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2017年9月

2017年9月29日 (金)

マンションと老人ホームが近接する新しい時代

左側の大手不動産会社開発のマンション(付設の図書室を設置)と老人ホームが近接している事例。右側の3階建てが大手介護会社の老人ホーム。こうした開発事例が最近増えている。

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つまり新居となるマンション・ライフから老後の住処まで見据えたライフ・プランを提案し始めている。子息を身近に呼び寄せるのにも良く、多面的なライフ・プランの提案が可能となる。
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2017年9月27日 (水)

相模国歴史の散歩道

鎌倉殿 よみがえる景時屋敷跡

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*秋です
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*景時館跡の看板
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*梶の木は殿下お手植えのもの
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*天満宮と銀杏の木
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*岡田遺跡から出土した縄文土器
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*発掘調査の跡は県営団地へと変貌した。千戸の住居跡が発見される(東日本最大か?)
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*今もこの団地下に縄文遺跡が眠る
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*旧石器まで遡るか?
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*縄文中期の海進ですぐそばまで海岸線が入り込んでいた
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*釣手土器が展示されていた

高齢化率28%を迎えたわが国の老人ホームの今

評判の良い老人ホームを見学してきました。最近、仕事柄老人ホームを積極的に見学しています。

窓の大きい明るい室内は、働く人の職場環境を向上させます。
施設(特養)の参加者も気持ちが良いはずです。
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*特養の参加者はお歌の会です
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*車いすでの参加者が増えましたね
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*施設では毎回100食分をつくるそうです
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*デイサービスの利用者はグループに分かれ、お絵かきをしていました
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*この施設は東京郊外にあるため、室内スペースが広く、快適性を維持しています

2017年9月26日 (火)

2017年10月4日ロボットとの共生時代が始まる

新宿駅から800メートルのところに当社・CB総合研究所(渋谷区千駄ヶ谷5丁目)があるため、通勤時に南新宿、サザンテラス、タイムズスクエアを毎日歩いているが、南新宿はまさに国際通りの活況を呈している。

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すなわち通りを歩いている人の半数が外国人であり、しかもスーツケースやキャリアバックを引いている。バスタ新宿が誕生した昨今では、それに地方からのお上りさんが加わり、どこの国にいるのか時々戸惑うことがある。
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さらに10月4日からご近所の新宿高島屋では、とうとうロボットの常設売り場を設けるという。いよいよロボットとの共生の時代が始まる。時々店内で見かけたが、鉄腕アトムの漫画で育った還暦おじさんには、テレビアニメの予備知識はあるが、ロボットとのコミュニケーション、間の取り方、共感や反発など、どうコミュニケーションを取ったらよいのか、ワクワクの時代が始まる。
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そうでもしないと、三人に一人が65歳以上になるという、わが国の超高齢社会は乗り越えられないであろう。ロボットとの共生は今後のビジネスとしても大事だ。
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ロボットに関する過去の細内所長ブログ
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2017年9月23日 (土)

多忙な経営者は移動中よく仕事をするものだ

昨年12月に私は韓国の地方都市で開催された国際フォーラムへの招聘講演があり、11月の招聘講演(こちらは韓国の政府系財団主催)に続いて、同じナショナルフラッグの飛行機の同じ便に搭乗し、羽田からソウルに向かった。会場も近かったので宿泊するホテルも同じホテルに2泊3日の日程で取り、同じ部屋に滞在した。つまり前月の訪韓のサクセスストリーのイメージ通りに12月の訪韓も同じ行動をとることで極力ストレスを減らし、仕事を無事乗り超えたのである。

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そうすることが一番安全であり、仕事もしっかりと進めることが、還暦を迎える歳になってはじめて分り、それが現在は確信へとかわった。だから今年の岡山の仕事は、7往復とも同じ時刻の新幹線で往復し同じホテルの同じ部屋に宿泊することにして仕事は無事終了した。
そしてもう一つの確信は経営者は移動中によく仕事をするものだということである。
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韓国に向かう移動中の機内で同年代と思われるビジネスマンが隣席に着いた。おかしなことにCAさんが立て続けに3人も彼にわざわざ挨拶にやって来た。常連客なのだろうか?私は彼の行動をしばらく観察して見ることにした。すると、おもむろにバックから新聞を取り出し、端から端まで丹念に目を通しはじめた。それから新聞を縦にしたり横にしたりと、せわしない様子だ。またタブレット端末を取り出すとメールのチェックを始めた。機内食にも一切手を出さず、盛んにメールを確認している。新聞のハングル文字から日韓を往復している常連客らしいが、CAさんが3人も挨拶に来るとは一体だれなのかと不思議に思い、とうとう声をかけてみた。名刺を交換して初めてCAさんの挨拶の意味が分かった。
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彼は世界的に有名な○○電子の副会長であったのだ。日本の電機メーカーとの商談の帰りとのこと。その後無事金浦空港に着き、私は入国手続きを終えて空港のロビーに出ると、彼が日本語のできる秘書(彼は取締役であった)を従えて私を待っていた。私も彼も話し好きな性格なのだろうか、日本語のできる秘書さんを交え、私は迎えに来ているフォーラム関係者のことをすっかり忘れ、つい話し込んでしまった。
私の行動も彼の目から不思議に映ったのであろう。機内で招待講演の原稿にせわしなく目を通していたのである。
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2017年9月18日 (月)

