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2015年5月13日 (水)

武家の慣習が今も生き続ける日本の役所

この大型連休中に、遠い親戚にあたる旗本家の家系図(「先祖書」)や親類書、菩提寺の過去帳をじっくり見せてもらえる機会を得た(しかも写真に収めてきた)。

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親戚には、逸見、伊沢、山岡、松平、榊原と名門の旗本家(交代寄合)が並ぶ

すると面白いことがいくつも判明した。以下に私見も交えながら、私たちの役所社会の成り立ちを紹介しよう。
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武家の菩提寺は都心の古刹が多い

例えば、旗本同士の結婚では、親戚書を相手方に提出している。
つまり自分の家の家格を婚家先に伝えたり、それをもとに婚礼許可を徳川幕府に上申しているのである。
そこから面白いことがいくつか判明する。
まずは男系中心で家系図、親類書、過去帳が作成されている。今の男女共同参画社会から想像しにくいほどの男尊社会だ。これは騎馬民族の伝統という説もある。つまり日本の武家社会の慣習は、騎馬民族の風習の上に構築されたものといわれる。
例えばこうだ。旗本家当主の母は、交代寄合(おおむね3千石以上の高禄旗本のこと)の松平○○守の女(娘のこと)と記載されている。そうした記録上は、女性の名前が直接出てこない。父親の役職名の後に、その”女(娘)”と記載される。これは源氏物語にも見られることで、我が国千年の歴史的伝承作法となっている。
また同格の大名、旗本同士の結婚には、歴史上の人物の子孫同士が結婚し、歌舞伎役者勢揃い的なオールキャストの遺伝子の交流が起きている(この旗本家のご先祖には、女系も加えてだが藤原利仁鎮守府将軍、源義光・武田信玄、北条時政・高時、毛利輝元らの血脈につながる)。このように日本の武家社会の血脈は、わが国の政治・文化の中心にある。
例えば、鎌倉幕府の執権北条得宗家を先祖にもつ旗本家や清和源氏の新羅三郎義光流の子孫を自称する旗本家から、その旗本家に女(他家の娘)が入るのである。つまり北条の血や源氏の血がその旗本家に入るのであり、江戸期にはそうした血の交流が盛んに行われた。


また必ずしも惣領(長男)が相続するとは限らない。原則長男相続だが、病死などで三男が相続するケースが少なからず散見される。次男は早くに他家へ婿養子に出されるからである。
江戸期にはこうした家系図作成のブームが何度かあり、御用学者を使って調べ、武家は自家の存在をアピールしていた。であるから江戸期の武家の家系図はよく残っているのである。しかし、大方の庶民は、農民出身ならば5~8代くらい前までが寺の過去帳にあるのみだ。そこから先は分からないものだ。
おおむね源氏、平氏、藤原氏、橘氏の源平藤橘に繋がるように武家の家系図は作成されている(もちろん血のつながりは原則必要だが、それがなくても農民出身の秀吉のように藤原関白家の養子になり名跡を継ぐ(家系を買う)行為。学者によれば、すなわち仮冒という方法は江戸の武家社会に蔓延し、家系図とは仮冒で成り立っている、そうしたものだと分析している。


つまり各大名、旗本家が競い合って奈良時代以降の名門の武家名跡を継ぐという形でそれぞれの家伝が整備され、家元制、一子相伝的な日本文化の一部(武家・棟梁(頭)制、、長子相続)が形成されていったらしい。

さて、その旗本家は本姓藤原氏、藤原利仁流(あの今昔物語にも出てくる実在の芋粥将軍である)の長井姓、本国美濃国、生国武蔵国と記載されてあった。その菩提寺で見せてもらった過去帳にも、幕府提出の家系図(江戸幕府編纂の「武鑑」である)、そして家伝として残された家伝書にもまったく同様の記載があった。ここに、その3点の記載がすべて一致したのである。

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江戸期は家で一つの墓石でなく、原則個人ごとに墓石を建てた

今の本籍地や現住所記載の戸籍関係の大元はここ(本国美濃国、生国武蔵国の記載)にある。
また高齢に達したその旗本家当主が町奉行、西の丸留守居というその家格における最高役職を退く時、長年のお勤めに対し将軍から大判二枚を褒美として下されている。これはいまの退職金に繋がるものである。

そして仕事上、お世話になる方への御礼は、今の中元・歳暮に繋がり、度を超えない限り必要なものとして、その役職に就く旗本は当然なこととして収入の一部にしていた(これをケチると赤穂の殿様のように意地悪されることもあったようだ)。
江戸期のこうした武家の慣習や統治機構が、今の私たちの暮らしや役所の仕組みの基礎となっているのである。

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越前生まれの斎藤別当実盛も藤原利仁流の子孫の一人だ



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