« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »

2018年1月

2018年1月31日 (水)

何事も継続は力なり

2018年1月29日に総務省の地域情報化アドバイザー会議に行ってきました。今年で11年間も務めています。

『何事も継続は力なり』が私のモットーです。
さて私はどこでしょうか?


Img_18

細内の地域情報化アドバイザーとしての活動実績

2018年1月29日 (月)

新宿界隈の飲食業、コンビニは、アジアからの留学生たちによって支えられている

CB総研は代々木駅前にある。
*
Dsc_0080 私はかつ丼が好きでよく駅前チェーン店でかつを食べる。 
その店はインドからの留学生が日本のかつ丼を作り、ベトナムの留学生が目の前まで運んでくれる。店員3人ともアジアからの留学生だが、客はすべて日本人だ。何か変な感じだ。アジア人が作る日本のファーストフードかつ丼を日本人がうまそうに食らう。ここはどこ?
*
また近くのコンビ二は中国からの留学生によって店の運営が成り立っている。日本人の店員は夜ほとんど見かけない。これが日本の首都・東京新宿界隈の状況だ。
*
そして新宿代々木界隈の飲食業、コンビニは、こうしたアジアからの留学生たちによって支えられていると言っても過言ではない。彼らは流ちょうな日本語を話す、もはや新宿はアジアの国際センターなのだ。
*
Dsc_0082
*
☆細内のFB、及びCB総研のFBと同時配信

2018年1月20日 (土)

私の江戸小紋の1点もの勝つ虫ベストは縁起が良い?

大相撲のメッカJR両国駅前にコミュニティ・ビジネスの共同事務所を構えていたころ、墨田区内の江戸小紋の染もの屋さんにオーダーした特別1点ものが次の勝つ虫ベストである。

☆彡
2 1
☆前は無数の黄色トンボ柄、後ろは極大の黄色トンボが描かれている
*
江戸小紋の勝ち虫ベストは、色柄指定の細内プロデュ―ス作品である。当時私も40歳と若く、前のめりで物事に取り組み、後ろを顧みない自分の姿がこのベストから読み取れる。今は、こうして後ろを時々振り返りながら将来の姿を模索している。
☆彡
勝ち虫は、6世紀の雄略天皇の時代から縁起の良い虫として伝えられている。戦国時代の武将が好んで兜の前付きに着けていたものの一つが、この勝つ虫である。トンボは後進しない、前進するのみである。甲州の印伝にもこの勝つ虫、トンボ柄がよく使われるのも、パワーがあり、縁起が良いことから来ている。
☆彡
還暦を迎えた私は、最近横滑りをしたり、後進することも覚え、時には転進することもやぶさかでない心境に達した昨今である。
*


2018年1月17日 (水)

イッコーと葛飾北斎のビッグウェーブが再びやってきた!

今、再び葛飾北斎が大ブーム。

東京墨田の指物師(さしものし)イッコーと長野県小布施町をつなげて小生が北斎グッズを

プロデュースしたのが20年前である。
Img_5888
当時の東京下町・墨田の仲間たち
☆彡
当時江戸東京博物館の墨田区観光協会のコーナーで売られていたものが、北斎漫画から採った次の写真の北斎文鎮であり、販売成果はまずまずだった(当時小布施町のまちづくり会社ア・ラ・小布施でも販売された)。

Dsc_0022jpg

細内所長とすみだの指物師松本イッコー(故人)と二人で企画制作した北斎グッズ(神代木をベースに金属の文鎮をセットしたもの)である。

Dsc_0201_2

北斎漫画の百面相(最上段左の2つ:鼻息と割り箸がモデルだった)

Img_5885
当時のCBN事務所、すみだ分室

Dsc_0026

1

江戸小紋でプロデュースした1点もの特注品ベスト(メイドインすみだ)

Dsc_0010

*

Dsc_0012

北斎の落款入りの法被

Dsc_0016_3

Dsc_0033

*神代木を使用したイッコーの遺作、小布施栗のコースターと栗のブロンズ

Photo

小布施栗をテーマに神代木で作った栗の木工(

松本イッコー遺作)
*
Dsc_0236_2
Dsc_0233
*細内所長とイッコーの共同制作”木彫(きぼ)りんぐ”という栗の木工づくり道具セット。これも販売されていた。
☆彡

