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2015年6月

2015年6月25日 (木)

地域の自立を目指す新しい住民参加型の地域経済活動

CBメッセ開催の意義とCB図鑑発行の意味するもの
一個人の起業から地域全体の起業へ。
そして、それは、地域をベースにコミュニティ・ビジネス(CB)のネットワークへと進展する。
そのことで、地域内の見える(ショーケース)化が可能となり、しかも毎年継続することで、CBの見本市(CB起業家の地域おこしメッセCB図鑑(CB起業家のショーケース・カタログ)が再編集され、新たな地域情報としてたえず地域情報を発信することにつながる

さらに、これらは地域特有の生活に関するマーケティング活動であり、生活観光にもつながる分野である。
以上を概観すると、これらは地域の自立を目指す新しい住民参加型の地域経済活動なのである。
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山武市のコミュニティ・ビジネス。女性起業のよもぎ館は自宅に隣接して建つ。

2015年6月21日 (日)

GとLのせめぎ合いの狭間で潮目をどう読むか

私たちは、いま世界的規模の潮流・グローバル(G)と中学校区相当にあたる一つの生活圏・ローカル(L)とのせめぎ合いの狭間で、大競争社会を生き抜く新しい知恵(新しい公共のあり方)や技(ICT推進など)を見い出し、その地域特性やテーマ性、環境負荷性などから生じるコミュニティ間のアンバランスな姿を鑑み、そのアンバランスの解消に向け、全国各地でコミュニティ・ビジネスという手法を用いて、その問題解決に取り組んでいる(高齢者の買い物支援や生活支援、安全・見守り支援などもその一つである)。

コミュニティ・ビジネスという地域に密着した仕事には、多足のわらじの中で社会的内包性を高め、顔の見える関係を基本に、人と人との信頼感にもとづく新たな支え合いの仕組みが求められている(現在、商工会や自治会などがリードして取り組んでいる)。
それに伴う職住近接の暮らしや身の丈サイズの仕事づくり、また地域における社会的起業の取り組みや社会的企業(ソーシャルビジネス)との関係強化など、それらを支える自助、共助・互助のあり方とそれを側面から支える公助や税制のあり方などが重要となってきている(各地の自治体商工会・商工会議所、自治会、NPO団体、社会福祉協議会などが取り組んでいる)。
コミュニティ・ビジネスを取り巻く多くの課題は本格的な少子高齢社会を迎えたわが国の地域コミュニティの現場に山積している。それは支える側の人手不足もあるが、それらを支える人々に大企業のような経済的効果がまだないからである。グローバルとローカルのせめぎ合いの狭間でその潮目をどう読むかが重要な時機である。
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電動車いすも利用者一人ひとりに合わせたカスタマイズが必須条件で、その使い勝手の良さが一台一台に求められている。

2015年6月16日 (火)

かもめが飛んだ日、『マーケットイン発想でウェルビーイングへ』

今から8年前に患者本位の調剤薬局2店舗(A店、B店とも同じ会社が経営する)が神戸市の病院前に同時開業した(同じ敷地内にある)。

患者さんのニーズに合わせて、患者さんが忙しいときはよりスピーディーに薬が受け取れるB店の利用。しかし生活習慣病の薬は、薬剤師さんから詳しく薬の効能やその飲み方を聞きたいから、高機能の調剤薬局A店を利用したい、と患者さん自らの判断、都合で調剤薬局をチョイスできる。そんな調剤薬局が誕生した。医療福祉分野でも顧客本位のサービスが求められる昨今だが、誠にマーケットイン発想のウェルビーイングである。
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暮れなずむ街の姿は少子高齢化したわが国の社会風景を現す(人の姿が少ない)
さて、この2015年4月から介護保険法の改正により、要支援1・2が国から各自治体に移管されたが、こうした患者さん本位のニーズを取り入れた要支援の仕組みであってほしいものだ。自治体ごとにサービス内容の特徴を出せるが、現段階ではどこの現場も試行錯誤の段階にある。
しかし各自治体の裁量に委ねられる新しい仕組みづくりの猶予期間はあと2年間だ。上述の調剤薬局の先進事例も参考にしながら、全国1718の市町村は、ぜひマーケットインの発想に基づいた新しい仕組みを再構築してほしいものだ。それは単独でなく、地域(中学校区相当エリア)地域で違うものになり、時には総合型地域スポーツクラブやシルバー人材センター、地域包括支援センター、医療機関、調剤薬局、社会福祉協議会、そして生涯学習センターなど組み合わせて健康寿命を維持・延長する仕組みであることを願いたい。
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職場近くにあるコミュニティカフェ。これも地域コミュニティに必要な要素だ(就労の場として人々の憩いの場として)。