将棋のテーマパーク

当社CB総合研究所(渋谷区千駄ヶ谷5丁目)より徒歩10分くらいのところに日本将棋会館(千駄ヶ谷2丁目)があり、その隣接地に鳩森八幡宮と千駄ヶ谷の富士塚がある。その2点を結ぶコースが、私の散歩、参拝、登攀の3点セットである。

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*CB総合研究所の入るビルと代々木ドコモタワー
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将棋会館2Fでちびっこ棋士の対局を見たり、時間があれば富士塚を登攀したり、また鳩森八幡さんに参拝したりと日本の将棋の聖地・テーマパークである。
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将棋会館には、藤井ファイルや加藤一二三ファイル、扇子、駒などのグッズも販売していて飽きないところである。
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先日一二三先生を会館で見かけた。真顔はするどい眼光であり勝負師の片りんを垣間見た。
CB総合研究所のFBと同時掲載
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2017年9月15日 (金)

日本史オムニバス、長井忠左衛門のこと

六尺の大男といえば、身長180㎝の男子のこと。 西郷どんも、坂本はんも、福澤諭吉さんもみんな六尺の韋駄天だった。 当時日本男児の平均身長は153㎝くらいだから、庶民は彼らを見上げるようにして話をしていた。 二宮尊徳さんも六尺の大男だった。 幕末の一大事を成し遂げた人物は、おおむね韋駄天の大男だった。 しかし幕臣勝海舟は150cmくらいの小男だった。 そういえばナポレオンも小男である。

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*東京墨田区にある能勢の妙見山にある勝海舟像(妙見さんは旗本能勢家の屋敷内にあったもの)
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下野国足尾郷は江戸幕府の銅山直轄地であったが、幕末のころ銅の産出が枯れ、天保の飢饉の煽りも受け、農民(当時は住民といわず農民といった)の流失が相次いだそうだ。明治10年古河市兵衛(古河財閥の祖)がその銅山を安価で明治政府から払下げを受け、その後、銅の大鉱脈を発見し、古河は財を成していく。と同時に、わが国は、近代国家として殖産興業、坂の上の雲を目指して躍進が始まる。
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その歴史の1ページを栃木県にある稲荷神社から推し量ることが出来る。現在の日光市足尾町切幹の稲荷神社(元は京都伏見稲荷から分祀か?)から分祀された宇都宮市西川田町996の稲荷神社(石塔から1846年ころの創建か)である。
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それは足尾からの農民移住がもたらしたもので、幕末時に足尾郷原集落の農民数名が新天地の下野国河内郡西川田村(現在の宇都宮市西川田町)に移住し、新田開発を行い、そこに故郷足尾の稲荷神社を勧請した?のである。
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移住した農民の戸籍簿を調べて見ると、1854年に移住先で子供が生まれている。開墾地での最初の子供である。
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こうして江戸幕府の威信体制が崩れ、西洋文明を積極的に取り入れた薩長土肥の近代国家を目指した”ご維新”が始まるのである。
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*大魔神は古代・古墳時代の武人埴輪がモチーフ
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*戦国時代創建の城は戦闘城で、カラスのように黒の場合が多い

美濃の戦国武将長井道利の長子・長井道勝は、またの名を長井忠左衛門といい、主家の斎藤家滅亡後は苗字を井上に変え、井上道勝と名乗った。いわゆる井上3兄弟の長男である。

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国会図書館から取り寄せた書誌「岡山藩家中諸士家譜五音寄1~3」(倉地編集)によれば、井上道勝は長良川の戦いで祖父(伯父?)齋藤道三を生け捕りにしようとしたが、取り押さえ損ない、あとから駆け付けた小牧源太に手柄を横取りされた。

