永六輔さんを偲ぶ
舌足らずのおしゃべりおじさん、永六輔さんが鬼籍入りした。
私には、長らく時代の先端にいた人がそこから滑り落ちた感がいなめない。
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この浅草生まれの下町のおしゃべりおじさんの影響で、私もラジオが大好きになり、その後湘南ビーチFMに月1回だが「ハッピーコミュニティ・ビジネス」という午前のコーナーに、2008年から3年間、ボランティア出演を果たした。そしてコミュニティ・ビジネスの普及活動で全国47都道府県を講演やワークショップ等で巡回できたのも、ラジオを通じて永さんに旅の面白さを教えていただいたものだと思っている。そういう私も永さんに似て好奇心旺盛である。
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私が学生のころ、長野県に住んでいて、見聞きした永さんに関する噂がいくつかある。
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永さんは戦時中、学童疎開で長野県小諸市の国民学校に転入し、その後いま話題の真田丸で有名な上田市の旧制上田中学に進学したが、そこでよくいじめられていたとのこと。あのキャラならさもありなんと。それでも上田が気に行ったのか、旅番組の取材なのか、度々ご当地を訪れていたという。その上田の町で永さんの噂をいくつも発見したものだ。
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永さんは旅の途中の訪問先に、帰京後よく御礼の手紙(ハガキ)を書いていた(当時実物のハガキを何通か拝見したものだ)。体に似合わずとてもまめな人なのだ。
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今年諏訪の御柱祭が開催されたが、永さんはここでも釘をさしている。ラッパ隊の存在である。千数百年の伝統がある諏訪大社の御柱祭に進軍ラッパはおかしいと。ラッパは明治以降でおかしいと、さもありなんだ。また尺貫法に関する彼のテーゼも一貫して筋が通っていた。彼は、こよなく日本の伝統文化を愛していたのである。
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角刈り頭に細長い殿様顔で、早口の江戸弁をまくしたてる下町のおしゃべりおじさん。そんな彼が私は大好きである。
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こんな個性の強い下町の人物は、昭和の時代ならフーテンの寅さんと両巨頭であろう。寅さんは映画上の人物だからメイキングが入るが、実在の人物・永さんの方が数段凄いと思う。あの舌足らずで早口なおしゃべりが、もうラジオから聴こえないのがとても残念だ。
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永さんのご冥福を祈る。
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合掌
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☆築地本願寺にて写す
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