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2016年12月

2016年12月30日 (金)

立ち位置を知るコミュニティ・ビジネスの研究史

2016年もあと2日を残すばかり。今までの仕事の立ち位置を写真で綴ることにしました。

だいぶ前の仕事もありますが、これはあくまで私の研究的立ち位置を確認するための備忘録であり、断片的な記憶をむすぶコミュニティ・ビジネス(CB)に関する研究史でもあります。そしてCBのコンセプトの一つである多足のわらじをつくるヒントにでもしてください。

コミュニティ・ビジネスに関する私の主張は、生産性新聞(地域を元気にするコミュニティ・ビジネス)生産性新聞(分ちあいのコミュニティ産業づくり)生産性新聞(女性とシニアのCB参画)生産性新聞(二足のワラジを履こう)生産性新聞(新しい生き方、働き方)をご覧ください。

☆CB研究海外編:独・英米への研究視察、民主主義による欧米の市民社会を知る(1994年~2005年)

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*1996年ドイツMUNHENにて:ドイツのエコロジー研究(エコテスト、エコメッセ、エコバンク、エコファーム、IBAエムシャーパークなどを取材)
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*1998年英国エジンバラ城にて:風土に適した地域資源の活用を知る
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*1998年英国グラスゴーにて:英国スコットランドCB事務局長と会談
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*1998年英国グラスゴーにて:社会的企業を訪ねる
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*1997年米国サンノゼにて:米国のベンチャー企業、女性起業家と会談(スマートバレー公社を訪ねる)
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*2003年英国カーディフにて:おばあちゃんたちのCB(教会の一部を喫茶店として開業)視察
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*2003年英国ロンドンにて:英国の著名な社会起業家たちと会談(英国外務省などから招待を受ける)⇒「CBNLvol17.pdf」をダウンロード
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*2016年12月韓国完州郡にて:招待講演(完州郡、完州共同体支援センター主催)
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*2016年12月完州CBセンター本部にて
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*2010年韓国ソウルにて:大手シンクタンク理事長と会談
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*2010年韓国ソウルのプレスセンターにて:招待講演とパネルディスカッション(京畿道福祉基金主催)
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☆コミュニティ・ビジネス研究の日本編:わが国のコミュニティ・ビジネスの歩み(1994年~現在)
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*1997年3月コミュニティ・ビジネス・ネットワークの設立総会にて(墨田区錦糸町会館)
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*コミュニティ・ビジネス・ネットワークの墨田分室(1997年3月~2001年1月)にて
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2007年からレギュラー出演する(3年間)
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*2005年埼玉女子短大の細内ゼミ生一同
(2001年~2009年埼玉女子短期大学客員教授として勤務
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*法政大学大学院の学生を社会的企業・ココファームワイナリーに引率する(法政大学大学院政策創造研究科兼任講師は2008年~2014年の6年間わたり勤務)。また地方では、法政大学と自治体が連携した地域づくり塾を開校し、その講師を務める⇒「hosei.pdf」をダウンロード
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*1998年に日本で最初に上梓された『コミュニティ・ビジネス』細内信孝著(中央大学出版部)は8刷りの計1万部が発行された。コミュニティ・ビジネスの関連書籍は全部で22冊あり、合計8万部(韓国語版も含む)が発行された。日本国内での講演、講座、ワークショップの回数は3,000回を超える。
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*法政大学大学院政策創造研究科兼任講師時代の授業風景(東京都墨田区の車いす製作会社さいとう工房の斉藤氏を招く授業、そして車いすの製作現場を大学院生と共に訪れた集合写真)
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わが家のファミリーヒストリー女系編:母方のかんぴょう問屋一同(私から4代前の当主(中央)とその家族、従業員たち。明治40年代ころ)

2016年12月29日 (木)

新春講演会情報

☆細内所長の2017年1月からの日本国内における講演、アドバイスは次の通りです

2017年1月からの細内所長の訪問先

1/22は、愛媛県宇和島市で『コミュニティ・ビジネスによる住民主体の地域づくり~ある自治体のコミュニティ・ビジネスによる住民の自治おこし」と題して講演します

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続いてお隣の自治体・西予市に移動してミニ講演とワークショップを行います。

1/23は、愛媛県西予市で地域資源を活用したコミュニティ・ビジネス起業ワークショップを行います。

愛媛県、四国近県の皆様、お会いできるのを楽しみにしております。

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☆しごと場大好き

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☆自治会の事業発表会

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☆法隆寺にも観光ボランティアさんがいる。もちろん無料で案内してくれる

