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2020年1月

2020年1月27日 (月)

佐野訪問シリーズ3:安藤勇寿「少年の日」美術館

佐野訪問シリーズ3:安藤勇寿『少年の日』美術館へゆく。画家の安藤さんと談笑しましたが、一緒に写真を撮るのをつい忘れてしまいました。子供のころ、ここの火の見やぐらに登ったことを思い出しました。ここは私の少年の日の現場です。

☆安藤勇寿さんの絵本『大人とこどものつながり』より紹介

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*安藤さんは油性の色鉛筆で作画をします、秀逸ですね

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*安藤さんの美術館は佐野市御神楽にあり、御神楽という地名もロマンを感じます。子供のころ、小生は友人とこの火の見やぐらに登り、肝試しをしました

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かつてここに田沼町役場があり、県の出先機関もあり、当時は賑やかでした。いまはこの公園です

☆彡

 

2020年1月26日 (日)

佐野訪問シリーズ2:司馬遼太郎の作家生活への原点に立つ

今回、平安時代の武将俵藤太の足跡ともう一つ司馬遼太郎の作家生活への原点となる栃木県佐野市の植野小学校(植野国民学校)を訪ねてきた。

残念なことだが、最近の学校は地域内でクローズにしているのが一般的だが、今回校門前で写真を撮っていたら、敷地内にいた江川卓先生(仮名)が校内へ招き入れてくれ、地元にまつわる司馬先生の伝説話をしてくれた。

司馬遼太郎はとうとうこの地に戻れず世を去った。司馬文学はスズカケの木の伐採で幕を閉じた、とみた。司馬遼太郎は、戦後佐野の地に足を踏み入れることを極端に嫌った。それは……。

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校庭内にある戦前ここにあった植野国民学校の石碑

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現在の佐野市植野小学校の校庭。かなり広い校庭だ。終戦の夏の日に司馬遼太郎(本名:福田定一青年22歳は戦車部隊の将校で本土決戦に備え、ここに駐屯していた)が見た、かつての”スズカケの木”は伐採されて今はない

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初代の木種から育成した2代目のスズカケの木が校門脇で大切に育てられていた

☆彡

過去の司馬遼太郎を話題にした当方ブログ(この中からスズカケの古木が、動画で見ることができる)

http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-68c8.html

http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_2aa0.html

http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-a686.html

 

☆彡 ぜひご笑覧あれ

 

佐野訪問シリーズ1:下野国佐野市で俵藤太の足跡を訪ねる

細内所長は、俵藤太(ムカデ退治で有名な藤原秀郷のこと)で有名な近江大津(滋賀県も講演活動で結構歩いている)の瀬田商工会で講演をしました(もう一つの講演会は大津市瀬田のブログを紹介

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今度、彼の本拠地栃木県佐野市の佐野市田沼でその足跡を巡ってきました

かつて細内所長も小学3年まで田沼町に住んでいました

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藤原秀郷の子孫には、小山氏、佐野氏など武人が多く、忠臣蔵の大石内蔵助もその一人だ
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藤原秀郷を祭る佐野市の唐沢山神社本殿
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藤原秀郷の古墳頂上より彼の築城した唐沢山城を望む
☆彡

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