Dsc_0009

細内所長のCB総研から北斎関係の書籍・資料がたくさん出てきた。

*

Dsc_0018_16
シルバーの北斎文鎮

松本
イッコー遺作)、ブロンズもある
☆彡
コミュニティ・ビジネスの社会開発をする事務所(CBNすみだ分室)が、北斎が娘と一緒に暮らしていた本所割下水近くの現在の両国3丁目辺りにあり、当時榛の木のある稲荷神社の前のラーメン屋に、事務所からランチで通う度に、葛飾北斎のことを思い出したものだ(北斎の弟子が描いた北斎が娘と一緒にいる室内の絵が残っている:次の写真はそれを再現したもの)。
Dsc_0188
すみだ北斎美術館の葛飾北斎と娘お栄
Cbn
CBNのマーク付きプリント衣料(メイドインすみだ)も制作した

☆彡

そして20年前に小布施の岩松院で天井に描かれた北斎の八方睨みの鳳凰画を寝転んで友人と一緒に眺めたことを思い出した。今でも海外で一番知られている日本人は葛飾北斎なのだ。そのビッグウェーブが今、再び起きている。
*
Img_5873_4
松本イッコーの遺作、CBNコミュニティ・ビジネス・ネットワークの看板
彼はすみだトリフォニーホールのドアーの取っ手も手づくりで制作している。すみだの指物師松本イッコー氏の鬼籍入りをたいへん残念に思う。謹んでご冥福をお祈りする 合掌
☆彡
そして東京墨田区のCB紹介として子供向けのCB絵本『まちにやさしい仕事』が作られた。絵本は近隣の小学校に無償で届けられた。
Img_5872
メイドインすみだの絵本『まちにやさしい仕事』
絵本は、NHKの朝のニュースや朝日新聞にも取り上げられた。
☆彡
Img_5890
*
Book01 Book05

2018年1月14日 (日)

介護用品もリースにするか購入するか、価格構造・損益分岐点を踏まえて考えると良い

今回は車いすの価格を考えてみる。

要介護3の親族がいた経験からその価格を調べてみた。
*
20121110_002_2
*
月のリース料が介護保険適用で1/10だから、個人のリース料が500円なら、本来のリース料は5,000円(介護保険で差額の4500円を負担している)となる。これに業界経験則の価格率16倍を掛けると、本来の車いすの正味価格8万円が出る。
*
つまり月500円でリースしていた車いすの正味価格は8万円の車いすとなる。これにはメーカーの祖利益〇%と販売店の祖利益〇%が含まれており、介護専用の店舗やデイサービス等で販売、もしくはリースされることになる。
*
介護用品をリースにするか、購入するかは、こうした価格構造・損益分岐点を踏まえて選択すると良いだろう。
*
ただし保険適用には、年間10万円までとか限度額が設定されているから事前確認が必要だ。また普通の手押し車いすと電動車いすでは価格が大きく違うので、使い手の使用目的や操作方法などを確認することが欠かせない。
*
201209_005
*
☆写真は朝日新聞の町内会でもできるCBの取材記事より(細内所長のコメントが最下段に掲載されている)
*
※CB総研のFBと同時配信

2018年1月12日 (金)

将軍秀忠妻お江と親戚関係にあった井上時利

歴史好きな細内所長のよもやま話

旗本井上家 http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-da30.html の続編

☆彡閑話休題

織田信長の孫、三法師こと織田秀信(美濃国の稲葉山城を拠点とする)は、1600年関ヶ原で豊臣方の西軍についた。

そのため戦後、多くの美濃国人衆は織田秀信についたため徳川家康の裁定で領地を失い、浪人となったものは少なくなかった

☆過去帳の一部

Photo

歴史書では長井道利が一般的だが、旗本井上家所蔵の関係資料では、忌み名の”利”は最初にくることが多く、長井隼人正利道となっている。齊藤山城守のみ正利で”利”が下についている。

*

斉藤道三の庶子・長井隼人正道利(美濃齊藤家の3代目齊藤龍興の家老として最後まで織田信長に抵抗する)の息子、井上3兄弟も主家齊藤家が信長に滅ぼされてから、苗字を長井から井の字を上にあげて井上に改名し、その後織田信長、豊臣秀吉、秀頼に仕えた。3兄弟の長男井上道勝は秀吉の黄母衣衆の一人といわれた。次男の井上頼次は大坂冬の陣で豊臣方の鉄砲隊長として討ち死したが、今回は井上3兄弟の三男・井上時利(小左衛門尉定利)に焦点を当てたい。