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☆日光山の大国さん

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☆北国の生活観光の一つストーブ列車

2016年12月23日 (金)

コミュニティ・ビジネス・ネットワーク講演会のお知らせ

細内所長が理事長を務める市民団体・コミュニティ・ビジネス・ネットワーク主催の講演会をお知らせします。

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以下転載です。ふるってご参加ください。
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2016年12月のCB講演会のお知らせ
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埼玉県杉戸町では、町の歴史的価値に光をあてた魅力発信に向けて、地元農業高校の高校生と協働により「食資源開発部会」を立ち上げ、町ならではの新グルメの開発を進めてきました。そしてこのたび、高校生達の発想から生まれた、町の新たなグルメを、高校生自らがおもてなしをする「杉農たまふわ茶屋」が、町に限定オープンしました。本講演会では、この取り組みに深くかかわってきた、地域づくりコンサルタントの岡本淳芳氏をお招きし、地域活性化に向けた町ぐるみの取り組みについてお話を伺います。
<コミュニティ・ビジネス講演会>
□話題「杉農たまふわ茶屋-高校生が伝統料理をアレンジした料理を提供する茶屋の取組」
□ゲストスピーカー 岡本淳芳氏(地域づくりコンサルタント・日光歴史街道活性化コンソーシアム事務局長
□日時:12月26日(月)19時~20時
□場 所;JICA研究所(市ヶ谷)6階601,602会議室
     〒162-8433 東京都新宿区市谷本村町10-5
    <公共交通>
      JR中央線・総武線 「市ヶ谷」 徒歩10分
    <ご案内図>
 http://www.jica.go.jp/hiroba/about/map.html
□参加費:無料
「伝言」欄に、“12/26講演会参加“と記入ください。
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2016年12月15日 (木)

あなたの先祖にあの有名な歴史的人物がいるかもしれない

私の専門はコミュニティ・ビジネス(CB)による地域創生だが、一方自称歴史学者でもあり、全国各地をCB講演などで訪れるたび、各地の名所旧跡にはできるだけ立ち寄ることにしている。

細内の家は平民の出であり、日光市足尾の磐裂神社の縁起には大同3年(808年)創建時のメンバーに細内の名前が出てくるがはっきりとは分らない。1200年前まで遡れれば、ほんとはすごいことだが関係古書を幾たびかの火災で紛失し、言い伝えが錯そうしている 。残念なことである。

閑話休題

母方の明治生まれの祖母から子供の頃、就寝前によく聞かされた話しに、祖母の母親は、江戸幕府旗本の井上家(本姓は藤原氏、家紋は撫子)で、明治のはじめに祖母の実家である栃木市の造り酒屋に嫁に来たとのこと。
そこで私も50半ばをすぎたころ祖母の話しを確かめようと、国立公文書館の旗本諸家譜(国として江戸時代の公文書も一般公開している。そしてそのPDFも簡単にインターネットで引き出せる)をひも解いてみた。後日確認すると井上家で見せてもらった家伝家譜に関する資料とほぼ同じであった(井上家のものは元資料だからさもありなんである)。
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祖母の母親は、私から3代前にあたり曾祖母となる。彼女を通して武家の血筋が入ることによって、平民の私にも戦国武将とのつながりができることを発見した(明治期に武家の女子を嫁にもらえが有力商家で流行ったらしい)。
これも6次の隔たりの法則 と同じであり、男系だけではなく、女系も調べれば、だれにでもこうしたことが起こり得るのだ。最後はアダムとイブにつながるのかもしれない(笑い)。
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江戸幕府に提出された8代前のご先祖井上多門の旗本井上家・先祖書の控えである
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一方母方の実家は城下町の商家であった。4代前の当主が中央に座る(写真は明治末期ごろ。当主が武家の血をひく嫁を孫(私の祖父)の嫁(私の祖母)にもらったのが小生へとつながっている。

