製造の重労働から職人さんたちを解放したとのこと。もっと早くにあの女子学生に伝えてあげればと、今では自責の念に駆られている。

さて、直営ベーカリーのアンデルセンは、広島県に芸北100年農場という187万平米というとっても大きなファームを持っているという。そこで食とは何か、小麦の種から苗を育て、そこから小麦を収穫し、100本の麦穂から一つのパンを作るという。アンデルセンの新入社員は、そこで2年間の食物の重みを体験し、各店舗へと向かうという。

人材育成にもそうして手間暇がかかるものである。

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