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2019年10月 4日 (金)

あの人の心に残る珠玉の一言その2、藤田太寅さん

60歳を超えると、若いときに先輩諸氏から頂いたアドバイスが蘇えってくる。

小生、2001年にはじめてNHK教育の「21世紀ビジネス塾」に2話連続のコミュニティ・ビジネスの解説でテレビデビューを果たした。NHK「21世紀ビジネス塾」収録時の司会者(MC)が、NHKアナウンサーの藤田太寅さん。藤田さんから『テレビでは、司会者とのやりとりはなるべく短く、30秒から40秒で、長くても60秒で自分の考えをコンパクトにまとめ、すぐに司会者に戻すこと』とアドバイスをいただいた。それが、その後10本以上のNHKテレビ出演で生かされることになる。

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☆NHKアナウンサー藤田太寅さんとの対話が収録され、書籍となったもの

 

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2002年10月19日「くらしと経済」は藤田さんと3回目の一緒の仕事となった

その2話の番組は無事収録が済んで放送が成されたが、しかし、その翌年2002年のNHK総合「クローズアップ現代」には活かしきれなかった。コミュニティ・ビジネス特集の解説者として出演したが、司会の国谷さんからの問いに2分30秒近く一人で話しをしてしまい。藤田さんからの珠玉の一言を活かしきれなかった。クロ現は生放送で、撮り直しのきかない番組だったのだ。放送終了後、番組の制作統括者からウイットの効いたお言葉をいただいた。『後半の対話部分は良かったですね。』と、思わず顔が赤面する小生であった。生放送であがってしまったのである。

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☆その後、テレビ番組には、20本ほどの番組に出演する機会を頂いたが、藤田太寅さんのアドバイスをいつも胸に秘めて番組に臨んでいる。

そしてNHKのテレビといえば、失敗談がもう1つ。2007年12月に、『難問解決!ご近所の底力』というバラエティー番組があったが、後半にMCがアナウンサーの堀尾さんからタレントの和田アキ子さんに代わった。

当時小生は、年に2回くらいの頻度で、まちづくり、コミュニティの専門家として番組に呼ばれていたが、その回は、和田アキ子さんの隣りでコメントを述べる立場にあったが、ついつい和田アキ子さんに圧倒され、あがってしまったのか、少し寡黙になってしまったのだ。番組の収録は無事終了したが、積極性が足らなかったのか、担当の女性ディレクターから、『いつもと違いましたね、どうしましたか?』と言われてしまった。我ながら意外にも小心者である自己という存在に気づいた。次は失敗を繰り返さないぞ、と強く心に誓った次第である。

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番組放映後、もうひとりのMC中川緑さんから出演御礼のメールをいただいた。そつのない方である。今でも中川緑さんMCのラジオ深夜便をときどき拝聴している。

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講演先での看板だ。これを見るといつも力が湧いてくる。

☆彡

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