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2017年4月 8日 (土)

戦国武将長井道利の真実、過去帳を発見

細内が取り組んでいる旗本井上家の研究で、井上家の開祖である戦国武将長井道利(齋藤山城守正利の男と記載あり)の正室名が、その菩提寺(黒田家の建立)にある過去帳から判明した。長井道利は3度?正室を迎えている(1度目は井上兄弟の母か?しかし名前は不明、2度目は東常慶氏の娘、3度目が今回の稲葉宗張の娘、井上姓の3男井上時利:1566年生まれの母の可能性がある)。また齋藤道三の娘が稲葉一鉄の息子に嫁いでおり、豊後臼杵藩の藩祖稲葉貞通の正妻となっている。その血脈は公家を通して現在の皇室まで繫がっている。

☆そして稲葉家と井上家の付き合いは江戸幕末まで続く。(2015年7月5日の上記リンク記事<旗本井上家の研究>より;文献を検索していくと、さらに興味深い論文を目にした。それは佐藤論文(1998) の「大名の隠居・家督願について」の中に豊後臼杵藩5万石の11代当主稲葉氏の隠居に伴うお知らせ先に井上美濃守(井上本家・井上利泰大目付)と合わせて、分家・井上熊蔵の名前が出てくるのである。稲葉氏と井上(長井斎藤)氏は美濃国において稲葉宗張の戦国時代から親戚関係にあり(佐藤論文ではそこまで触れていないが)、300年後の江戸幕末までそうしたお付き合いを維持していたことは、下記の長井道利の正室・稲葉宗張の女(娘)からもその関係が類推できる

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*齋藤越前守利永に始まる長井斎藤流・井上氏の臨済宗過去帳
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過去帳には長井隼人正利道(元亀2年8月28日没)あり、菩提寺の過去帳上では道利が利道になっているが、これはよくあること。その左にあるのが同室、つまり道利の正室のことだが、歴史上では長井隼人佐の正室は東常慶の娘(遠藤慶隆の母)が一般的だが、ここでは稲葉宗張殿の女(娘)となっている。しかも慶長10年(1605年)に亡くなっている。また同じ京都・大徳寺の芳春院(前田家の建立、紫衣事件で沢庵と一緒に連座した玉室宗珀;長井道利の息子か?がその開祖:国立公文書館蔵の井上家家伝では玉室は長井道利の子供と記載)に、その正室の木像が安置されていると記載されている。つまり宗珀の母親の木造が芳春院にまつられていることになる。明治期の廃仏毀釈で現在不明の可能性がある。
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そこで稲葉宗張とは、いかなる人物か調べて見た。京都大徳寺の高桐院(細川家の建立)にその稲葉宗張(良籌)の肖像画を発見した。
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*稲葉宗張(良籌)の肖像画
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*大徳寺住持の古嶽宗亘によるその賛
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稲葉一鉄(1515~1588)の肖像画にも似ているが時代が違う。それは1526年に古嶽宗亘がその賛を書いていることからも分かる。1526年では稲葉一鉄がまだ11歳の時である。彼には5人の兄がいたから一鉄の兄たち、もしくはその父親(父を含め、いずれも牧田の戦いで戦死している)か、父親関連の稲葉一族かもしれない。
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肖像画の出典:文化庁監修『国宝・重要文化財大全』1絵画(上巻)毎日新聞社1997年
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*端正な顔立ちで30歳代の人物と思われる。この肖像画は国指定の重要文化財である。
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上述の長井斎藤家(藤原姓齋藤流井上氏)と稲葉家の親戚関係(長井道利の正室という立場上、井上時利や玉室宗珀の母の可能性は高い:少なくとも井上家の過去帳上はそうなっている)は、新しい発見である。だから日本の歴史は面白い(細内談)。
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☆姓は藤原、苗字は齋藤、禄は井上、公式の文章には必ずこう表記した旗本井上家
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☆長井豊後守から始まる家系図
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