CB総研より5冊目の新刊『我が家の女系史伝』を上梓しました
コミュニティビジネス総合研究所(CB総研)出版部から5冊目の書籍が京都から到着しました!!
早速拙著は、東京都稲城市の100万冊の大型書店コーチャンフォー若葉台店に並べられております。
細内信孝著『我が家の女系史伝』コミュニティビジネス総合研究所出版部 2020年9月1日
ここで一句「コロナ禍に裏技で書をなす我なり」字余り。そして多芸が身を助けるか?
追記(2023.2.10)
SNS(FB)に歴史専門家から拙著『我が家の女系史伝』(我が家とは、細内家の女系(母方)に繋がる史伝という意味です)に対する次のコメントを寄せていただきました(2021.1.26)。遅ればせながら掲載させていただきます。
土山公仁さん(元岐阜市歴史博物館学芸員)のコメント
著者の細内信孝さんは本にも書いてあるように50を過ぎてから ご先祖様さがしに熱中した方である。フルタイムで働く男性の場合、現役の時はなかなか歴史系博物館にも足をはこばなかったが、退職後、歴史に興味をもちご先祖さがしをされる方は一定の割合でいる。その場合、博物館の熱心なリピーターにもなってくれる。細内さんの場合、現役時代に興味をもちはじめたこと、仕事がら全国をとびまわり、その合間に各地の博物館、図書館、史跡、寺院等に足しげくお通いになったことが著書からもうかがうことができる。つちやまも博物館時代におたずねいただき、つちやまの退職後はどうやってと思うがお友達も少ない時期のFBを発見されてしまった。
テレビの影響もあるのだろうファミリーヒストリーはひそかなブームではある。豊田市で現在計画中の博物館もHP情報を見るとそれを正面からとりあげるらしい。いいアイデアだと思うが、それをやるにはかなりのマンパワーが必要なのと個人情報の問題をどうクリアーするのだろうと注視しているところだ。
さて、同書は年末に送っていただいたもので。コメントも求められていたが、年末年始は酒浸りの巣ごもり生活で調子がつかめず、大学の準備もぎりぎりで、その後、シラバス作成、成績付けのため学生からのレポートに格闘していて、手が回らず、今にいたった。
コメントするといっても、著者がわたしのもとをたずねたのは、長井隼人道利がらみだったし、江戸時代に続く井上家については格段知見もないので、関心のある部分に限ったコメである。
長井道利は長井隼人として『信長公記』にも度々登場する人物である。斎藤道三の弟もしくは子供とされているが、土山は道利と面識のあった日重の『見聞愚案記』に記されたように道三の弟でいいと思っている。父親は『六角承禎条書』にある長井新左衛門尉ということになる。細内さんも引いている一部の系図で父親を長井豊後守利隆とするものもあるが、少なくとも利隆は斎藤姓で持是院家をついだ人物だ。斎藤家での系図上の位置は確定できないが、土山は妙椿の子説、これは美濃の刀剣をあつかった図録で書いたことがある。
長井豊後守という記述は美濃の情勢に関しては良好な情報をもとに記された『江濃記』に道三の父親として登場する。道三の養子とも伝えられる正義が斎藤姓を名乗り、金山城主になっているが、これは斎藤利隆(妙全)の養子になったという体裁をとったものだろう。正義は天文8年の寿像が残っている。道三じしんの改姓については天文10年11月の『石山本願寺日記』に斎藤左近太夫(道三)を長井新九郎(道三)の事と注記があるので、正義の改姓より遅れるだろう。先に養子を斎藤家に送り込み、その後で自らも斎藤姓に改めたというのがつちやまの考えである。よって、道三が斎藤利隆の養子という説には賛同していない。なお正義が城主だった金山城は後に道利も城主になったという説がある。御嵩町顔戸の八幡社の永禄8年の棟札がその証拠としてあげられることが多いが道利の子孫『井上家伝書』に同様な記載があることは、この著作から知った。だとすると、持是院家を引き継いだ正義の権益は道利にひきつがれたことになるだろう。
先にあげた長井豊後守は現在の本巣市の用水に権益をもっていたことが、安藤家文書からもうかがえる。安藤家文書の別な史料に登場する長井直弘なる人物も道三と近い関係にあり、永禄4年の段階で長井隼人の所領もその近辺にあった可能性を『信長徹底解説』の中の美濃攻略に関する原稿で指摘してみたことがある。
長井隼人室の父、稲葉宗張については、博物館時代にお話はきいていたが、今回の著作で稲葉一鉄の兄とお考えであることがわかった。一鉄の父や兄たちが戦死した牧田合戦は大永5年のことと考えられており、宗張の画像賛からは大永6年宗張が生きていた時代に描かれた寿像であることもわかるので、もう少し他の可能性もさぐった方がよいのではと思う。
道三と義龍の最終決戦で、道三に最初にくみついた『信長公記』にも登場する長井忠左衛門を道利の子とする伝承が池田家に伝えられていたことは初めて知った。次にこの辺りを触れる際は使わせてもらおうと思う。
道利の最期については、『寛政重修譜』等で記された義昭の命で和田惟政救援に向かい白井川原で戦死したことが簡単に触れ、義昭が信長と反目していたことが記されていたがもう少し追及してほしかった。元亀2年8月の畿内の状況は複雑怪奇で義昭と信長の関係もすでに破綻していたとは思うが、公然と対立していたわけではない。また、宛先は不明であるが天正弐年正月晦日に信長が長井隼人の旧領を宛がった文書もある。永禄10年9月、信長の稲葉山城奪取時に、長井道利は龍興とともに美濃を後にした。しばらく二人はともに反信長運動に参加するが、どこかの時点で道利は信長に仕えることになったのではないだろうか。永禄10年から天正2年まで長井隼人の旧領ということが意識され続けたとは思えないのである。
最後に細内さんの著作は『我が家の女系史伝』となっているが、女系をたどったのは1度だけで、あとは男系の先祖をたどっている。次はすべて女系しばりでやってみてはいかがだろう。
以上
(原文のまま)
☆彡
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