井上3兄弟系譜の女系関係から頑固者を見出す
明治生まれの亡くなった母方の祖母は、最近まで親戚一同から彼女が長女であると思われていたが、私が祖母、つまりばあちゃんの実家の除籍謄本を取り寄せてから本当のことが分かった。
彼女は、実は四女でありながら、父親が若いとき(明治期に)本籍を移転したため、その後は長女として記載されたのである(昔はよくあること)。その除籍簿を見ると、ばあちゃん家の姉たち三人は、三歳未満で夭折している。家業の造り酒屋もカビが発生し、郡内随一の造り酒屋も大正末期に廃業を余儀なくされた。そうした不運続きの中で、彼女の父(私の曽祖父にあたる)は本籍地を替えたのであろう。
ばあちゃんの母親(曾祖母)は、明治のはじめに18歳で江戸旗本家から造り酒屋に嫁入りし、6人の子を生し、ばあちゃんが3歳の時、幼子たちを残してうら若き身の33歳で天国へと旅立っていった。その曾祖母から辿る先祖の女系史がとんでもないことになるのは最近のこと。歴史好きの私を日本の戦国時代へ駆り立てたのである。
大阪冬の陣、豊臣秀頼方の鉄砲隊長、井上頼次または定次(長井道利の次男で秀吉・秀頼の黄母衣衆の一人、井上3兄弟の真ん中)は、秀頼から任された2千人の鉄砲隊を率いながらも、徳川方上杉勢の猛攻撃を受け、鴫野の戦いであえなく討ち死した。
祖母の母親(曾祖母)から遡る井上姓のご先祖は、この井上3兄弟の3番目から発祥し、鴫野で戦死した井上頼次(定次)の弟にあたる3男井上定利から始まる。井上定利も翌年の大坂夏の陣にて300名の兵を率いた道明寺の戦いで、薄田兼相らと共に討死している、井上定利の母親は、稲葉宗張の娘で、稲葉一鉄に繋がる稲葉一族であり、頑固一徹で有名な稲葉一鉄の息子(臼杵藩の藩祖)に斎藤道三の娘(長井道利の妹)が嫁ぎ、そんな関係から江戸の幕末まで大名稲葉家と旗本井上家は親戚付き合いをしている。
頑固一徹(一鉄)といえば、江戸末期に井上定利の末裔、旗本井上分家の当主井上収蔵には、賤ケ岳七本槍の一人・平野権平の末裔の旗本平野家から娘が嫁いでいる。また井上家の系図を見ると、江戸初期の旗本井上家2代目の井上利景の妻には、あの大久保彦左衛門の娘が嫁いできている。こうして稲葉一鉄、平野権平、大久保彦左衛門と女系繋がりながら、頑固もの3人衆のDNAが井上家には脈々と受け継がれていることになる。その子孫はどんな頑固者になることやら心配である。肥後のもっこす、土佐のいごっそう、津軽のじょぱりにも負けない頑固者になるかもしれない。武家というプライドがあるだけに誰にも負けない真の頑固者かもしれない。
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