S20150305_035_2

京都大山崎の油祖離宮八幡宮(岩清水八幡宮元宮)にて、第48代津田宮司さんと記念写真を撮る(戦国期に菜種油の油座があったお宮である)

*

井上時利の母は文献では不明だが、旗本井上家のお寺過去帳には、長井道利の妻として稲葉宗張の娘が記載されている。たぶん文献に出てくる道利の妻、すなわち遠藤氏の元妻を後妻に迎えたが、織田信長により美濃追放前後に離縁し、彼女の子息のいる遠藤氏のもと・郡上八幡?へ帰したものと思われる。よって三男井上時利(1566年生まれ?)の母は稲葉氏の可能性がある。

⇒その推測は以前、当ブログ http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-79d3.html で取り上げている

*

時利は関ヶ原の戦いで西軍につき、先ほどの理由で1600年以降は浪人となるが、1614年の大坂の陣で豊臣秀頼から召され、侍大将の一人として、道明寺の戦いで薄田兼相らと一緒に討死する。

*

井上時利の嫡男井上利中(母は赤座七郎右衛門の娘(赤座七郎右衛門の妻は織田信安の娘)、つまり彼は長井齊藤氏、赤座氏、織田氏、稲葉氏?の血筋を受け継いでいたことになる)は、当時12歳で父の人質として大坂城にいたが、落城後、京都の石清水八幡宮に落ちのびていた(赤座七郎右衛門は齊藤道三の家来、織田信安は齊藤義龍、龍興の家来という)という。

*

この少年井上利中が2代将軍徳川秀忠の妻・お江や織田有楽斎、板倉勝重京都所司代らの助命嘆願によって、大坂夏の陣後すぐに二条城で徳川家康に面会し、罪を許され、徳川秀忠の直参旗本となるのである。

*

その理由として考えられるのは、お江は浅井氏の出(浅井長政の娘、淀殿の妹、母親お市は織田家の血筋)、後・齋藤の3代目齊藤龍興の正室は浅井氏の出で、その龍興の家老が長井道利(利中の祖父)である。寛政譜によれば、道利の妻は稲葉宗張の娘であり、井上時利の妻にはすでに述べたように織田家の血も入っている。すなわちお江と井上時利は織田家を通じて従兄弟関係にあり、利中はお江からすれば従兄弟の子であり、織田有楽斎も同じ関係になる。助けないわけにはいかないのである。

だからこそ、井上時利の嫡男・利中を助けたのである。関ヶ原、大坂の陣と立て続けに負けても、その罪を家康から許され、徳川家の親衛隊・旗本井上家として、本家、分家(徳川綱吉の嫡男徳松君の小姓として、将軍家から別家設立の許可を得る)ともに、それぞれ500石で明治維新、現代まで生き残るのである。

☆彡

異業種交流会は新たなエネルギーをインプットすることができる

昨日当社(渋谷区千駄ヶ谷5丁目)から5分のところで開催された「モノづくりの会」に参加しました。

Dsc_0013_2
*
コミュニティ・ビジネスの言葉に「モノを持って語れ、コミュニティ・ビジネス」という言葉がありますが、本質的にはこの会の主旨(モノづくり)と同じだと感じました。
*
Dsc_0014
*
異業種交流会では新たなエネルギーをインプットすることができます。
*
Dsc_0018
この肉料理は圧巻で美味でした。
*
酒と夜に弱い小生は2時間半程でスピンアウトしました。
*
*CB総研のFBと同時掲載

2018年1月 8日 (月)

現状に満足したら事業運は止まってしまう

起業家にとって現状に満足したら事業運は止まってしまう。

Dsc_0082

*
起業家からやがて企業家となる人は、事業を引退するまで、止まっては駄目。創業時は失敗、後悔の連続になる。
*
その際、創業メンバーの多くはシャッフルされて、辞めていく。退場者がいるからこそ、残ったメンバーの絆はますます強くなり、事業の方向性が固まっていくものだ。
*
還暦を迎えた経験則からそう感じる今日この頃だ。
*
Dsc_0103 
*
Dsc_0112
*
Dsc_0094_3

« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »