佐野訪問シリーズ2:司馬遼太郎の作家生活への原点に立つ
今回、平安時代の武将俵藤太の足跡ともう一つ司馬遼太郎の作家生活への原点となる栃木県佐野市の植野小学校(植野国民学校)を訪ねてきた。
残念なことだが、最近の学校は地域内でクローズにしているのが一般的だが、今回校門前で写真を撮っていたら、敷地内にいた江川卓先生(仮名)が校内へ招き入れてくれ、地元にまつわる司馬先生の伝説話をしてくれた。
司馬遼太郎はとうとうこの地に戻れず世を去った。司馬文学はスズカケの木の伐採で幕を閉じた、とみた。司馬遼太郎は、戦後佐野の地に足を踏み入れることを極端に嫌った。それは……。
校庭内にある戦前ここにあった植野国民学校の石碑
現在の佐野市植野小学校の校庭。かなり広い校庭だ。終戦の夏の日に司馬遼太郎(本名:福田定一青年22歳は戦車部隊の将校で本土決戦に備え、ここに駐屯していた)が見た、かつての”スズカケの木”は伐採されて今はない
初代の木種から育成した2代目のスズカケの木が校門脇で大切に育てられていた
☆彡
過去の司馬遼太郎を話題にした当方ブログ(この中からスズカケの古木が、動画で見ることができる)
・http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-68c8.html
・http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_2aa0.html
・http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-a686.html
☆彡 ぜひご笑覧あれ
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