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2015年8月

2015年8月26日 (水)

Small is beautiful の生活観光とは

細内が主宰する生活観光研究所とは

グローバル経済がますます拡大する中で、生命系の経済(“Small is beautiful” 

仏教経済)の必要性も叫ばれています。私達は、等身大の生活をもう一度取り戻

ために、生活観光(ライフツーリズム)という視点から、私達の暮らしを見つめ

すことを、その研究命題に選びました。

生活観光とは?


その土地土地の社会的・経済的・歴史的・文化的な背景を踏まえ地域コミュニティにおける生活・暮らしそのものを現場で体験しながら、その生活・暮らしを地域の住民とともに育む新しいツーリズムのことを生活観光と呼んでいる。

細内は、1997年3月から墨田区にて地元の人々と墨田区両国駅前に共同事務所を構え、その時の社会開発実験から得た一つの結論として、細内は人間活性化・地域活性化として生活観光を提唱している。詳しくは、細内信孝著『コミュニティ・ビジネス』中央大学出版部(1999年発行) を参照されたし。

細内所長が『観光』日本観光協会に”生活観光”について寄稿(2007年4月)

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☆生活観光は地元の暮らしをよそ者も一緒に楽しむことから始まる(津軽鉄道のストーブ列車内にてオモテナシをするアテンダントさん)

当研究所が考える生活観光の戦略・戦術


生活観光の実践事例

瀬戸内海 笠岡諸島 島おこし支援 (岡山県笠岡市)
生活観光というキーワードをもとにコミュニティ・ビジネスで島おこし。
団塊世代の移住促進、新観光業の創出、ICT利活用をアドバイス。

 
 ☆岡山県倉敷市の三斎市にて、しまべんの販売に同行
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 ☆青森県五所川原市の津軽鉄道アテンダントさんと一緒に記念撮影
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 ☆津鉄のストーブ列車は鉄ちゃんの世界では全国的に有名である。

2015年8月25日 (火)

コミュニティの在り様を考える”町の学校”とは

日本の小さな町や村に講師が出前で伺う”町の学校のプログラム”をご紹介しよう。

町の学校では、私たちの暮らす町や村が教材です。

 

私たち日本人が長年かけて培ってきた「町や村の生活文化」を学び、これからのコミュニティ、町(村)の在り方を考えていく知恵を養うことを目的としています。

 

■これからの町の在り方を考える

 コミュニティ・ビジネス関連プログラム

 

■町の生活文化を知るプログラム

 町の生活文化プログラム

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☆法隆寺では市民らによる観光ボランティアが大活躍していた。

~これからの町や村の在り方を考えるために~

■コミュニティ・ビジネス関連プログラム

 

これからの町や村の在り方を考えるヒントを得るプログラムを用意しています。人気の高いプログラムを以下にご紹介します。

①地域デビュー応援講座

②女性のためのコミュニティ・リーダー養成講座

③町会・自治会の元気づくり応援講座

④地域資源を見える化するCB図鑑・CBメッセ

⑤買い物・生活支援コーディネーター養成講座

⑥中高生のためのコミュニティ教育

⑦ソーシャルビジネス入門講座

⑧コンパクトシティ・まちづくり養成講座

⑨コミュニティのためのICT活用力UP講座

⑩企業に求められるコミュニティリーダー養成講座

町の学校について、詳しくはこちら!

