我、仕事を通して日本各地の成り立ちと文化、風土を知る
私の勝手な推論ですが、スサノオの神を祭った神社が関東地方の群馬、栃木に多いのは、吉備の国から毛の国へ農民等が移住してきたからです。栃木県鹿沼市の深津地区には、備後国と同じ深津郷(今の広島県福山市あたり)という地名と備後一の宮のスサノウノミコトを祭った神社(父方の祖母の旧姓は宇賀神で、その父親は神官を務めていました)があります。宇賀の神(宇賀神)、稲荷信仰、地神・水神、三輪山の蛇信仰も、そうした吉備の国の吉備津彦から伝わってきたといわれ、一説には吉備の国の吉備津彦と毛の国の豊城入彦は同じルーツではないかといわれています。
楯築神社のご神体亀石 楯築弥生遺跡
岡山県倉敷市の楯築弥生遺跡訪問のブログ⇒http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-7082.html
これもご縁でしょうか?毛の国の栃木県足利市出身の岡山大学近藤義郎教授が中心になって発掘を行いました。
中国製の水銀だそうです 弥生墳丘墓は高度成長期に住宅開発で形を変えたそうです
当時の仕事はこちら!
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徳川家康の生誕地・愛知県岡崎市には5回連続通いました
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太宰治の生誕地金木町、青森県立金木高校でコミュニティ・ビジネスの講義をしました
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東日本は縄文・アイヌ文化の世界で青森津軽・三内丸山遺跡、北海道函館、旭川では土偶の縄文やアイヌ文化を拝見してきました。
北海道初の国宝は中空の縄文土偶です このスマイルはいいですね
東日本の縄文文化、1万年に触れるのブログ⇒http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-d6fc.html
青森県つがるの駅舎は亀ヶ岡の遮光器土偶を真似る 青森県八戸市から出土した国宝の合掌土偶
当時の仕事はこちら!
三村青森県知事も参加されました。後日講演に対するお礼のお手紙をいただきました
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西日本のコメと鉄器、神道による弥生文化が東日本の縄文文化を融合し、現在の日本社会が成立したと思っています。まちづくりの仕事で日本各地を巡り(全国47都道府県すべてを講演セミナー等で歩く)、そうした各地の文化、風土に触れることができ、たいへん恵まれた仕事だなと感じています。これらの体験したことを次世代や日本の未来社会に伝え、還元できるように努めてまいります。乞うご期待を。
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