2015年のライフワークをふり返って
2015年の師走にあたり、自分のライフワークを見つめ直し、たぐり寄せ、整理してみました。少し長いですが最後までお読みください。
☆細内信孝の等身大のライフワーク☆
仕事柄、全国各地のみなさまとは、講演やセミナーで一期一会が少なくなかった。これもまた良し。
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しかし、そんな中で比較的長く続いた仕事、お付き合いには次のようなものがある。
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自治体講座では3年連続開催が一般的だが、千葉県山武市のCB講座は6年間続いた。
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大学講師は、法政大学大学院講師の6年間と埼玉女子短大客員教授の10年間が、数多い講師歴の中で長く続いたお付き合いだ。
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三鷹市の商工振興審議会委員は、11年も続いた。
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総務省の地域情報化アドバイザーは、9年続き、現在も進行中のプロジェクトだ。
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稼業の有限会社コミュニティビジネス総合研究所は、おかげさまで現在13期の13年目だ。
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私の仕事は、山あり、谷ありの知的生業だ。
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宮使いとしては、学校法人の総合研究所、銀行の研究所、メーカーの研究所と、やもえぬ事情で移籍を繰り返しながら、やがて独立した。だから野球選手の辛さが分る。
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私の人生、研究一筋の30年、一つのことを究め続けてきた人生である。 そこには多くの人々の励ましや支えがあり、感謝している。
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当旅のブログも620回を超え、8年間続いている。
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今年は、アートの世界の創作版画についても小論をまとめることが出来た。
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そして祖先崇拝を込めて、少ない資料の中、まず父方の先祖を探求し、次に母方の祖先を調査していく中で江戸幕府の各種武鑑、そして先祖書、親類書、菩提寺の過去帳など、各種資料が残っていたご先祖の一系譜を整理することができた。
それがたまたま武家であったため、婚姻を通じて歴史上の人物に数多く遭遇することができた。歴史好きの小生にはたまらないことであったが、母系をたどれば、だれにでもあるようなことである。人類はみな兄弟である。
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*戦国時代、美濃国関城の城主長井隼人佐道利は、母方の女系、そのまた女系をさかのぼること16代前のご先祖の一人だった(最近判明)。関城に行ってみたいと念じていると、
偶然にも岐阜県から依頼され、2015年11月18日に岐阜県関市で講演をする。その帰りに関城本丸に登城し、関城の案内板(関青年会議所設置)に長井隼人佐道利の名前を見つける。彼の地元での評価は意外に高かった。
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*羽田空港にて、バスで移動し、鳥取行きのANA機に乗り込む。
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*鳥取県倉吉市の女性が輝くコミュニティ・ビジネス塾の帰りに鳥取砂丘にて駱駝使いとなる。
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今年も稼ぎは少なかったが、私の知的創造作業は充実した一年であった。
みなさまに感謝である。
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来年も皆が良い年になることを祈る。
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