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☆奈良県の巻向遺跡に隣接する箸墓古墳にて(山の辺の道を歩く)

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☆奈良県大三輪神社は山全体がご神体である(三輪山頂の奥宮まで登攀してきました)

2015年8月18日 (火)

細内所長の旅のブログも遂に601回目到達

今回細内所長の旅のブログも600回をクリアーしたが、我ながら良く続いたものだ。
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最近の仕事(講演やセミナー)を旅のブログの予定として、みなさんにご紹介しよう。
その姿を古代国土を拓いた神人・猿田彦(筆者は三重にある伊勢神宮に隣接する猿田彦神社を参拝して以降、とても猿田彦を崇拝している)のように感じるのは私だけか。
これからの細内所長の主な講演先
8月29日~10月4日まで鳥取県倉吉市でコミュニティ・ビジネス塾<全5回シリーズ>(倉吉市主催)を開催します。
近隣の方で関心のある方はご参加ください。今回は女性起業者・その予定者が対象。ただし8/29は公開講座で男性も参加OKです。もちろん参加費無料。
もう一つは、9月8日に岡山県津山市で講演します。
こちらはコミュニティ・ビジネス(CB)に関心のあるかたならどなたでも参加できる(岡山県、美作地域コミュニティ・ビジネス(CB)プラン・コンテスト実行委員会主催)。参加費無料です。
会場でCBに関心のあるみなさんにお会いできるのを楽しみにしています。
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2015年8月17日 (月)

