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2017年5月

2017年5月29日 (月)

読書家与謝野馨氏を偲ぶ

明治の後期に「君死にたまうことなかれ」と戦場に向かう弟への愛情を歌にした女流歌人与謝野晶子の孫にあたる政治家与謝野氏が逝去された。私には政治家というよりも読書家としての与謝野氏の印象が強い。

彼は本を求めて神田神保町界隈をよく散策されていたらしい。私も本好きでよく神保町の古書店へ足げく日参したが、一度だけ与謝野氏と遭遇したことがある。

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あれは10年前になるだろうか。神田神保町の三省堂書店本店のたしか4階だろうか、ローマ関係の本を探していたとき、接触してきたスーツ姿の紳士がいた。彼も西洋関係の書籍を探していたのであろうか。相互に肩が触れたが、与謝野さんの方から「どうも失礼しました!」と声をかけてきた。あのだみ声とメガネの笑顔がとても印象に残る御仁であった。
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ご冥福をお祈りする。合掌
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2017年5月23日 (火)

私のご先祖探しはつづく

ご先祖からの赤い糸が連綿と続いているから自己が存在する。
そんなことを意識し始めたのは、2011年3月11日の東日本大震災以降である。
ここ5年くらいで分かったことの一つに父方の姓、細内を日光市の公式ホームページで見つけたことだ西暦1315年に日光中禅寺から足尾への移住である。

2015年は、ちょうど細内(細内の家紋は梅鉢と横木瓜。この2つの家紋は藤原北家の家紋ともいわれる)の日光足尾郷への移住700年にあたる記念の年であった。一説には細内は細納に通じ、細納はサイトウとも読める。実は斎藤なのかも知れない。足尾町原地区には中世から斎藤と細内しか住んでいない。明治維新前後に細内の郷外への流失が続いたという。当方のご先祖も県都宇都宮に集団移住した一人だろう。

*日光市の公式ホームページより抜粋 


 

承和3836)年

 

 

中禅寺領が日光神領と改称された。

 

 

正和41315)年

 

 

足尾の5姓(神山、星野、倉沢、斉藤、亀山または細内)が足尾に移住したと伝えられる。

 
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*斎藤別当実盛の建立した聖天院

平家物語の斎藤実盛は、藤原北家利仁流ともいわれ、日光市足尾の斎藤家はその末裔ともいわれている。

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また母方の3代前に藤原北家の利仁流を名乗る直参旗本(家紋は撫子)の娘が嫁いできた。私の曾祖母の一人である。明治の中ごろ、士族の娘を嫁にもらうのが商家では一つの流行であった。当時地方の酒造家に500石の元・直参旗本の娘が18歳で嫁いでくる。6人の子供をもうけるがその長女が私の祖母であり、明治生まれの祖母は宇都宮の県立女学校を出て、すぐに干瓢問屋(家紋は立ち沢瀉)へ嫁いでくる。家禄500石といえども幕府の規定では家臣10人を養い、当主を入れて11人のいわば中小企業的な存在であった。勤務先の江戸城へは騎馬にて部下3人と一緒に登城した。体面を重んじる武士の家計は幕末時どこも苦しかったようだ。
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そんな赤い糸のつながりの中で私は生を受け継ぎ、いま日本各地を地方活性化の伝道師として歩きまわっている。
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これはあくまで私の推測だが、細内姓は足尾の歴史やその家紋などからも斎藤実盛に関係する武蔵斎藤氏に繋がり、また母方の旗本井上家(家紋なでしこ)に繋がる系譜は寛政譜によれば美濃斉藤氏となり、私の代で武蔵と美濃の両斎藤家の血脈がつながることになる。不思議なご縁だ。

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旗本井上家に伝わる幕末の親戚書。逸見家、伊沢家、山岡家、松平家、榊原家とそうそうたる徳川の親衛隊が名前を連ねている。

井上家からは、大目付、道中奉行、作事奉行、京都町奉行、目付、小十人頭、御納戸役、駿府武具奉行、西の丸留守居、二の丸留守居などを輩出している。

追記:2020年4月1日にこの内容が書籍になりました⇒http://www.hosouchi.com/machischool.html

ご笑覧ください。

2017年5月22日 (月)

