戦国武将長井道利の真実、過去帳を発見
細内が取り組んでいる旗本井上家の研究で、井上家の開祖である戦国武将長井道利(齋藤山城守正利の男と記載あり)の正室名が、その菩提寺(黒田家の建立)にある過去帳から判明した。長井道利は3度?正室を迎えている(1度目は井上兄弟の母か?しかし名前は不明、2度目は東常慶氏の娘、3度目が今回の稲葉宗張の娘、井上姓の3男井上時利:1566年生まれの母の可能性がある)。また齋藤道三の娘が稲葉一鉄の息子に嫁いでおり、豊後臼杵藩の藩祖稲葉貞通の正妻となっている。その血脈は公家を通して現在の皇室まで繫がっている。
☆そして稲葉家と井上家の付き合いは江戸幕末まで続く。(2015年7月5日の上記リンク記事<旗本井上家の研究>より;文献を検索していくと、さらに興味深い論文を目にした。それは佐藤論文(1998) の「大名の隠居・家督願について」の中に豊後臼杵藩5万石の11代当主稲葉氏の隠居に伴うお知らせ先に井上美濃守(井上本家・井上利泰大目付)と合わせて、分家・井上熊蔵の名前が出てくるのである。稲葉氏と井上(長井斎藤)氏は美濃国において稲葉宗張の戦国時代から親戚関係にあり(佐藤論文ではそこまで触れていないが)、300年後の江戸幕末までそうしたお付き合いを維持していたことは、下記の長井道利の正室・稲葉宗張の女(娘)からもその関係が類推できる。
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