旅のブログ700回記念、江戸の歴史は面白い
江戸の歴史、ある旗本家の由来書から
写真は東京都港区愛宕神社の通称出世の階段(男坂86階の石段)、丸亀藩の武士曲垣平九郎が3代将軍家光の命で、この階段を馬で駆け上がったからすごい。
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ある旗本家の先祖書より抜粋
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江戸愛宕下に屋敷があった旗本井上別家の2代目当主・井上利實(本姓藤原氏)が所持していた「齋藤系図」を下野(元領地)で目にした(そして、それらをカメラに収めた)。<旗本の生活経済学はこちら>
*それは初代長井豊後守から始まるものだ。齋藤山城守(道三)も長井豊後守の子として記載されている。井上3兄弟の父・長井隼人正はその弟にあたる。織田信長室の帰蝶(濃姫)の名前もある。一色治部大輔は斎藤義龍のこと。稲葉右京亮は臼杵藩祖で稲葉一鉄の子。
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家系図の最後に元禄3年に彼が井上本家の井上(藤原)利盛より家系図(家系図の元は岡山池田藩士・齋藤弥三郎〈道三の子・利治の子孫〉が持っていたものと、最後に記してある)を借り、それを井上利實が写したものと記されている。元禄3年は西暦1690年で5代徳川綱吉の時代でまだ水戸黄門が水戸藩主のころだ。長井道利の家臣であった関藩主の大嶋雲八の名前も見える。
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井上姓の前は美濃国の長井姓で、織田信長により主家齋藤家が滅び、滅亡後にその子孫は井上姓に改姓した。しかし井上家の本姓は利仁流の藤原氏であり、今でも渋谷区広尾にある菩提寺の墓石には、藤原姓井上家と記されている。
(完)
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追記情報
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