2015年6月 8日 (月)

自由時間評論家・津端修一先生を悼む

昨日世田谷区千歳烏山の蕎麦屋で読んでいた読売新聞の訃報記事が目にとまった。

自由時間評論家の津端修一先生が6月2日鬼籍に入られた。
人生の卒業は90年間であった。
16年ほど前になるだろうか。
私は、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンにある津端先生のご自宅を訪ねた。
自ら都市計画をした高蔵寺ニュータウンに住まれていたのだ。
都市計画家でもある津端先生のお宅は、人工の雑木林とご夫婦の自給自足生活を満足させられる小さな畑を備えていた。
私が先生とお知り合いになるきっかけとなったのは、仕事柄まちづくり関係者との接点が多かったからだ。そして当時私は、ニュータウンのライフスタイルを研究していた。
先生と奥様の共著『高蔵寺のニュータウン夫婦物語』を拝読してから、愛知県春日井市にある先生のご自宅へ向かったのである。
奥様の手仕事、毛織・絹織、染織の現場がご自宅にあった。機織り機と糸車が部屋の真ん中にあった。奥様はホームメーカーと自ら称し、ご夫婦仲良く、自由時間生活を堪能されていた。
私は夫婦で自由時間生活を楽しみ、日々の生活を紡ぐ生活の現場を見せていただいた。またお孫さんに向けた愛情の深みを拝見し、シニア生活のあるべき姿の一端を見せていただいた。
あっという間の滞在時間3時間であったが、その後、津端先生とはお手紙のやり取りを何回かさせていただいたが、独特な書体のお手紙を頂いた。そして、それはいつも人間味溢れたお手紙だった。
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*小生のカメラに答えていただいたご夫妻(1999年4月28日訪問)
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*ご夫妻の著書
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ご冥福をお祈りする。
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合掌

2015年6月 4日 (木)

 裁量労働、シェアハウス、民泊が再びブーム?

20数年前に民間の研究員であったとき、すでに裁量労働制であった。

やがて研究所の管理職になると年棒制となり、残業という概念がなくなった。

プレイング・マネジャーである。

そして、36協定の一方の当事者にもなった。

30数年前の学生時代、シェアハウスを経験した。

一人暮らしの高齢者のお宅に、各部屋ごとに会社員、学生など、他人同士である男女4~5人が集住した。鍵のない日本間であり、いつも玄関は開いていた。

だが、しばらくして私は他人の目を気にしない鍵のかかる一般のアパートに引っ越した。

40年前の高校時代に山口県の萩へ旅をした。
吉田松陰の松下村塾を見にいったのである。
志の大なるも簡素な小屋に正直驚いた。
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そして当時はユースホステルが一大ブームであった。
萩市内のユースホステルは満室で泊まる場所に苦慮していると、おばさんがユースホステルと同じ料金で自宅に泊めてくれた。自宅には旅人のノートがあり、多くの人が宿泊していた。
今思うと、これ民泊の始まり。
裁量労働制も、シェアハウスも、民泊も、こうして昔からあり、テレビや新聞、インターネットがなぜ再び騒ぐ(炎上する)のか。
世間のライフスタイルが退化しているのか。それともマスコミ力の衰退なのか?
歴史は繰り返す。

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