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以下に、曾祖母の実家・旗本井上家の物語を紹介する。
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当ブログで先に紹介したものは今回なるべく省くことにする。
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よく調べて見ると、井上家は初代長井隼人佐道利(斎藤龍興の家老、家紋は斎藤氏と同じ撫子)を家祖(15代前のご先祖?)とし、美濃国兼山城18万石の城主(関城主も兼ねる)であったが、織田信長に敗れ、長井隼人佐の息子3人はその名字を井上(長井の井の字を上にあげて井上とする、旗本家井上分家でその名字の由来を聞く)に変え、その旗下に入る。
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☆過去帳には、斎藤越前守利永を初代として記載されている。左端には長井隼人正(佐)の室(妻)が記載されている。
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そして長井隼人正の3人の息子はやがて織田信長、豊臣秀吉の馬廻り役(親衛隊)となる。現在、NHK大河ドラマ真田丸の真田信繁の同僚として、上の兄弟二人は秀吉の親衛隊・馬廻り役(黄母衣衆)として歴史書に見つけることができる。
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長井道利は斎藤道三の弟、もしくは庶子という説もあるが、美濃守護代の長井・斎藤氏の系譜をひく長井長広の子と言う説もあり、その真偽は不明である。
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しかし長井道利の兄弟姉妹には、信長の妻、濃姫や筒井順慶の妻、真田丸で有名になった公家の菊亭晴李の妻(真田信繁の母がもし菊亭晴李の娘なら、真田家と井上家は遠い親戚になる)、明智光秀の家老・斎藤利三の妻、稲葉一鉄の息子で豊後臼杵藩初代藩主の稲葉貞通の妻(その系譜が有力公家に入り、現代の皇室にも繋がっていく)、そして斎藤義龍など、戦国大名や有力武将の妻など歴史上の有名人がそうそうと並ぶ。
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また江戸初期の天海らによる紫衣事件として、同僚の沢庵和尚と一緒に流された京都大徳寺住持の玉室宗珀和尚は長井道利の子であると、江戸幕府公文書の旗本諸家譜(井上家系譜)に記載されている。
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玉室宗珀は臨済宗大徳寺芳春院の開祖である。旗本井上家の菩提寺は今でも東京渋谷区広尾の祥雲寺(臨済宗大徳寺派)にあるが、その過去帳(上記の写真)には長井道利の妻(稲葉宗張の娘とある、稲葉一鉄の一門か)の木造が京都大徳寺の芳春院(前田家の創設)にあると記載されている。これは彼が長井道利の子である証であると私は推察している。
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そして長井道利の三男・井上時利は摂津国の代官であったが、関が原では織田秀信(信長の孫、三法師)の西軍につき領地没収で浪人となり、大坂の役では豊臣秀頼方として大坂の陣の冬・夏配置図に侍大将の一人として、その名が歴史書等に収められている。勇猛な武将であった。
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戦後、井上時利の子・利仲は、二条城で徳川家康に会い、許されて徳川秀忠の直参旗本となる。この家が明治維新まで井上の本家(美濃守)・分家に分かれて続くのである。井上両家とも500石の家格ながら、大目付、目付、京都町奉行、駿府城武具奉行、作事奉行、小納戸、西の丸留守居、二の丸留守居などの役職を務めている。私の祖母の母親は井上分家の出である。
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旗本井上家初代の井上利仲の母は、織田信長配下の赤座長兼の娘であり、その赤座氏の妻は信長の親戚筋である守護代織田信安の娘である。これで赤座、織田の血筋が井上家に入ることになる。
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また大河ドラマ真田丸の主人公真田信繁の上司、秀吉の秘書室長であった七本槍の平野権平は大河ドラマではひょうきんな役回りで描かれているが、賤ケ岳の七本槍で唯一大名になれなかった一徹ものである。その平野家から幕末時に井上分家に嫁してくるのが、私から5代前のおばあさんにあたる人である。
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平野家は鎌倉幕府北条執権家の北条高時の子孫を標榜しているが本当かどうかわからない。北条高時の遺児北条時行は信濃国から諏訪氏等の援軍を得て、武蔵女影ケ原で足利勢に勝利し、一時鎌倉の地を回復したが、その後駆けつけた足利尊氏に敗れている(中先代の乱)。
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私から4代前のおばあさんは高祖母にあたるが、この人の写真を旗本井上家分家宅で撮らせていただいたが、彼女は野州壬生藩鳥居3万石の筆頭御典医・匂坂氏(漢方医、二十人扶持)の娘である。しかしその主人である井上家分家の当主井上利明の写真は残っていないという。西郷隆盛と同じく、昔の人は写真を撮ると魂を吸い取られると思っていたらしい。だから今でも神社の本殿は、写真に撮らない方がよいといわれている。
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井上辨次郎(利明)は、私から4代前の高祖父にあたる。利明は元領地のあった陣屋・屋敷で明治5年に寺子屋をひらく。それが現在地元にある小学校へとつながっていく。
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それにしても黒船ペリーが浦賀に来なければ、徳川幕府の崩壊はなく、旗本井上家も存続し、井上家の娘(曾祖母)も造り酒屋に嫁に来ることもなく、かつ細内家が明治維新時に日光のお山から降りてくることもなく、よって私も存在しないことになる。
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歴史にもし?は禁句だが、人生何が繫がるかわからないものである。
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☆これもご縁、あれもご縁、ご縁は本当に大切だ。
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2016年12月韓国完州郡の招待講演時に訪問した完州CBセンターにて

