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2016年7月

2016年7月26日 (火)

9/1に札幌市の北海道立生涯学習推進センターで講義してきます

わが国の生涯学習の分野もボランティアや地域活動を一歩進めて、コミュニティ・ビジネスの手法を取り入れつつあります。

細内所長は、9/1木曜日に札幌市の北海道立生涯学習推進センターで講義してきます。
地域社会も、コミュニティ・ビジネスによるシニアの社会参画を必要としています。
わが国は高齢化率が現在27%ですから当然のことです。
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2016年7月21日 (木)

細内所長の全国行脚講演の旅

細内所長の8月から始まる全国行脚『講演の旅』の予定をお知らせ致します。

酷暑のみぎり、みなさまご自愛ください

8/3、4は、総務省地域情報化アドバイザー として岐阜県下呂市役所へ伺います。
8/25、26は、岡山県庁、岡山産業振興財団からのご依頼で岡山県津山市にて講演・視察をします。
8/31、9/1は、北海道教育庁のご依頼で札幌市道民活動センターで講演・ ワークショップを行います。
9/7、8は、総務省地域情報化アドバイザーとして岐阜県下呂市役所 へ伺います。
9/13は、東京の大阪経済法科大学麻生台セミナーハウスで第75回生活情報化研究会にて講演します。
9/20、21は、総務省地域情報化アドバイザーとして岐阜県下呂市役所 へ伺います。
全国各地の市民の皆様とお会いできるのを楽しみにしております
先日取材を受けました住宅・マンションのコミュニティ形成について、インターネット上で公開されましたので、こちらも、ぜひご覧ください
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☆地域づくりの講演会はどこも女性でいっぱいだ.

2016年7月16日 (土)

インターネット、スマホ、GPSを自由自在に使いこなすICT牛若丸誕生

副題:ICTおじいちゃん(私59歳、国からICT地域マネージャーを拝命)の時代到来

2010年7月私は、韓国ソウルにおける日米英韓の国際会議から帰国してすぐにスマホを購入した。アイホン4Sであった。その理由は彼の地のスマホ利活用が高かったからだ。

当時日本の通勤電車内はガラケーがメインで、スマホを操作している人は電車内でも2~3人であった。

2011年3月11日忘れもしないあの東日本大震災が起き、身内の安否確認のために人々は苦心した。しばらくして安否確認の課題を解決するためにLINEというアプリが立ち上がった。
そのLINEというアプリは、韓国資本傘下の多国籍集団が作り上げたスマホ用のアプリ会社であって、あっというまに人々の支持を得て昨日東証に上場し時価総額9100億円の会社になった。
5年足らずで1兆円近い金額が産み出されたことになる。ICTで時代は大きく動いている証拠だ。
また遊んでいる資源・隙間を見つけ出し、その資源・隙間に新しい商品価値を生み出すために、カード保証のネットワークによるシェアエコノミーが世界的に拡大中でる。自宅の空き部屋を貸したり、自宅敷地の一部を駐車場として貸したりすることで新しいビジネスになる。求める人々はそうした空きをスマホで探すことになる。
さらにスマホのゲームの世界ではポケモンが復活し、リアル現場の名所旧跡や博物館、美術館と仮想現実のポケモンを結ぶ、新たなゲーム形態がいま米国で爆発的な人気を博している。日本ではこれからだが大きな社会問題を巻き起こすことだろう。
こうしてインターネット、スマホ、GPS等をゲームやカードで自由自在に使いこなすICT牛若丸が幅を利かす時代が訪れようとしている。
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商売繁盛の稲荷さんはICT稲荷でもある。シェアエコノミーは日本の和の精神三方よしにつながる

2016年7月13日 (水)

永六輔さんを偲ぶ

舌足らずのおしゃべりおじさん、永六輔さんが鬼籍入りした。

私には、長らく時代の先端にいた人がそこから滑り落ちた感がいなめない。

この浅草生まれの下町のおしゃべりおじさんの影響で、私もラジオが大好きになり、その後湘南ビーチFMに月1回だが「ハッピーコミュニティ・ビジネス」という午前のコーナーに、2008年から3年間、ボランティア出演を果たした。そしてコミュニティ・ビジネスの普及活動で全国47都道府県を講演やワークショップ等で巡回できたのも、ラジオを通じて永さんに旅の面白さを教えていただいたものだと思っている。そういう私も永さんに似て好奇心旺盛である。
私が学生のころ、長野県に住んでいて、見聞きした永さんに関する噂がいくつかある。
永さんは戦時中、学童疎開で長野県小諸市の国民学校に転入し、その後いま話題の真田丸で有名な上田市の旧制上田中学に進学したが、そこでよくいじめられていたとのこと。あのキャラならさもありなんと。それでも上田が気に行ったのか、旅番組の取材なのか、度々ご当地を訪れていたという。その上田の町で永さんの噂をいくつも発見したものだ。
永さんは旅の途中の訪問先に、帰京後よく御礼の手紙(ハガキ)を書いていた(当時実物のハガキを何通か拝見したものだ)。体に似合わずとてもまめな人なのだ。
今年諏訪の御柱祭が開催されたが、永さんはここでも釘をさしている。ラッパ隊の存在である。千数百年の伝統がある諏訪大社の御柱祭に進軍ラッパはおかしいと。ラッパは明治以降でおかしいと、さもありなんだ。また尺貫法に関する彼のテーゼも一貫して筋が通っていた。彼は、こよなく日本の伝統文化を愛していたのである。
角刈り頭に細長い殿様顔で、早口の江戸弁をまくしたてる下町のおしゃべりおじさん。そんな彼が私は大好きである。
こんな個性の強い下町の人物は、昭和の時代ならフーテンの寅さんと両巨頭であろう。寅さんは映画上の人物だからメイキングが入るが、実在の人物・永さんの方が数段凄いと思う。あの舌足らずで早口なおしゃべりが、もうラジオから聴こえないのがとても残念だ。
永さんのご冥福を祈る。
合掌
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☆築地本願寺にて写す

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