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2021年1月27日 (水)

那須与一と将棋の藤井さんにみる、天才は早熟である、ということ

少しむかしのこと、経産省から頼まれて高松市での講演の帰り、屋島に立ち寄り、平家物語で有名な扇の的を獲る那須与一(鎌倉幕府の御家人、本貫地は下野国那須)について思わぬ発見をしたものです。

それは、当時彼の年齢が数えで16歳、将棋の天才藤井さんと同じ歳に偉業を成し遂げたからです。共通項は、「天才は早熟」である、ということです。

2番目の驚きは、屋島の碑から分かったことですが、与一と扇の的までの距離がたった70メートルだったことで、意外に短い距離であったことには正直びっくりしました。

的を射ることに成功し、源平の戦のショータイムを盛り上げた彼は、頼朝から荘園(備中国荏原荘)をもらい、その後11男ながら兄弟を追い越し、那須家の当主になりました。

その前後ですが、井原市からの講演依頼で岡山県井原市を訪問した時、駅前に”那須与一のふるさと”という大きなアーチを見て、驚きでした。彼は、私のふるさと下野国の武人・偉人ではないか、と思ったからです。なぜ岡山で那須与一なのか?と大きな驚きでした。与一の庶流が、地頭として治めたことが帰宅後判明しましたが、栃木県とはずいぶん力の入れようが違うのか、と思った次第です。

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