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2010年7月韓国ソウルのカンファレンス・ハウスにて、招待講演時に使用する
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1998年米国シリコンバレーサンノゼ市の女性起業家を訪問する
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☆あのクローズアップ現代にも、地域コミュニティ、コミュニティ・ビジネスの専門家として出演する
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☆私は、テレビに、地域づくり、コミュニティの専門家、CBの提唱者として出演することがある
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2016年12月13日 (火)

思い出のひょうきん写真(完州編)

今回は、韓国の完州講演旅行におけるひょうきん写真です。

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羽田空港のラウンジで先月にひき続き、またまたらっきょうカレーとビールで乾杯する。エネルギーを充填し、明日からの講演に備える
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完州社会的経済国際ファーラムでの記念写真
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障がい者も働いている会社が作った餅入りのパンケーキ
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隣り町の全州市の教会前で観光アテンダントさんと記念写真(通訳の李さんが撮る)
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触ると牛が鳴きだしたトリックアート。移住者の集落で驚きのまちづくりが。
これもいいね!
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*完州CBセンターの孫さんと記念写真。彼はとてもひょうきんだ。

2016年12月 8日 (木)

完州コミュニティ・ビジネスは、ヘルシーコミュニティ、コミュニティファーストの精神

韓国に2016年12月5日~7日まで滞在し、韓国完州郡で行われたコミュニティ・ビジネスの祭典、フォーラムに参加してきました。

第一部では、細内所長が『難問解決!ご近所の底力、コミュニティ・ビジネス』と題して基調講演を行いました。

そして本日12月8日完州CBセンターさんから次のようなメッセージをいただきました。とてもうれしい内容です。

『細内所長は韓国にCBの種をまきました。私たちの完州と、ここで働く私はその種子を大きな木に育てようと努力します。そして、ここに細内信孝さんの名前が永遠に記憶されることができるように最善を尽くします。』

フォーラムの翌日12月7日は完州郡のCB事例を見て回りました。皆さん、自分達のCBに誇りと自信がみなぎっていました。まさにヘルシーコミュニティ、コミュニティファーストを実践している社会的企業家の皆さんです。
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完州郡のCB全体の売上は、合計45億円になるという韓国におけるCBのメッカです。私の著書(2007年に韓国語版2冊を上梓)と韓国国内でのCB講演が寄与し、完州で大きく花開いたと伺い、たいへんうれしく栄誉なことです。
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ヘルシーコミュニティとは、地域課題を自ら解決する能力があるコミュニティのこと。今後ヘルシーコミュニティでは、住民みんなの地域課題に関する解決能力の向上や彼らの健康寿命をのばすような、まちづくり活動が求められる。
 
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☆コミュニティファーストとは、一人の住民はコミュニティのみんなのことを考え、コミュニティは一人の住民の思いをおもんばかること。
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以下に、その視察風景を紹介します。
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*直売所に商品を届けに来た生産農家のおじさんとローカルフードの理事長さん。等身大の経営と地産地消がモットー。まさにCBの基本を押さえている。年商は11億円ほど。
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*もやしの生産をする”楽しい営農組合”のみなさん。お昼で仕事を終え、生活を楽しみながらCBをする。
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*もやしを生産する”楽しい営農組合”のみなさん、資本金700万円は各自の持ち寄り資金。年商は5000万円ほど。
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*ローカルフード龍進の理事長さんに店内を案内してもらいました。商品はいずれも新鮮。
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*トリックアートで移住者の楽しい生活を演出する。その表情は明るい。
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*CBの国際フォーラム会場は、一時立ち見も出るほど熱気にあふれていた。
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*完州CBセンターが入る元小学校校舎と事務局の女性スタッフ(スタッフは11人)
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*ローカルフードのお店龍進では新鮮な地元産品が加工され、顧客に提供される。
*CBを行うシニアクラブのメンバーは12人で、元気なシニアが協同で地元のレストランで働き、すでに2店舗を経営している。

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