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2017年3月 2日 (木)

細内のドイツ文化とヨーゼフ・ボイスとの出会い

私のヨーゼフ・ボイスとの出会い、それは1994年ころから通い始めた青山にあるワタリウム美術館からはじまった。当時勤務していたメーカーの生活文化研究所主任研究員としてのお付き合いからであった。私にとって、今でもヨーゼフ・ボイスの社会彫刻・社会実践派としての印象は強い。

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☆CB総合研究所の玄関入り口に掲げられているヨーゼフ・ボイスのシルクスクリーン
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もともとアート好きであった私だが、ワタリウムでは蔡国強(当時日本にアトリエがあった)氏やヤン・フート(ゲント現代美術館創設者)氏の紹介を受けた。
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私は当時メーカー系の研究所の仕事でドイツにおけるエコロジー研究を担当していた。1996年にはドイツのシュツットガルトから始まるエコロジーに関する現地調査を開始した。シュツットガルト市は、ヨーゼフ・ボイスに影響を与えたルドルフ・シュタイナー(人智学の提唱者、教育者)の足跡が残る都市の一つでもあった。その後、スイスのドルナッハまで足を運び、その本山であるゲーテアヌムを訪ねた時、見たこともない不思議な建築物とその柔らかな色彩観に驚き、今でも強く印象に残る出来事の一つとなっている。
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ミュンヘンのシュタイナーの学校では、低学年の授業を参観することができたが、日本の教育とは全くかけ離れたもの。またBMWの本社では、車の歴史と環境問題に関する姿勢をその企業博物館から学び取った。そしてミュンヘン郊外にあるエコロジーファームでは、農産物に関する環境基準の厳しさと理想とする域内のエネルギー循環のあり方を学んだ。
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数度に及ぶドイツのエコロジー調査では、健康的な住まいのあり方を知るために、建築生物学の建物とそこに住む人々の暮らしを多く見て回った。またフライブルグでは隔年開催のエコメッセに連続して視察・調査することができた。
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ルール工業地帯にあるIBAのエムシャーパークでは、地域再生のコンセプトのつくり方を学んだが、大きなガスタンクがアートになり、産業遺跡がNPOの事務局になっているのには正直驚いた(当時日本ではそうした保存方法は少なかった)。これは英国でも同じような活用方法である。
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☆ヨーゼフ・ボイスのシルクスクリーン・イエローから

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