その落胆のため高野山に引きこもり世をはかなんだが、豪傑がゆえに織田信長より召し出され、その後、信長配下の池田輝政の客分や太閤秀吉の親衛隊黄母衣衆の一人として豊臣家に仕えた。

井上道勝の子、長井新太郎は信長の子・織田信忠に仕えたが、本能寺の変で信忠と共に二条で討ち死にしている。

長井新太郎の子?、纐纈六右衛門から、纐纈三十郎、熊田所左エ門、長井権助と続き、岡山藩が家中諸士家譜の作成時(1690年頃?)に上述のような先祖書を提出したが、途中で纐纈、熊田姓などが記載され、養子?女系等でつながった可能性が高い。

しかし、その子孫は1819年の長井正之進をもって井上道勝(長井忠左衛門)の家系は途絶え(出奔した?)ている。そうしたことが岡山藩の池田家履歴略記に記載されている(下記参照)。

池田家履歴略記 上巻・下巻

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*池田家履歴略記 上巻・下巻

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*池田家の公式記録書(池田家履歴略記)に載っている長井忠左衛門のこと

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*木像は、権現様こと、徳川内府(織田信長は織田右府)、東照大権現・源朝臣家康

2017年9月13日 (水)

「町の学校」の英文リーフレットを一部修正しました

CB総合研究所が運営する「町の学校」の英文リーフレットを一部修正しました。

参照は、_こちらから
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教授陣は現在8名おります。
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*845世帯のサテライトオフィス2017夏

2017年9月 8日 (金)

CB起業家は売り込み、販路開拓にかける熱意、パションが大切だ

当方命名のCB地域資源BOX(特産品のショーケース)が設置されている愛媛県松山市(人口51万人、このクラスの中核都市は他に宇都宮市、姫路市などがある)の松山全日空ホテル1Fのショッピングモールで、砥部焼の作家である大東アリンさんに出会った。

Img_5021 *松山のメインストリートにある全日空ホテル
*砥部焼の新商品の持ち込みをCB地域資源BOXのスタッフに説明しているところで、そばにいた小生にも名刺を渡してきて、持ち込みの新商品をPRしてきた。 
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この熱意・パッションが大切で、面白い人だなあと帰京してから調べてみると、砥部焼の東窯の代表であった。その器やカップの絵柄模様から拝見すると、優しい独特な色使いが、彼女の持ち味のようだ。
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それにしてもCB起業家には、売り込み(販路開拓)時にかけるこの熱意、パションが大切であり、自分の作品を自信を持って説明する姿を拝見し、その半分は販路開拓に成功したなあ、と感じ入った次第である。
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CB総合研究所のFBと同時配信
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*松山の大街道商店街は四国一だ。旧三瓶町にも大街道商店街があった
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*JR松山駅の夕刻の通勤風景
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*まもなく笑顔をつなぐ・えひめ国体が始まる。みんなで応援しよう。

2017年9月 7日 (木)

地方はインターネットを活用して購入者との交流(SNS)を目指せ!

最近よく目にすることの一つに地域資源BOX(特産品のショーケース)が、地方の交通要所の結節点に設けられていることだ。

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山陽新幹線岡山駅構内や愛媛県松山市の松山全日空ホテル1Fのショッピングモール内などがそうだ。
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いずれも県の産業振興関係やJRなどの機関が応援している(それは良いことだ)が、地域起業としてはまだ発展途上の段階であることが少なくない。
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商品の完成度も各社まちまちで、その頑張っている状況を、目出しの段階とか、開花段階とか、ここを卒業する直前の段階とか、評価段階を生産者自身が表記・表明してもよいだろう。
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そこからインターネットを活用して消費者・購入者との交流(SNS)が始まるものだ。
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☆CB総合研究所のFBと同時配信
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☆富士山を目指そう!
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2017年9月 4日 (月)

吉備路は古墳で盛りだくさん、歴史好きにはたまらないところだ

2012年12月に訪問した吉備路の古墳風景が、私的なファイルから出てきた。最近の吉備路の遺跡巡りと比較する上で備忘録的に写真を整理してみた。
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*岡山といえば烏城

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高梁川か?