岡山県コミュニティビジネス創業フォローアップセミナー

細内所長は、6月10日土曜日に岡山県津山市で講演をします。
岡山県のコミュニティビジネスの創業&フォローアップセミナー・情報交換会にて、基調講演を行います。
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演題は、『コミュニティ・ビジネスによる地域創生~地域協業による支えあいのビジネス~』「h29_1.pdf」をダウンロード
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コミュニティ・ビジネスの最新情報、起業プラン作成に向けて、CBの基礎知識を学ぶ講座と起業プラン作成のワークショップを実施します。
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岡山県のみなさん、ふるってご参加ください。

 

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*町の学校リーフレットより

2017年5月13日 (土)

コミュニティ・ビジネス(CB)と社会起業(企業)家

 コミュニティ・ビジネスといえば、地域住民が地域の問題にビジネスの組織をもって取り組み、地域資源を活用しながら自ら問題を解決しようとすることであるが、その学際的な本質は、コミュニティの共同体論、地域の活性化論、社会的起業論、NPO論、ボランティア論、社会参加論などの総合的な視座から成立している。コミュニティ・ビジネスにおいて現場で主役となる人々は、団塊世代の退職者や子育てを終えた母さん、そして障がい者や失業者、子育て中の母さんであり、みんな働きたいと願ってきた人々である。そうした彼らを牽引するリーダーは“社会起業(企業)家”とも呼ばれている。

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 社会起業(企業)家とは自己実現をしながら社会を変革して行こうとするベンチャー精神を持つ起業家をいうが、最近若い起業家をそうした呼び方にすることが少なくない。しかし、それはけっして若い起業家の専売特許ではない。サミエル・ウルマンの言葉を借りれば、青春という“熱い心”と成し遂げようとする“実行力”を持ち合わせれば、それは年齢や性別を問わないものだ。コミュニティ・ビジネスは、地域の諸問題に地域の仲間と一緒に取り組み、ビジネス組織を持って中長期に取り組んでいくものである。1~3年という短期間で地域の困った問題が解決するものではない。息の長い取組みであり、郷土愛をもって新しく創っていくものである。その先人を挙げれば、長野県小川村の㈱小川の庄の権田市郎さん、栃木県足利市の社会福祉法人こころみる学園・有限会社ココファームワイナーの川田昇さん、滋賀県長浜市の黒壁の笹原司朗さん、愛知県長久手市の愛知たいようの杜・ゴジカラ村の吉田一平さんなどである。私はそうした郷土愛を持って地域を元気にする事業、すなわちコミュニティ・ビジネスに取り組んできた彼らを真の意味の社会起業(企業)家と呼んでいる。

<生産性新聞への寄稿>に一部加筆して作成>

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アートは見る人の心を温かくする。

2017年5月 9日 (火)

私の生き方、働き方、研究道について

私は、お受験で入った公立の幼稚園から、父の転勤で曹洞宗の幼稚園へ転園した。その時から門前の小僧となり、やがて大人になると、東京世田谷の曹洞宗寺院の座禅会に日参するようになった。

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柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺。法隆寺も観光ボランティアさんが案内してくれる。
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そこで毎月ご提唱に来られる駒澤大学仏教学部の鈴木格禅先生のご提唱を受け続けたことが、私の研究道を極めるきっかけとなった。
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駒澤大学仏教研究所の澤木興道老子像。澤木老子は鈴木先生の師にあたる。
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そして、それには後日談があり、私が幼少時に通った曹洞宗寺院付属の明星幼稚園の瀧口玄英園長と鈴木格禅先生は駒澤大学時代の同級生であることを、後日鈴木先生から直接伺ったものだ。これもご縁、あれもご縁である。
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駒澤大学での特別講義を終え、大学構内の座禅堂にて座禅を組む
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私の研究道は、先人から多くの英知をもらい自己を習うことから始まった。
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下河辺淳先生から、対談の時、理路整然と話をする姿勢を習う
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津端修一先生から、自由時間という、自立した人間なら当たり前の価値を習う
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今井俊博先生から、身土不二の存在意義を習う
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NHKの藤田キャスターからテレビ出演時における間合いの取り方を習う
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大学時代、嶋崎先生から研究の面白さと楽しさを習う
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玉井先生から農村社会の歩き方と住民目線の合わせ方を習う
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鈴木格禅先生(道元禅師)からの教え、『自己を習うということは、研鑽を積み自己をよく知ることである。』
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多くの先人たちに感謝、合掌!
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以上、還暦を迎えて、ふと気が付いたこと。
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ここまで人生の2/3を生きてきた。わきが甘く、幸せを取りこぼしてしまった。100点満点中で60点だ。いや59点かもしれない。
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日光開祖の勝道上人像
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