600回記念 版画の町・宇都宮 創作版画集『村の版画』に想うこと

小生、創作版画並びに川上澄生を再び注目している。

38年前の学生時代は、愛知県岡崎市生まれの山本鼎の創作版画『漁夫』から入門したが、最近は地域コミュニティとの関係から生まれた『村の版画』(1925年刊)を特に気にしている。
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*出典:宇都宮美術館「版画をつづる夢」2000年の『村の版画』通巻第一号(1925年)表紙
山本鼎といえば、あのキリンビールの麒麟のラベルを小口木版で彫り上げた人という方が分りやすいだろう。創作版画という言葉を世に広めた人でもある。
栃木県河内郡姿川村(現・宇都宮市姿川地区:人口4万2千人)という地域コミュニティ(明治22年の町村制で成立し、昭和の初めには人口8千人ほど)の風景や暮らしをモチーフに、1925(大正14)年~1934(昭和9)年までの9年間(通巻で19号)にわたり、姿川村の中央にあった現・姿川中央小学校(当時は姿川尋常高等小学校)の教員仲間(これは欧米で言うところのアソシエーションにあたる)が1923年ころから学内に版画の同好会を結成し、教科の一つである図画工作の自由教育と連動しながら、自分たちの版画作品を『村の版画』と題して発表し続けたのである。地域コミュニティという観点からとらえれば、わが国初の創作版画集といえる。筆者は、明治22年の町村制導入後の姿川村の郷土誌や姿川大観、宇都宮市史などを栃木県立図書館等から取り寄せ、地域コミュニティ(姿川村)の成り立ちを研究分析した。
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☆「村の版画」通巻18号(1932年収載)松岡勇の年賀状(筆者蔵)
版画制作の指導的立場にあったのが、村内を東西に通過する国鉄日光線鶴田駅前に寄宿(「村の版画」の教員メンバー篠崎喜一郎の家であり、姿屋というたばこ店を経営)していた当時(大正10年)宇都宮中学英語教師の川上澄生(明治懐古や南蛮趣味、ランプや時計を得意とする版画家、教師と版画家という2足のわらじを履いていた)であった。また川上澄生の版画仲間・東京の平塚運一や深澤索一などの参加もあり、レベルの高い版画集となっていた。特に川上澄生は『村の版画』の顧問的立場から同誌に毎回寄稿し村を意識していたものと思われる。姿川村の郷土誌によれば、このあたりに電気が通るのは昭和4年ころであり、川上がランプを版画の題材にするのはこの影響かも知れない。
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*川上澄生の得意とするモチーフの麦酒杯とランプ(筆者蔵)
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*南蛮風の人物や蛮船を得意として描いた川上澄生の作品(筆者蔵)
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*『鈍刀』118号(1971年)に寄せる川上澄生の自画像・版画(筆者蔵)
しかし、『村の版画』の姿川村における存在、すなわちアソシエーション的立場は、昭和4年くらいまでで、それ以降は、まとめ役の小学校教師池田信吾の転勤により、池田の勤務校の宇都宮市簗瀬小学校内に事務局が移転し、簗瀬小学校内の版画社として、その体裁が整えられていくことになる。その時代背景には、初期発行時に山本鼎らの信州自由教育運動の影響はあったが、教師メンバーのたび重なる転勤によることと昭和4年以降世界的な大恐慌が相俟って、軍靴の足音が影響し、結社の自由が疑われるような社会状況になってきたことが、その廃刊(昭和9年に終止)を決定付けたらしい。
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*川上澄生による姿川村の村童野球図・版画(筆者蔵)(ベルリン五輪への出品・銅賞受賞作:当時の五輪は文化芸術面も競技し、スポーツをそのモチーフとしていた)
さて小生は、長野県上田市で青春時代をすごし、当時から山本鼎に関心を持ち、市の山本鼎記念館に通っていた。ご当地の自由教育運動や農民美術運動にも関心を寄せていた。当時同人誌も出していた。また姿川中央小にも小学校4年から3年間在籍し、曾祖父以来4代にわたり、ここの卒業生でもある。そして『村の版画』11号に作品を寄せている当校の教員の一人・松本笑悦(のちに当校の校長となる)は、私の父方の祖母の弟、つまり大叔父にあたる。彼の印象は水色のリックサックを背負い、いつも自転車に乗ってわが家にやって来る普通の叔父さんであった。彼は植物学者でもあり、牧野富太郎博士が県内に植物採集に来ると、その案内役を引き受けていた。そしてご縁は続く、国鉄鶴田駅前の郵便局とそのお隣のたばこ屋、川上澄生が独身時代に寄宿していた鶴田駅前の朴花居など、付近のまちの残影が今でも私の脳裏に残っている(昭和30年代のころの鶴田駅前風景は、村の版画の1巻に掲載されている?)。小生には浅からぬご縁が、この版画集『村の版画』にある。
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*国鉄鶴田駅前に住んでいたことが影響したのか、川上澄生が得意とする明治懐古の岡蒸気の図・版画(筆者蔵)である
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*大正10年~昭和20年まで川上澄生が住んでいた鶴田駅前の朴花居はいまはなく、拡張した道路となっている
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☆現在のモダンなJR鶴田駅(地番は西川田町)。その駅前から望む冬の日光男体山(黒姫山)は雄大である(地元姿川中校歌にも謳われている、黒姫山のすえ遠く♪流れも清き姿川♪)
『村の版画』は発行部数は、毎回20部~25部と少なく(素人が刷れる部数はその程度であると考えられる。これが身の丈でちょうど良い)、当時50銭~75銭(昭和5年の50銭は現在の二千円相当で映画の入場料相当か?)で販売されていた(売るというよりは教員たちの版画作品の発表の場で、身近な関係者に頒布していたようだ)。版画創作に参加した教員達も始めは姿川尋常高等小学校の教員を中心(教員は3年~5年で転勤する)に毎回数名から10名ほどで、女性教師の参加はその中に発見できない。参加する教師達の転勤で河内郡・宇都宮市内にその考え方、版画による自由教育のすすめは広がっていくが、池田の転勤により「村の版画」から「宇都宮の版画」へ、そして東京・中央への版画出品と、教師たちの技と視線は発展していくが、姿川村のアソシエーションとしての位置づけは逆に低下していったようだ。小生の大叔父は『村の版画』に専門外のためか、通巻11号に1回のみ参加している。しかし小生は、小さな村のアソシエーションを考える上で、たいへん興味深い、ご縁がたくさん詰まった身近なコミュニティ事例であると思っている。
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*川上澄生の自信作『南蛮ぶり』。キセルを吹かすちょん髷男は前田(藤原)利家がモデルとか(筆者蔵:右帯の手彩ミスあり?本来の赤が塗られていないホンマものの1点だ)
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☆川上澄生は戦後栃木県立宇都宮女子高(私の母方の祖母の母校)で教鞭をとったが、その近隣に居を構えたトタン葺きの自宅のことを亜艶館(あえんかん)と呼んでいた(版画は筆者蔵)。小生もその宇都宮女子高校付属のみさお幼稚園に昭和30年代に入園したが、父の転勤で残念ながら途中で転園した。しかし、今も、みさお幼稚園の名前が付いたアルバムが手元に残っている。
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☆アルバムにある百合のエンブレムは川上澄生のデザイン。そのエンブレムの真ん中にUJK(宇女高)という文字があったが、いまは経年劣化で消えている
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☆当時幼稚園は制服であった。男児は概ねまことちゃんカットだ。小生は左端にいる。
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☆「村の版画」全巻を所蔵している宇都宮美術館。大谷石のプレートがモダンだ
☆仮題「私と川上澄生」は、まだつづく。