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作山古墳は日本でもベスト10に入る大きさの前方後円墳
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作山古墳の頂上部を歩く
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作山古墳はまさに岡山(丘の上の山古墳)だ 
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戦前までここで相撲が開催されていたのでこの名がついたとか
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国分寺界隈の長閑な風景
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蝙蝠がいっぱい居ついていたので、こうもり塚古墳と呼ばれるとか
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造山古墳はわが国における第4位の大きさの前方後円墳
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造山古墳の頂上部からの眺めは素晴らしい
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岡山市の農村地帯の風景、倉敷市の楯築遺跡で見かけた風景と同じ
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造山古墳の頂上にあった石棺、造作なく置かれていたが、阿蘇から運んだ石?とか
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造山の案内板
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石室の天井が1枚岩で有名な鳶尾塚古墳にご案内していただく
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横穴式古墳の入り口だ
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まさに1枚岩が天井をしめる
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岡山人は古墳好きが高じて、自分たちで小古墳を作ってしまったとか
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地元の新聞でも紹介される
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吉備神楽で使うお面の数々 、手作りのお面だそうだ
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古墳時代後期に発生した家・ファミリーレベル(庶民)の古墳群とか
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昨年講演で訪れた韓国南部でもよく見かけた円墳と同じようだ?
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☆古代史研究家を自称する私ですが、5年前の12月神戸市での講演後に岡山まで足をのばして、NPO法人ちみちの加藤さんに案内してもらいました。改めて御礼申し上げます。
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2017年9月 2日 (土)

愛媛県はなぜ宇都宮さんが多いの?そして駅弁の豊富さで地域力を知る

愛媛県へ地域づくりの講演や講座の仕事で行くと、講演会場等でよく宇都宮さんというお名前を見かける。

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*宇都宮市のランドマークでもある大谷石のキリスト教会

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西予市宇和町には犬養毅元首相はじめ、多くの著名人が宿泊した旅館がある

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西予市宇和町の造り酒屋・宇都宮酒造も宇都宮さんが経営している

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米どころの造り酒屋・宇都宮酒造は千鳥が逸品である

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*大洲は水郷とNHK朝ドラ”おはなはん”の町である
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愛媛県には仕事で10数年前から訪問しているが、宇都宮さんというお名前は、越智さん、清家さん、河野さん、兵頭さんと同じくらいに遭遇する名前だ。愛媛県は宇都宮さんの一番多い県である。
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なぜ私が宇都宮さんにこだわるかというと、宇都宮市生まれだからである。しかし私には宇都宮市内で宇都宮さんに遭遇したことはない。約1000年前の前九年後三年の役のとき、戦に随行した藤原宗円が宇都宮二荒山神社の社家に任命されてから発生した(仮冒により、本来は中原氏、毛野氏の出とも言われる)といわれる宇都宮さんだが、さらに源氏の平家討伐によって、源頼朝から当時の御家人宇都宮氏が西国の守護、地頭に任命され、その次男、三男等が派遣され、それによって子孫が増加・拡大したという。大分・豊前にも宇都宮氏の子弟が派遣され、その後400年にわたり豊前を支配したが、豊臣秀吉配下の黒田長政らによって滅亡した。
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愛媛県大洲市の大洲神社には宇都宮二荒山神社が合祀されている。これは、当時の伊予守・宇都宮家当主が本貫地下野国宇都宮の二荒山神社から勧請したものである。
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こうしたことは、よくあることで、例えば宇都宮市西川田町996の稲荷神社は、足尾町の切幹にある稲荷神社から勧請したものであるという(付近には幕末時に日光市足尾町から移住してきた者たちが住むという)。その足尾のお稲荷さんも、実は京都伏見の伏見稲荷さんから勧請したものだろう。こうして名前も神社も人々の移住によって拡大発散していくものだ。
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*かつて宇都宮氏が納めた伊予大洲
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*大洲は鵜飼の町でもある
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*松山と岡山を結ぶ特急アンパンマン号
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*松山市内を走る路面電車
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☆岡山の最新鋭路面電車MOMO
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☆山陽新幹線岡山駅の存在意義は、写真の駅弁の豊富さにも表れている(松山駅は残念ながら、駅弁屋?と言われる人が一人ホーム脇で営業していたに過ぎない。地域経済の規模を推し量るには、こうした庶民的視点も大切だ)
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岡山と松山はどちらも最後に山が付き、町の雰囲気が似ている岡山池田藩と松山松平藩であるが、幕末時の対応は岡山藩の方が一枚上手だったようだ(池田藩は関が原でも東軍につき勝ち組へ、時代の流れを見る目があると推測)。薩長土肥と同じ様に岡山県岡山市と県名に岡山が残されている。その影響が駅弁の豊富さにも影響している。
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