日本史オムニバス、長井忠左衛門のこと
六尺の大男といえば、身長180㎝の男子のこと。 西郷どんも、坂本はんも、福澤諭吉さんもみんな六尺の韋駄天だった。 当時日本男児の平均身長は153㎝くらいだから、庶民は彼らを見上げるようにして話をしていた。 二宮尊徳さんも六尺の大男だった。 幕末の一大事を成し遂げた人物は、おおむね韋駄天の大男だった。 しかし幕臣勝海舟は150cmくらいの小男だった。 そういえばナポレオンも小男である。
美濃の戦国武将長井道利の長子・長井道勝は、またの名を長井忠右衛門といい、主家の斎藤家滅亡後は苗字を井上に変え、井上忠右衛門道勝と名乗った。いわゆる井上3兄弟の長男である。
岡山大学の倉地先生を訪ねたその後、国会図書館から取り寄せた書誌「岡山藩家中諸士家譜五音寄1~3」(倉地編集)によれば、井上道勝は長良川の戦いで祖父(伯父?)の齋藤道三を生け捕りにしようとしたが、取り押さえ損ない、あとから駆け付けた小牧源太に手柄を横取りされた。
その落胆のため高野山に引きこもり世をはかなんだが、豪傑がゆえに織田信長より召し出され、その後、信長配下の池田輝政の客分や太閤秀吉の親衛隊黄母衣衆の一人として豊臣家に仕えた。
井上道勝の子、長井新太郎は信長の子・織田信忠に仕えたが、本能寺の変で信忠と共に二条で討ち死にしている。
井上道勝の娘(夫・纐纈六右衛門)の子・纐纈三十郎が跡を継ぎ、その後熊田所左エ門、長井権助と続き、岡山藩が家中諸士家譜の作成時(1690年頃?)に上述のような先祖書を提出したが、途中で纐纈、熊田姓などが記載され、養子?女系等でつながった可能性が高い。
しかし、その子孫は1819年の長井正之進をもって井上道勝(長井忠左衛門)の家系は途絶えて(出奔した可能性大?)いる。そうしたことが岡山藩の池田家履歴略記に記載されている(下記参照)。
☆池田家履歴略記 上巻・下巻
*池田家履歴略記 上巻・下巻
*池田家の公式記録書(池田家履歴略記)に載っている長井忠左衛門のこと
*木像は、権現様こと、徳川内府(織田信長は織田右府)、東照大権現・源朝臣家康
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