2015年8月 4日 (火)

ICT、ビックデータの活用で零細店との情報格差をますます広げる大手

総務省のH25年度情報白書を読んでいたら、ご近所にある大手のパン屋さんが民間のビックデータ活用事例として掲載されていた。

小生、その店舗ではいつもSUICAカードで代金を精算していたが、そのパン屋さんはPOSレジにて、季節別曜日別時間帯別気温帯別にマトリックスを駆使し、商品別に生産販売管理をしているようだ。例えば気温が30度になるとパンの売り上げは通常より10%ダウンし、33度になると20%ダウンする。35度になると通常より30%売り上げが落ちるという。この猛暑はパン屋さんにとっては大変痛手だ。逆に氷屋さんにとってはかき入れどきだ。
そして総務省情報白書によると、そのパン屋さんのPOSレジ導入店は、未導入店に比べ、約2%ほど売り上げが伸びたと分析している。
つまり過去のビッグデータ分析データから商品(パン)のチャンス・ロスを極力減らし、売れ残りなどの償却率を引き下げ、歩留まり(コスト率)を良くするのに効果があるようだ(その店舗では売れ残りでもパンの価格を絶対下げないプライド・ベーカリーだ)。
毎日の生産販売量を決めているのは店長で、長年の経験(人間の勘ピュータ)とこのビックデータ活用によるハイブリット分析によるらしい。チャンスロスは見逃しの三振だ。売れるのに商品が用意されていない。売り切れ御免をなくし、後工程を準備する。それがICT活用によって可能になる時代なのだ。全国展開しているパン屋さんだからこそ、ICTによるビックデータが生きてくるのかもしれない。
が、しかし零細のパン屋さんは今後ICTをどう活用すればよいのか。それが大きな課題だ。後工程の準備が充分できないまま、職人技で売り切れ御免が偶然続く宿命なのだ(大方はそこまでいかない、普通の町のパン屋さんだろう)。
こうしたICTというインターネットの波やビッグデータ活用という大波に乗りきれない町の店舗と大手ベーカーリーの情報格差はますます広がるばかりだろう。小さいからこそ新たな商業政策や情報施策で彼らを守る必要があるのかもしれない。そのキーワードは個の情報の囲い込みと商店街等の共同ネットワーク構築にあるのかもしれない。
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*郷土の偉人・勝道上人の金剛杖を、我スマホに持ち替え、今日も各地を行く
既存商店への浸食が同様にコンビニ業界でも起きている。その結果、地域コミュニティの破壊が起きている。それは看過できない現象だ。こうして地域間競争の激化にインターネットやビッグデータが活用されている。大きいものが強いものが幅を利かす難しい時代だ。多様性こそ本来自然の法則にふさわしいのに。
☆さて当ブログも今回で599回となり、次回600回目の大台に乗る。果たしてどれだけの方々に読んでもらえたのか、続けるべきか、終了すべきか、小生なりの大きな課題だ。

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